第二章 ──6 恥ずかしいんだもん
「いたたたぁ、ちょ、ビビって転んじゃったじゃん!」
「あんたがふざけたことするからでしょ!」
「んもー、キミさあ、先輩に対する口の利き方じゃなくない?」
ストーカー女、宍喰真宵は尻のほこりをはたき落としながら立ち上がった。
次いで首から下げた一眼レフカメラに異常がないか確認し始める。
こんな状況でも物のチェックは欠かさないらしい。
あたしは唸る番犬のごとく、あるいは毛を逆立てる野良猫のごとく睨み続けていた。
彼女はあたしとセンセイのテリトリーに侵入した敵だ。
「よし、カメラも無事だし、わーしみん♪」
「ちょ、おいコラ!」
彼女は所有物に何も異常が無いことを認めると、あろうことか再びセンセイの腕を抱きしめようと両手を伸ばす。
この期に及んでまだやるか、このクソ●●●!
「……やめろ」
「ありり?」
彼女の腕は空を切り、逆に、センセイの方が彼女の腕を掴む。
真宵はブンブンと腕を振って逃れようとするが、センセイは握る力を緩めない。
「もう、なんで離してくんないんですか。あーし、なんか悪いことした?」
まさかの自覚無し!?
「……蟹藤の靴箱にいたずらをしたのはお前だな?」
「いたずら? ラブ♡メッセージーずのことですかぁ? カレシに認知してもらえるよう、あーしがんばっちゃいました!」
悪びれる様子もなく、さも自慢げに言う。
「……蟹藤の家に侵入したと聞いているが」
「侵入って。合鍵持ってるから普通に入っただけですよぅ。うふふふ! あれ以来見守りカメラでいつでもカレシに会える。あーしは幸せ者だぁ」
「……合鍵?」
「カレシん家、植木鉢の下に鍵を隠してあるんですけど、いっそいつでも入れるように作っちゃおうって! 型とって、溶かしたアルミ流し込んで、それからー。えへへ」
まさか、鍵屋に合鍵を頼むのではなく、自作とは。
この女、目的のための手段を全て間違えている気がした。
「……違う星の人間と会話しているみたいだ」
センセイも呆れ果てている。
一応会話のキャッチボールは成立しているが、ストレートを期待したらダンクシュートが飛んでくるくらいの異様さだ。
「あの、センセイ。この人ってセンセイの何ですか?」
タイミングを見計らって、おそるおそる手を挙げてみた。
さっきからやけに真宵が親密すぎる。
少なくとも二人は何かしら関わっていそうだった。
センセイは頬を引きつらせながら答える。
「……宍喰真宵はな。僕が担任をしているクラスの子なんだ」
「え」
鷲見星兎には担任のクラスがある。
特進クラスの一つ下、進学コースの理系クラスの三年生だ。
センセイの話が本当ならば、宍喰真宵は平均以上の学力があることになる……けど、まじで?
「なになに、あーしがわしみんのクラスじゃなんかマズかった?」
「まずいというか……あんた、全体的に距離感バグってない? いくら担任だからって」
「好きな人にくっついちゃダメなん?」
「すッ────ええぇ?」
意味がわからない。
この女、蟹藤煌青が好きなんじゃないのか?
さっきラブメッセージがどうとかって言っていたじゃないか。
あたしが混乱の最中にいると、センセイが補足をしてくれた。
「……宍喰の言う『好き』はおそらくラブじゃなくライクの方だぞ。……クラスでも、気に入った奴とは誰彼構わずくっつきたがるんだ」
真宵はふん、と鼻を鳴らしながらωみたいに口元を結ぶ。
「その通り。あーしのラブは、カレシだけのものだからね!」
「あ、そう」
真宵はどうも『好き』の範囲が非常に広くて重いらしい。
周囲からすれば『愛』の勢いで他者と接する女に映るが、本人の意識ではそうじゃない。
そして、彼女の中の『本物のラブ』は激重だ。
愛の表現方法も常識から逸脱しすぎている。
ちょっと、いやかなり怖い。
「でもさ、カレシカレシって言うけど、別にお付き合いはしてないんだよね?」
「はぁ? あーしたち、付き合ってるし!」
「煌青はそんなこと言ってなかったし」
「あーしのカレを呼び捨てにすんな、泥棒猫!」
ああ、もう面倒くさいな。
「はいはい。で、あなたは蟹藤先輩とどうお付き合いしてるの?」
「どうって……」
「一緒に帰ったりとか、休日にデートしたりとか、色々あるでしょ」
「うう……」
真宵は言い淀む。
やはり、虚構を貫き通すには無理があるのだろう。
と、あたしはそう思ったのだけど、直後に真宵は頬を赤らめながら、こう言うのだ。
「────ひとりえっちの見せ合い、とか」
「は?」
「前にあーしがしてるとこ送ったら、カレ、それ見ながら致してくれて……ふふふふふ、これってもう、相思相愛でしょ♡ お互いを想ってしてるんだから、もう、それはセックスだよ! セックスをしたら、恋人でしょ? あーしたちはラブラブなんだよ、あははは!」
「……ぐ」
送りつけた一人遊び動画に煌青が性的な反応を示した=だからもう付き合っている、だなんて飛躍しすぎだ。
だが困ったことに、彼女の目は本気っぽい。
人が恋をしているかどうかを見抜くのに疎いあたしだけれど、さすがに今回はわかるよ。
彼女は恋の只中にいる。
これもまた、恋の形なんだ。悔しいが。
「……」
なんとなく、センセイの方を見た。
彼とは一瞬だけ目が合って、そして互いに目を逸らす。
真宵の理論なら、本当に体を重ねたことのあるあたしたちは、もう恋人という話になる。
違うとはわかっていても、今は強く意識してしまった。
「でもね、ラブラブカップルさん」
「ん? それあーしのこと?」
問いに頷きで返す。
「あなたの気持ちが本気なのはわかったよ。でもね、当の本人である蟹藤先輩から、あたしは相談を受けたんだ。ストーカーの被害に遭っているってね」
そのストーカーに惚れてしまった、という本質は伏せておく。
それは本人の口から告白させるのが筋だからだ。
「あたしが彼と文化祭を回ってたのも、わざとくっついてみたりしてアピールしてみたのも、そのストーカーを炙り出すためだったんだよ。そうして挑発に乗ってきたのが、あなたってわけ」
煌青にくっついたあたりの下りでセンセイが面白い顔をしていたけど、一旦スルーしよう。
「本当に二人が付き合ってるっていうなら、恋愛相談の時点であなたの名前が出るはず。だけど、彼が言っていたのは正体不明のストーカーのことだけ。何か弁明はある?」
あたしの言葉に、真宵は案外けろりとした様子でふんふんと相槌を打っていた。
そしてあたしが言いたいことを言い終えると、彼女は少し考え込むように目を伏せながら、尖らせた口元をもごもごさせる。
何か言わんとしていることがあるみたいに。
やがてこぼした一言は、想っていたより素直に現状を受け止めるものだった。
「……そっかあ、カレ、あーしのこと、わかってくれてなかったんだ」
どことなく悲壮感の漂う物言い。
あたしに対して逆恨みとか、そっち方面に行くかと警戒していたのだけれど、そうではなかった。
「えへへ、あーしもばかだなぁ。そっか、お話ししたことないんだから、そりゃそうだよね」
彼女の声は少し震えている。
溢れてくる感情を必死で押さえ込んでいるような、揺らぎ。
「なのに一人で舞い上がって、あはは……また失敗しちゃった」
「また?」
真宵は照れくさそうに、だけど悲しげに笑う。
長い黒髪を手櫛で何度も往復し、気を紛らわせようとしているのが伝わる。
センセイによる拘束は、いつのまにか解かれていた。
「前のカレシ────じゃないんだっけ。前に好きだった人にもね、おんなじ感じでアピールしたんだけど、結局あーしと話してはくれなかったんだよね。そっかあ、ヒントだけじゃ、あーしだってわかんないか」
「ヒント? 手紙とか?」
「そうそう。血液とか、髪の毛とか、DNA型調べればあーしのこと見つけられるでしょ?」
普通は血液を調べたりなんかしないと思うよ。
「そんな回りくどいことしなくても、自分から声をかければいいじゃない」
至極真っ当な意見を述べてみる。
家の近くまで尾行したり、部屋の中に侵入してカメラを設置したりするくらい行動力があるのだから、声をかけるなんて造作もないはずだ。
────だが、真宵はあたしの想像以上にぶっ飛んでいた。
彼女は急にもじもじと身をくねらせながら、こんなことを言い出したのだ。
「ええー。だって、恥ずかしいんだもん」
「えぇ……」
どこの世界に自慰より声かけが恥ずかしい奴がいるんだ。
この世界だよ、こんちくしょう。
「できないできない! あーしからなんて、無理無理、はずかしいよお!」
「あんたねぇ……」
まったく、どうしてこうも、相思相愛なのに互いに歩み寄れない連中ばかりなんだ。
あたしは大きくため息をついて、真宵のそばに歩み寄った。
そして、彼女の細い腕をとって、手と手を重ね、まっすぐに目を見てこう言った。
「あたし、ここで恋愛相談室やってんの」
「文化祭の出し物?」
「ううん、これからもずっと続けるつもり。それでね」
白い歯を見せつけるようにして、あたしは。
「彼と、ちゃんと付き合いたくはない? あたしなら、力になってあげられるよ」
彼女の恋愛相談に乗ることを決意したのだった。




