第一章 ──16 相談者:八木広大
俺に最初の彼女ができたのは、今から三年前、中二の夏だった。
相手は一つ年上の塾の先輩。
俺も以前から「ちょっといいな」なんて思っていた人だ。
顔が可愛くてスタイルもよくて、さばさばした性格。
向こうから告られたときは嬉しくてテンションがおかしくなりそうだった。
この人と幸せになるんだーっつってさ。
ある時、塾に自習に行ったんだ。
普段は自習なんてしないんだけど、その日はたまたま気分が乗ったんだと思う。
そしたら、塾の近くにある小さな公園で、彼女含む先輩たちの集団がおしゃべりをしていたんだ。
声をかけようかとも思ったんだけど、邪魔しちゃ悪いなって教室へ入ろうとしたんだ。
そしたら。
「えー? 今の彼氏? どっちの? ……あー、こーくんか。うん、ヤッたよ」
「まじで? どうだった?」
「中二にしてはデカいんじゃない? でもイケなかったわ。もう一人のテクがやばいからかな? あはは!」
耳を疑った。
今あそこで話しているのはいったい誰なんだろうって前提から疑った。
俺の知らない彼女がそこにいて、ペラペラと下品な話で盛り上がってる。
なんだこれって、頭の中がぐちゃぐちゃになった。
やめてくれって、心の中で何度も叫んだ。
だけど、彼女の話は終わらないんだ。
「普段甘えられるのが八木くんで、エッチの時に甘えるのが先輩ってこと?」
「ううん、ちゃうちゃう。どっちも先輩の方。こーくんはさ、イケメンじゃん? なんていうか、ステータスなんだよね。ブランドバッグみたいな?」
「ええ! じゃあイケメン連れ歩きたいからわざわざ告ったの! やば、うける!」
「でしょ? あははは!」
限界だった俺は、教室の扉を開けずにそのまま家に向かって走った。
がむしゃらに走って、たぶん信号なんかも無視して、気が付いたらベッドで泣きじゃくってた。
彼女とセックスしてたそのベッドで、彼女の体の匂いなんかも残ってて、余計に悲しくて、叫んで、吐いて、朝までずっとそうしてた。
さすがに学校も休んだよ。
とても人に会う気分じゃなかったからさ。
でも、思ったんだ。
ここで折れたら完全に負けだって。
どうせなら彼女を俺の虜にしてから────そのあとボロ雑巾のように捨ててやるって。
復讐心に火が付いたんだ。
────こーくん、上手になったよね。
────今日もすごくよかったよ。
────どうしよ。こーくんなしじゃ生きていけないかも。
そして、最後には泣いて縋り付いてくる彼女を思いっきり捨てた。
街のど真ん中で、浮気の証拠とかばらまいて、クソビッチって罵って別れてやった。
スカッとしたよね。
だけどどうしようもなくむなしくて。
ああ、俺ってもうまともな恋愛無理かもなって悟ったのもその時だ。
実際、今の今までまともに付き合えた奴なんか一人もいないしね。
例えば、三人目の彼女。
これは中三の秋ぐらいだったかな。
相手は学校の後輩。
吹奏楽部の子でさ、見た目はちょっと地雷系入った美人だった。
美人なら俺をステータス扱いしないと思って告白を受け入れたんだ。
「先輩、大好きです♡ またデート行きましょうね♡」
「ああ。また遊ぼうね。大好きだよ」
大好きではなかった。
でも、少し期待していた。
この子となら……って。だけど。
「────なんだよ、これ」
見つけてしまったのは彼女のSNSの裏垢。
そこに並んでいたのは俺への罵詈雑言だった。
さかのぼって調べてみると、初めの方こそ俺への愛で埋め尽くす勢いのちょっとヤンデレこじらせたみたいな投稿だった。
だけど一カ月を過ぎたくらいから、デート中のちょっとしたことへの愚痴だとか、話のテンポが合わないだとか、ありとあらゆることへの文句が書き連ねられていた。
「『イケメンだから付き合ってやってる』……こいつもかよ」
あげくには最近できたらしいセフレとのハメ撮りらしきものまでストーリーに載せてたよ。
さすがにこれには気持ちが悪くて引いた。
どうぞお幸せに、って感じで速攻で別れたよ。
そのあとも、「かっこいいから付き合ってみたけど合わないや」って勝手に告白して勝手に別れるやつとか、俺をペットにしようとしてくる金持ちの娘とか、俺はとにかく女運が無かった。
そのうち、女ってやつを冷めた目で見るようになった。
外見しか見ないくせに、見栄のために生きているくせに、何かあったら男のせいにする、私は悪くないって顔で、俺を蔑んでくる。
そんな女という生き物が憎くて憎くて仕方がなくなった。
だったらいっそ────あいつらのプライドをへし折ってやるのはどうだ。
見た目のいい女を落として、捨てる。
少し付き合って、相手の嫌なところをめちゃくちゃ指摘して別れる。
プライドをズタズタにされた女は謝りながら俺に縋り付いてくる。
俺は付き合い続けるなら、と厳しめの条件を言い渡す。
少しだけ希望を見せた後に、それすら踏みにじる。
これは俺の復讐だった。
女たちは俺に悪評が立ったとしても、顔が良いからってすぐに引っかかる。
「……やっぱり、あいつらは顔でしか価値を見出さないんだ」
俺は余計に女に冷めていった。
そんな時だった。
「や、八木先輩って、す、すごく努力の人、ですよね。私、そ、尊敬します」
「……そうかな」
「はい! こ、こんなに遅くまで残って、一人で練習して、し、しかも、そそそれを自慢しないというか。か、陰で自分を磨くのって、すごいです」
「ありがとね。ひかりちゃん、だっけ」
「お、覚えててくれたんですね。き、き恐縮です」
学校からそう遠くない夜の公園。
その子はおどおどした態度をとりながらも、俺の方をまっすぐに見て、容姿じゃなく行動を褒めてくれた。
最初は、俺に近づくためのおべっかだと思った。
お世辞を言って近づいて、結局顔しか見ていないんだろうって。
だけどさ。
「わ、私で良ければ、れ、練習につつ付き合います。ど、ドモリなんで、せ、セリフとか難しいですけど、ま、間の取り方とかさ、参考にしてもらえれば」
「良いの?」
「はい! じ、じゃあ先輩。さ、さっき話してたところの、ひとつ前のせ、セリフからお願いします」
「おっけー。じゃあ、いくよ」
はじめはたどたどしい二人だった。
演技の初心者に、仮入部の新入生。
間の取り方も何も、そもそもセリフを覚えきれてすらいなかった。
だけど一時間以上も経ってくると、少しは慣れるもので。
「『彼を失ったのは、もうせ、千年も前なの。そ、それから私はずっと、一人きりだった』」
「『でもこれからは俺がそばにいる。何年でも、何百年でも』」
「『無理よ。だって全ての不死の呪いは私が一人で受け入れて、もう死なない人間なんて、こ、この世には────』」
「『違うんだよ。そうじゃない。────俺は人間じゃなくて、悪魔なんだ。祈りから生まれた呪いを解くことはできないけど、共に時を刻むことくらいはできる。だから君はもう、孤独じゃない』」
何とか形になっていた。
二人で一つの台本を回し読みしながら、少し身振りも加えて演じられるようになったんだ。
夜遅くまで練習に付き合ってくれた彼女に、俺はただ感謝しかなかった。
ただ、そのことを伝えると。
「い、いいえ。せ、先輩は代役としてき、来ていただいてるんですから、こ、ここちらがお礼を言う立場で、私なんかは、べつに」
「それでも、ありがとう。家まで送ろうか?」
「そ、そそそんな。わ、私をお、襲う人なんていませんから、だだ、大丈夫です!」
ぺこりと頭を下げて走っていく彼女。
なんだか変わった子もいるんだなって、その時は特別な思いなんて抱いてはいなかった。
だけど、翌日。
演劇部に顔を出そうとしていた俺の耳に、舞台袖から声が響いてきた。
それはすごく切実な、そして切羽詰まった感じの声だった。
「せ、先輩はすごくが、頑張ってるんです! こ、こちらが手を抜くなんて、し、失礼ですよ!」
ひかりちゃんが、演劇部の二年生に食って掛かっていたんだ。
「だけどさぁ、八木君だって素人でしょ。周りが真剣にやってても一人が棒読みだと浮いちゃうんだって。だったらいっそ、イケメンさを押し出した演出で観客の目を引いた方が良いんだって」
「で、でも! 八木先輩は、あ、ああんなに努力してるのに!」
「────ひかりちゃん、どうしたの」
「あ……先輩」
見ていられなくて、割って入った。
漏れ聞こえていた声から何を話していたのかは理解していたけど、俺は説明を求める。
素人演技が悪目立ちしないように演出で誤魔化し、全体的に演技の質を落とす、という話。
「じゃあさ、今まで通りの演出で、一回通しでやってみようよ。俺の演技がダメダメだったら、新しいプランに即切り替える。妥当な提案だろ?」
そうして俺は、磨き抜かれた演技で黙らせる────なんてことは土台無理だった。
付け焼刃じゃ、何カ月も研鑽を重ねてきたキャスト陣には及ばない。
俺たちは演出の変更を受け入れることになる。
「す、すみませんでした。私のせいで、せ、先輩にき、気を使わせてしまいました」
「ううん、大丈夫だよ。俺も甘く考えていたかもしれない」
「あ、明日の本番は頑張りましょう! そ、それこそ、せ、先輩方を見返しちゃうくらいに」
「ああ。ひかりちゃんも、舞台メイクよろしくね」
真っ直ぐな子だな、と思った。
何事にも一生懸命で、昨日だって俺のための衣装直しやメイク案を居残って作っていたらしい。
そして、変な意味で俺を特別扱いはしない。
頑張った部分だけを正当に評価してくれる。
真っ直ぐすぎて、きっと生きづらいだろうな、なんて思う。
ああいう子だったら、俺だって。
いやいや、何を考えているんだ。
俺はかぶりを振る。
俺はもうまともじゃない。
歪んだ承認欲求と復讐心に縛られた、性格の終わってる不細工な男。
綺麗な心の持ち主には、綺麗な心のやつがお似合いなのさ。
どうせ、世の中の大半の女は俺の本質を見ない。
俺の外面すらコテンパンにぶちのめせるような女が出てこない限りは、俺は八つ当たりをやめないだろう。
────だけど、もし俺の外見にとらわれない子が現れたら?
その時俺は改心できるのだろうか。
ふぅ、とため息を吐き、俺はスマホの通知を見る。
ちょうど、声をかけていた子からの連絡が来ていた。
「椎布遥果ちゃん、か。この子レベルでもダメなら、俺は……」
返信を先延ばしにしてスマホをポケットに突っ込む。
腹の中に不安定な重石を携えながら、俺は脳内で明日の舞台の予行演習を始めるのだった。




