第一章 ──18 開幕
遥果にセンセイからの一万円を託して支払いを任せ、あたしと八木はカラオケ店を飛び出した。
すっかり日の沈んだ街。
センセイの自宅付近と比べると、やや活気の無い街。
点々と続くオレンジの街灯の道を走った。
街灯とその合間とで明と暗が繰り返す。
心の中のサイレンはずっと鳴り響いている。
信号のところでネイビーのSUVに出くわした。
センセイに拾われて、車内で状況を聞く。
病院にはあっという間に着いた。
「ひかり!?」
救急外来の入り口から病院へ飛び込んだ。
「ご家族の方ですか?」
「ど、同級生です」
「では、処置が終わるまで待合室でお待ちください」
さすがに受付で止められてしまう。
マスクはお持ちですか、なんてやり取りがすごく事務的で、それに引っ張られるようにしてあたしの頭も少し冷静になる。
遅れてセンセイがやってきて、彼は処置室の中へと導かれて入った。
これが先生と生徒の立場の差か。
生徒二人はおとなしく待合のベンチに座る。
「ひかり、最終下校時刻まで頑張ってたって」
「ああ。みたいだな」
「みたいだな、って、もっと他に言うことないの?」
「……悪い、ちょっと俺もいっぱいいっぱいだ」
「……ごめん」
それからしばらく無言の時間が訪れる。
八木は祈るように手を組んで顔を伏せ、あたしはじっと救急外来の赤い文字をぼんやり眺めていた。
あたしたちは加害者だ。
ひかりを追い詰めた挙句何もフォローできなかった。
夕方の縄跳びの後、ひかりは演劇部の練習に戻ったらしい。
衣装メイク担当ではあるものの、大道具や小道具の作成の手伝いなどやることは多い。
部活後にひかりは「もう一周だけ外周を走る」と言い、その時にふらりと倒れたそうだ。
元があまり運動しないタイプだったのに、無茶をしすぎたんだ。
上級生たちが顧問に連絡し、救急車が呼ばれた。
星兎センセイのもとに仔細が知らされたのはその後だ。
「ひかり……」
祈るように呟いた。
三十分ほどすると、扉からひかりと彼女の母親らしき人物、演劇部の顧問とセンセイが連れ立って出てきた。
ひかりは自分の足で歩けている。
安堵と共に、あふれてくるのは罪悪感。
ひかりの母親に謝り倒している二人の教師の姿も申し訳なさに拍車をかける。
ひかりだけじゃなく、センセイにまで迷惑をかけてしまった。
「こ、琴宮さん。そ、それに」
「やあ、ひかりちゃん。……もう大丈夫なのかな」
八木が心配そうに声をかける。
ひかりは目を伏せてやや戸惑った表情を見せたが、すぐに気丈な態度を示した。
「す、少し、頑張りすぎちゃいました」
「顔色は良さそうだね」
「て、点滴を打ってもらったら、元気になりました。もう、平気です」
ご心配をおかけしましたと彼女は深々と頭を下げる。
瞬間、あたしはどうしてもいたたまれなくなって、ひかりの前に飛び出し、その肩に優しく触れた。
これ以上頭を下げる必要はない、と彼女の半身を支えるために。
「謝るのはあたしの方。無茶なスケジュールを立てて、無謀な挑戦をさせてごめん。止められなくて、ごめんね」
「ううん」とひかりは首を横に振る。
「こ、琴宮さんが最初に立て……っ立ててくれた目標を引き上げたのは私だもん。自己責任、だよ」
そうは言ってもあたしの気持ちは晴れない。
もっとも、この反省は抱え続けるべきもので、晴らすようなことではない。
そこであたしが再び謝罪の言葉を口にしようとしたとき。
「ひかりちゃん」
八木があたしの前に体を割り込ませた。
彼はそのままの勢いで両膝と両手を床に付けると、頭をこすりつけるほどに深く謝罪する。
「ごめんなさい。……俺は、君と話し合うべきだったのに、君を焚きつけて、何もしないで、それでこんなことになって……。本当に、申し訳ありませんでした!」
「せ、先輩。やめてください。こ、こんな……」
ひかりがしゃがみ込んで八木の体を起こそうとしている。
しかし彼は頑なだ。
時折嗚咽しながらも必死に謝り続けていた。
同じ加害者であるあたしからしても、痛々しくて見ていられないほど。
「せ、先輩。私、こ、この二ヶ月間はす、すごく充実していました。す、すごく楽しかったんです。だから、もう謝らないでください」
「ひかり、ちゃん」
体を起こした彼は、袖で顔を拭うと、申し訳なさに押しつぶされそうな表情をやっとひかりの前に露わにした。
彼の額は床に押し付けられて赤くなっている。
目だって腫れぼったくなっていた。
「ふふ、せ、先輩ったら酷い顔。そ、そんな顔をさ、させちゃうなんて、私は悪い女ですね」
「君に悪いところなんて、一つもないだろ」
「そそ、そうでしょうか。わ、私、意地っ張りで頑固で、やっぱり悪い子です」
ひかりは物憂げな表情を見せた。
誰もがみんな、自分が悪いと思っている。
あたしも、八木も、ひかりも、きっとセンセイも。
みんなが自分を責めている気がした。
このままじゃ皆がルーザーだ。
それは、嫌だ。
あたしは二人の腕を引いて立ち上がらせると、作り笑顔で呟いた。
「……勝ち、だね」
八木の事情は聴いた。
ひかりの努力も知っている。
二人が想い合っていることもわかってる。
ならば、この場で下されるジャッジは、たった一つ。
「『面食い王子』にここまでさせたんだ。この不器用な男の感情をここまで引き出させたんだよ。……ひかりの勝ち、でしょ」
「わ、私の」
突然の勝利判定に戸惑うひかり。
しかし八木もあたしに便乗する。
申し訳なさを隠し切れない、不器用な笑顔で。
「そうだね。確かにひかりちゃんの勝利だ」
彼もきっとあたしと同じ思いに違いない。
ひかりにこれ以上の無茶をさせないためには、幕引きを図るタイミングは今しかないのだと。
「で、でも私、も、目標に届いてない」
「そもそも目標に到達するのが勝利条件じゃないでしょ。それは、八木に挑むタイミングの話。でもね、ひかりが八木に『挑み続けてる』のは明らかで、たぶんタイミングなんて設定しなくてもよかったんだよ。ひかりの頑張りは、全部こいつに届いてた。こいつの心を揺さぶった。だから、第一ラウンドはひかりの勝利なんだよ」
「こ、琴宮さん……」
言い終えて、あたしは一呼吸を置く。
二人がちゃんと未来へ向かうために、あたしがすべきことは。
────そう、お膳立てだ。
「だから、今からが第二ラウンドだよ。八木の真意を聞いて、ちゃんと想いを伝えあうんだ。それでいいよね、八木?」
「ああ。もちろんだよ」
ダイエットの目標達成をすっ飛ばして次の段階へ進む。
急遽訪れた告白の流れに当然ひかりは慌てた。
「い、今から?」
「そ。今から。……あ、だけど体調がまだ回復してないなら後日にする?」
「う、ううん。大丈夫。わ、私頑張るよ」
ひかりは最初こそ戸惑ったが、今がその時だと理解したのだろう。
すぐに覚悟を固めたみたいだった。
あるいは覚悟など最初からできていたか。たぶん、後者。
そうと決まれば、善は急げだ。
「行こう。決戦の地へ!」
ちょっとカッコつけて言ってみた。
ひかりも八木も、少し笑ってくれた。
◇ ◇ ◇
ひかりの母親はあまり怒っているという感じではなかった。
娘から色々と話を聞いていたらしく、娘の無茶を咎めることがあっても他人を非難するということはなかった。
やはり親子は似るのだな、としみじみ思う。
最低の母親を持つあたしにとってはフクザツな話だ。
「……着いたぞ。ここでいいんだな?」
「ありがとね、センセイ。やっぱり、場所はここじゃないと」
あたしはセンセイに頼み込んでとある場所に連れてきてもらった。
その場所は、ひかりと八木が初めて多くを語り合い、演劇の練習をしたという公園だ。
途中で遥果を拾うことにも成功したため、これで当事者は一通り揃った形になる。
時刻は夜八時を回る。
奇しくも二人の馴れ初めと同じような時間帯。
「……僕は車の中で不審者が来ないか見張っているよ」
それは生徒たちに対するセンセイなりの気遣いでもあったのだろう。
実際、思いの丈をぶつけるさまを先生の前で披露するなんて気恥ずかしいだろうし、気後れしてうまく話せなくなっても困る。
あたしとひかり、八木、遥果の四人は車を降り、いそいそと公園の敷地内へ入っていく。
夜闇の中、公園の一角だけが明かりで浮かび上がって見える。
まるでステージ、主役が立つべき最高の舞台だ。
「少し離れた場所にいよっかっ」
「そだね」
我々傍観者は少し離れた場所で彼らを見守ろう。
そう思い、あたしと遥果は公園の隅に歩いていこうとしたのだけれど。
一行の歩みをひかりの一言が立ち止まらせる。
「ま、待って。こ、琴宮さんたちにも、見ていてほしいの」
「大丈夫っ? 気恥ずかしくないっ?」
「大丈夫。わ、私はちゃんと見せたいから。私の、こ、恋の結末を。二人に」
「わかったよ」
あたしたちは歩く方向を変え、公園の灯火の光の端に並んで立った。
観客席でなく舞台袖で、主役の二人を見守るのだ。
ひかりと八木は灯火の下へ。
数歩離れた場所で互いに向かい合って、互いの視線を絡ませていた。
虫の声がりりりりと。
ブザーが鳴った。
緞帳は上がる。




