第二章 ──2 免罪符
「うなじにほくろ……足が速い……ううむ」
部活の練習に戻った煌青を見送って、あたしは一人、考える。
煌青のストーカーを見つけるのはきっと難しくない。
四六時中彼の後をついてくる者があれば、そいつが犯人に違いないからだ。
問題があるとすれば、まずはいかに捕まえるか。
運動部の脚でも追いつけないほどの俊足の持ち主を捕まえるには、それなりの用意をしなければならない。
そして一番の問題は、犯人を捕まえることが目的じゃないところだ。
煌青がそいつにちゃんと告白をして、結ばれないといけない。
ストーカーなんだから簡単だと考えがちだけど、付きまとい行為が恋心以外に由来する可能性だってあるのだ。
「快楽目的? 逆に、憎悪とか」
一種の露出癖、承認欲求のこじれの可能性はないだろうか。
たまたまターゲットが蟹藤煌青になっただけで、恋愛感情を受け止める下地が無かったら。
ああ、だめだ。
恋も表面上しか知らないのに、こんなに非常識な相手のことなど考えられるはずがない。
行き詰まったあたしは部屋の後ろの壁に向かってヘルプを乞うことにした。
「ねぇー! センセイはどう思うー?」
「……何か言ったか?」
大声で呼び掛ければ、あら不思議。
すぐに隣の生物準備室から背の高いイケメン男性が召喚される。
青みを帯びた黒髪の、さらりとした長髪を雑に後頭部で縛った無造作ヘアスタイル。
豊かなまつげの奥にブラウンの瞳を物憂げに揺らす彼こそは、我が同居人にして我が学校の生物教師。
そしてかつてあたしが毎晩ベッドの上で運動会を繰り広げた相手、鷲見星兎その人である。まる。
「蟹藤煌青の話なんだけど」
あたしが切り出すと、センセイはほんの気持ち程度に頭を下げた。
「……すまない。何やら叫んでいるのは聞こえてたんだが、途中で内線が入ってな」
「内線? 珍しいね」
「ああ。文化祭での見回りの打ち合わせだ」
「そういうのって、職員会議でやるもんじゃないの?」
「普通はな。……今回は急遽役回りを交代するとかなんとかで、その報告だけ貰ったんだ」
「……ふぅん?」
先生方も色々あるんだね。
明後日と明々後日の土日に、ここ天ノ学園宙高校では文化祭が実施される。
本当はセンセイと一緒に出し物を回る……などという青春イベントも経験したかったのだが、文化祭中の教師は普段以上に忙しいらしい。
もしかしたら終盤付近でワンチャンスあるか無いかって感じらしい。
できればこの文化祭期間中にはさっさと煌青の相談にケリを付けたい。
でなきゃ、そのワンチャンスすら奪われかねないからね。
というわけであたしは、煌青の抱える問題と、その対処を思い付かずに苦慮していることを相談した。
「────というわけなんだけど」
あたしが状況の説明を進めていくと、話が進むごとにセンセイの表情は険しくなる。
説明を終えた今では眉間に深々と不機嫌の証が刻まれている。
「どうかしたの?」
「……どうかしたの、じゃない! 君は……本当に……自分のことをなんだと思ってるんだ」
あたしの質問に彼はやや語気を強める。
前腕を指でつねるという、困惑の際の独特な癖をこれでもかと発揮しつつ。
「あのな。……蟹藤の相談のために自ら動くなんてのは、犯罪者とわざわざかかわりに行く、という意味だと理解しているのか?」
「うぐ」
センセイの言うとおり、ストーカーの行い一つ一つが刑法に触れる可能性が高い。
相手は遵法意識の著しく低い人物だ。
「やっぱ、だめ?」
「……だめ。危険すぎる」
自宅を特定し、部屋に不法侵入して撮影までしてしまう人物だ。
危険極まりないのは間違いない。けど。
「『恋愛相談室』としての相談者第一号なんだ。力になってあげたいって思うじゃん」
いろいろな人から恋のヒントを得られるチャンス。
その第一歩くらい、綺麗に解決したいのだ。
「……だとしても、やり方は色々あるだろう。君が出張らなくても解決するような方法を考えるべきだ。アドバイスに留める、とかな」
「えー。それだと────」
それだと、得られる経験値が著しく少なくなってしまう気がする。
だいいち、アドバイスの仕方なんてわからない。
自分自身が恋愛相談を誰かにしたことが無いからね。
あたしが知ってるのは『共に頑張って目的を叶える』やり方だけ。
ひかりと八木の時に得た経験だけが、あたしの武器なんだ。
「あたし自身のためにも、ちゃんと向き合ってあげたいんだけど」
「……君自身のためにも、力を注ぐべき相談は選ぶべきだ」
つまり、解決すべき問題かどうかを最初から見定めろ、ってことか。
確かに相談を受けたからと言って解決しなければならないということはないのかもしれない。
解決に至るまでに何カ月かかるかも知れないし。
だけど、なんだかなぁ。
あたしは心のもやもやをなんとか言葉にしようと頭を捻った。
結果、出てきたのは至極シンプルな答えで。
「あたしが嫌なんだ。誰かの想いを聞いておいて何もしないなんて、それでもしその恋がダメになっちゃったら、気分が悪いじゃん」
結局は気分の問題だ。
あたしのわがまま、エゴってやつ。
「だからといって……今回はさすがに違うだろう」
「心配してくれてんの?」
「……何を今さら。当然のことを」
当然のことだと彼は言う。
でも、それは教師として?
それとも、未来の恋人候補として?
「……実は血文字の件は学校側も把握している。結局、犯人のわからない悪戯ってことで処理されたよ」
「警察には届け出てない、ってこと?」
「……ああ。学校っていうのは思っている以上に事なかれ主義なんだ」
つまり、先生たちに聞き込みをしてもはぐらかされる可能性が高いってことか。
そして頼みの星兎センセイも今回は乗り気じゃない。
「────じゃあ、自分で調べるしかないね」
「お前、引く気は無いのか」
当たり前だ。
多少危険だろうと、気分の悪くなる選択肢は選びたくない。
それに、犯罪者といっても所詮は高校生。
犯罪組織がどうとかっていうレベルじゃないし、なんとかなるだろう。
むしろこれを解決できたらものすごく経験値を獲得して一気にレベルアップできるかもしれないのだ。
よし、俄然やる気が出てきたぞ。
「あたしは強くなる。いつかセンセイを、おにーさんを知るために。……あなたを救って、ちゃんと恋をするために」
あたしは椅子から立ち上がる。
生物室を出ようと扉に向かって大股で一歩踏み出し、そして次の瞬間にはセンセイに腕を掴まれた。
ブラウンの瞳と緋色の瞳とが互いに焦点を結ぶ。
彼がここまで強い目力を込めるのは珍しい。
心の根っこを凝視される感覚。
「……止めても無駄だって顔をしているな」
「あたし、決めたらブレないから。わかってるでしょ、おにーさん♡」
そこから体感で三十秒あまり。
しばらく視線で戦った後、センセイはゆっくりと深く呼吸をしながら、目を伏せ、手を離した。
「……少し待ってろ」
彼はそう言うと、準備室の方へと歩いていく。
どうやら強く引き止めるのは諦めたらしい。
が、センセイは手に自身のスマートフォンを携えて、速攻で戻ってきた。
「……条件がある」
「やっぱし?」
彼はスマホを少しいじると、あたしに画面を見せてくる。
そこに表示されていたのはとあるアプリケーションのダウンロード画面。
「こいつを君のスマホにもダウンロードしてほしい」
「『ドコイルリンク』? 要するに、位置情報共有アプリってやつ?」
「そうだ。緊急時には、登録したアカウントに異常事態を知らせる仕組みもある。君のアプリと僕のアプリをリンクさせる、これが条件だ」
なんだそれ、厳しい条件どころか、役得じゃないか。
これでいつでもセンセイの居場所をウォッチできるってことでしょ。
「……なんで嬉しそうなんだ」
「えへへ、だって、常時位置情────じゃなくてセンセイがいざとなったら駆けつけてくれるってことでしょ。王子様召喚スイッチ。良いじゃん」
「……お前もストーカーだったか」
やっと気がついたのかこのヤロウ。
「……まあ、何かあったらすぐに連絡することと、ちゃんと使い方を練習しておくこと。良いな?」
「おっけー。これでまた一つ、センセイとの仲が一歩前進ってわけだ」
センセイはやれやれと肩をすくめると、あたしの頭にぽんと手を乗せた。
優しげな眼差しに冷ややかな苦笑いを乗せて、くしゃくしゃと髪を撫でてくる。
うん。撫で方がペット相手みたいな点以外は合格だ。
「言っておくが、僕は琴宮がこの件に関わることに納得しているわけじゃない。危ない目に遭うようならすぐに手を引かせる。良いな」
「そりゃもちろん。あたしだって、トラブルに巻き込まれたいわけじゃないからね」
あたしはニコニコ顔で、早速アプリをスマホに入れる。
これで煌青と関わることに免罪符を得たわけだし、具体的にどう動くかはこれから考えよう。
こうしてあたしは────想像とはまったく異なるトラブルの入り口に手をかける。
何に向き合うことになるのか、自覚しないままに。
[待ち受けるトラブルとは────!?]




