第二章 ──1 相談者:蟹藤煌青
文化祭も間近に迫る、九月の大型連休明け。
からりと乾いた秋晴れの、風の気持ちの良い木曜日の午後。
普段は遮光カーテンに閉ざされた生物室の窓も、空気の入れ替えのつもりで開け放つ。
外の空気はややぬるいが、風が吹くと涼しくもある。
帯で留めたカーテンの端が、風でパタパタ音を立てた。
そんな中、あたし────琴宮千星は一人の男子生徒と二人きりで向かい合っている。
さっぱりと刈り上げた頭にやや強面の、よく日に焼けたスポーツ男子。
あたしは彼を知っている。
二年生にして野球部主将、打撃も投手もどちらもござれ、人呼んで『宙高校のOタニサン』。
いつだったか、『面食い王子』について聞き込みをした時に少し言葉を交わしたことがある。
理科の実験台を挟んで対面するあたしたち。
真剣な面持ちの強面くんに対し、あたしは緋色の瞳をパチクリさせて、拍子の抜けた顔をしているはずだ。
なぜかというと。
「……ごめん、もう一度言ってもらえる?」
「今日、茶髪の女の子からビラを貰ってさー、ここで恋愛相談をしてもらえるって聞いたんだ。おれは野きゅ」
「そこはスキップしてもろて。本題の方をもう一度」
「あー、すまん。おれはさー、ぶっちゃけストーカーの被害に遭ってんだよ」
二度同じことを聞いたが、どうにも呑み込めない。
あたしは思わず自身の灰色の髪をクシャクシャと掻き上げた。
「……うん。それって、あたしじゃなくて警察案件じゃない?」
『恋愛相談室』を開設して一日目。
来たのは恋愛相談でなく被害相談でした。
「んー? でもさー、恋愛は恋愛だろ?」
「恋の形が歪んでるんだよ!」
恋愛音痴のあたしにだって流石にわかるぞ。
何を隠そう、あたしもとある人物のストーカーみたいなものだからな。
自宅に居座った挙句職場を特定してわざわざ編入してくるなんて付きまとい行為以外の何物でもないだろう。
ははっ。……そう考えるとあたしもいよいよヤバいやつだね。
「だけどよー。好きになっちまったもんはしょうがないというか。立派な恋じゃねーか?」
「まあ、解釈によってはそうなのかもしれないけどさ」
あたしが眉間にしわを作ると、強面くん────蟹藤煌青はパチンと大きな音を立てて手を合わせた。
まるで大仏にでも拝み倒すかのようにあたしに向かって拝礼をする。
「なー頼むよ! おれとあの子を引き合わせて欲しい! おれはあの子と付き合いたいんだよ!」
「いや待て待て待て! 話が見えないが!?」
あたしは丸椅子を膝裏で倒す勢いで立ち上がり、煌青へと身を乗り出した。
ストーカー被害の相談じゃなくて、ちゃんとした恋愛相談?
その二つがどこでどう繋がったんだ。
わけがわからない。
「だからさー、おれが、ストーカーの子のことを好きだって話!」
「初耳だし、聞いてもよくわからない」
ほとほと頭を抱えたくなる案件だった。
恋愛について知りたい、もっと役に立てる自分になりたい。
そういう思いから始めた『放課後恋愛相談室』。
ビラ巻き初日から人が来るのも予想外だけれど、初っ端から特殊すぎる相談とは。
はっきり言って、キャパオーバーである。
と、困惑している最中、胸ポケットから短めの電子音と共にバイブレーションを感じる。
スマホを取り出してみればそこには最高の助け舟が用意されていた。
────まずは時系列から聞いてみろ。
脳がメッセージを認識した瞬間、あたしは生物室の後ろの引き戸を見た。
壁が薄くて防音なんかほとんど無い、生物準備室の中に彼がいる。
背が高くて、物憂げで、青っぽい黒髪の長髪を後ろで束ねた、白衣の似合うギリ二十代のアンニュイイケメン。
あたしのストーキング相手である鷲見星兎センセイだ。
向こうで作業がてらに話を漏れ聞いているのだろう。
それで、あたしが困っているとみて即座にヒントをくれる。
いいね、お礼に今度抱かせてあげよう。ハグ的な意味で。
「じゃあさ、まずは時系列で話してみてよ」
言われた通り言ってみると、煌青は「よし来た」と勇んで自分の事情を語り始める。
「もう一年くらい前の話なんだけどさー。部活の最中とか学校帰りとか、なーんか誰かに見張られてる気がしたんだよ。夜道とか、足音がずーっとついてくる感じ? まー、それは今もなんだけどさー。で、明らかおかしーなって思った出来事があって、それが、土間んところに靴とか入れるロッカーあるじゃん? あれに血文字で『好き好き好き好き……』って」
「きゃああああああっ!?」
思わず悲鳴を上げてしまった。
そりゃ確かに明らかおかしーって奴だよ。
いきなり声を上げたからか、煌青はその強面をさらに引きつらせた。
「ご、ごめん。大丈夫、続けて」
「お、おう」
咳払いを一つ。彼は話の続きを始める。
「で、開けてみたら、ロッカーから髪の毛の束と大量の手紙が」
「ぎゃああああああっ!?」
怖い。怖すぎるよマジもんのストーカー。
煌青の事情をちゃんと汲み取ろうと、想像力を働かせながら聞いているから余計にだ。
胸のスマホがまた鳴った。
きっとセンセイも心配しているに違いない。
「ほんとごめん。つ、続きを……」
「だ、だいじょーぶかよ琴宮?」
あたしは手元にあったタンブラーのコーヒーを一気に煽る。
センセイ特製のブラックのやつ。
苦味とカフェインで思考を切り替え、根性を叩き起こすのだ。
「……さあ。聞こうか。あんたの恋バナって奴をさ」
◇ ◇ ◇
結果を言うと、その後に何度も絶叫し、絶句した。
煌青曰く、靴箱の手紙の中には同じような血文字と、かなり望遠で撮影された部活中の煌青の写真が入っていたらしい。
それも便箋一つ一つに別角度の写真が収められていて、中には更衣室内の隠し撮りもあったのだとか。
血文字はそれっきりだったが、写真は翌日も、翌々日も靴箱に入れられていた。
それは、下校中に通学路を歩いているところや、電車に乗り込むところ、自宅の最寄駅で降りるところ……と日に日に場面が切り替わっていき、ついには自宅の内部の写真まで送られてきたのだとか。
そこには彼の一人遊びの写真もあって。
「くっそー、恥ずかしーぜ、まじで」
「ど、どんまい」
「それによー」
彼が言うには、写真と共に一つのQRコードが添えられていたらしい。
「……読み込んだの?」
「ああ。開いたら、動画だった。見るか?」
「保存してんのかい」
ウイルスが仕込まれているかもしれないのに不用心な奴だと思いつつ、動画を見て納得した。
これはオトコノコなら保存する奴だわ。
「な、すっげーいーカラダだろ」
「自撮り動画ね……」
それも、かなりセンシティブなやつ。
首から下しか写っていないが、彼女こそがストーカーの犯人だろう。
好いている相手に別人のわいせつ映像を送る意味は無いからだ。
「それでさー」
話は終わらない。
その日を境に、今度は家のポストの中に、切った爪やちぢれ毛入りの小包が突っ込まれるようになった。
スマホには非通知の着信が相次ぎ、SNSのアカウントまで一時乗っ取られた。
冗談ではなく本当に警察案件なのだ。
「ごめん、今の話のどこに犯人を好きになる要素があったの?」
あたしが問うと、煌青は屈託のない笑みを浮かべて、
「だってさー。さっきの動画、めっちゃスタイル良かっただろー?」
とかのたまいやがる。
どこかの『面食い王子』とか『努力の姫』とかが聞いたらブチ切れるんじゃなかろうか。
ルッキズムどころか、カラダしか見ていない。やらしい意味で。
「それに、姿を全然見なかったわけじゃないんだよなー。何回か夜道を振り返ったらいてさー。急いで追いかけたんだけど、全然無理だったわ」
あたしは先程とは別の驚愕に震えた。
野球部主将相手に脚で勝つ女子なんて、もはや現代の妖怪じゃないか。
聞く話全部があまりにホラーすぎる。
「その時に顔は見てないの?」
当然の疑問。
しかし、彼はお手上げのジェスチャーで返答する。
「暗かったし、相手はマスクしてたし、カメラを構えてたことしかわからなかった。あ、そーそー、手掛かりになるかわかんねーけど」
煌青は自分の首元を指差しながら、反対の手で無い髪をかき上げるような動きをした。
「髪がなびいた時にさ、うなじにほくろが見えたんだ」




