第一章 ──3 相談者:弓永ひかり
六月末。
雨続きの毎日の中で、久しぶりに晴れを見た日だった。
とはいえあたしにとっていろんな意味で太陽は天敵。
あたしは生物室の暗幕は閉じたまま、風を通すために窓だけを開ける。
いつものように水槽の管理を終えて、いよいよセンセイのいる準備室へ向かう。
センセイがコーヒー派だから引っ張られていたけれど、たまには紅茶でも入れてもらおうか。
と、準備室の扉に手をかけたところで、廊下の方に気配を感じる。
ぱっと顔をそちらに向けると、引き戸の窓から見知った顔と見知らぬ顔が中の様子をうかがっていた。
で、目が合う。
相手はにこりとして勢いよく戸を引いた。
「おっすおっすっ! 千星ちゃんおつかれっ」
「こ、こここんにちは」
現れたのは遥果と、名前のわからない、太っちょな黒髪の少女だ。
小柄で明るい見た目の遥果とは対照的に、地味でおとなしい印象。
ぽっちゃり系、という言い方でもお世辞になるくらいにはふくよかだ。
一方で清潔感はしっかりあって、顔立ちも悪くない、と思う。
ただ、前髪が目元を隠すような感じで、自身の無さがうかがえる。
後ろ髪はおさげに結っていて、落ち着いた印象に拍車をかけていた。
「この子はね、隣のクラスの弓永ひかりちゃんっ。千星ちゃんに紹介したくってさっ」
「ひかりちゃん、か。よろしくね」
「あ、はい。よ、よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるひかり。
体は大きいけれど、小動物みたいで可愛い。
それに、よく見ればこの子、お化粧してる。
気取られないほどナチュラルに、そして割と丁寧に作りこまれたメイクだ。
こういうタイプの子って、してもコンシーラーとかパウダーだけなイメージだったから意外だ。
「それで、なんであたしにひかりを紹介したの?」
遥果に尋ねたつもりだったが、その質問には本人が答えた。
「あっ、ああの、れ、恋愛相談に乗ってもらいたくって」
「おっ、恋愛相談!」
「ほらっ、千星ちゃんってみんなの話を聞きたがるじゃんっ? ちょうどいいでしょっ」
あたしがいろんな人の恋愛事情を嗅ぎまわっているから、相談事のありそうなひかりを連れてきてくれたってことね。
さすがあたしの友達枠に収まる人材。
これは、生の恋を学ぶチャンスかもしれないね。
「このあたしにできることは根拠の無いアドバイスくらいだけど、良い?」
一応確認しておこう。
「す、少しでも聞いてもらえたら、ありがたいなって」
「わかったよ。とりあえずそこで立ちっぱなしもなんだし、中にどうぞ」
「お、お邪魔します」
いらっしゃいませ、しっかりめの相談者第一号。
さて、まずは……ドリンクの注文を聞こうか。
────
──
一つの通路を挟んで膝を突き合わせるように座る。
最初に趣味だとか、好きな食べ物だとかを聞いてみた。
いきなり本題に入るより少し場を温めた方が良いだろうからね。
しばらくすると白衣の高身長青年が歩いてくる。
実験の際に使うステンレス製のバットをお盆代わりに携えて。
無表情に近いけど、あたしにはわかる。
あれは面倒くさいと思っている顔だ。
「……コーヒー二つに緑茶一つ。シロップとミルクは適当に使ってくれ」
説明しよう!
この生物室の凄いところは、コーヒーや紅茶、麦茶や緑茶などが注文すれば出てくるところだ。
準備室の扉を開けて要望を伝えれば、数分後には長身のイケメンがドリンクを提供してくれるというシステムである。
便利である。まる。
「ありがとね、センセイ♡ 後でお礼に肩揉みでもしてあげよう」
「いらないが」
「ちぇ」
普段は喉の奥で一旦言葉を溜めるような話し方をする彼だが、今のは即答しやがった。
あたしのマッサージは本気でいらないらしい。
「……しかし、いつもながら教師をウェイター扱いするとはどういう神経をしているんだか」
「そう言わずに。準備室に私物のコーヒーマシンとか茶葉とか置きまくっているのは黙っててあげるからさ」
「……」
センセイは今、何か言おうとしたが何も反論できない顔をしている。
準備室はセンセイのテリトリー。
仕事で多くの時間を過ごすため、息抜き用にと色々持ち込んでいるのだが、学校側には内緒なのである。
「……相談事なら、僕に聞こえないよう小声で話せよ」
彼はバツの悪そうな顔をして踵を返し、準備室へと引っ込んでいく。
生徒が教師をこき使う様子に、同級生二人はそろって苦笑い。
まあ、そりゃそうだよね。
あたしは卓上のドリンクを二人の近くに置き直す。
差し出された冷たい緑茶のグラスを、ひかりは指で触れただけで口には運ぼうとはしなかった。
「え、えっと。い、良いの?」
ひかりは前髪の奥で目をキョロキョロさせている。
注文してしまったのは良いが、実際に飲むのは気が引けるのだろう。
一方の遥果はアイスコーヒーを手に取って、シロップを二つも入れている。
こくりと一口飲んで一言「にがっ」と呟きながら、後から追加のシロップを開けはじめた。
こっちはこっちで遠慮が無い。
するとひかりは何を思ったか、とんでもないことを口にする。
「もしかしてこ、琴宮さんと鷲見先生って、き、兄妹なの?」
「なんですと?」
「……! けほっ、けほっ!」
遥果なんて飲んでいたコーヒーを軽くむせ、なぜだかあたしよりも動揺していた。
そういえば前に遥果も同じことを聞いてきたな。
何かひかりに吹き込んだのだろうか。
「兄妹って、どうして?」
「さ、さっきの先生。い、妹に振り回されるお兄ちゃん的、な」
「ああ、態度の話ね。びっくりした」
確かにセンセイを翻弄している自覚はある。
が、あたしが目指しているのはあくまでも恋人であって、決して兄妹ではない。
『あいつ? ああ、妹みたいなもん』と口では言いつつ実際はまんざらでもない………そういう予防線を貼るような恋愛観はちょっと参考にしたくない。
「自分的にはもっと、年上男性を魅了する小悪魔じぇーけーのイメージで行動してたわ」
「え、と……そ、そそれが妹……ぽい?」
あれ。
もしかすると、教師としての立場をわきまえようとやや突き放した態度を見せるセンセイと、親しくしたい欲求が強いあたしとの対比がそう見せているのか?
「まあ、話しておくとね、あたしとセンセイは昔からの知り合いなんだよ。だから距離感近く見えるのかも」
あたしはセンセイと口裏を合わせた嘘の経歴を話す。
これで納得してくれるとは思うけれど、しかし年相応の少女らしい立ち振る舞いは要勉強だな。
変に勘繰られても敵わないや。
「で、でも良いなぁ。すごく近い距離に、頼れる人がいるって」
「ひかりの好きな人は近い仲じゃないの?」
「え、ええっと」
急に自分の話を振られて驚いたのか、ひかりは少し目を泳がせ、萎縮した。
彼女は胸を手で押さえ、深く息をする。
話をするのにもきっと勇気がいるのだろうね。
ゆるりと構えていたあたしだが、直後にひかりの口から飛び出した人物の名に耳を疑うことになる。
「じ、じじ実はね。────や、八木先輩なの」
「え」
瞬間、脳裏にあいつの姿が浮かぶ。
────ねえ、琴宮ちゃん。俺と付き合ってみない?
いつぞやに急に告白してきた男がいた。
誰もが俺に惚れる、そう思い込んでいそうな、けれど実際にそうであってもおかしくないような超絶ビジュアルの軽薄な男。
「そ。ひかりちゃんの好きな人は、学校イチのイケメン男子っ。通称────」
「『面喰い王子』、八木広大」
それは少し前に、あたしが振った相手の名だった。




