第一章 ──15 ビンタビンタ
「な、なんのことですか八木先輩? 私は何も」
「お前、マジで言ってるのか?」
「ひっ」
あたしに背後を向ける八木がどんな表情をしているかは知れない。
しかしその背中が語るのは怒りだ。
「『ひかりちゃんのことを不名誉な呼び名で呼ぶ奴がいる』。それで、どうも『俺のファンを自称する女子がそれを広めている』らしい」
「な、何のこと」
「少し前に俺のところに入ってきた情報。お前だろ、犯人」
落ち着いた言葉遣いだけれど、実際は言葉の端々に怒気が滲む。
不合格ちゃんの怯えようからしても、八木は相当の形相を浮かべているのだろう。
間違いなく、彼は今、ひかりのために前に立ってくれている。
はたして今だけの話なのだろうか。
あの口ぶり、もしかしてずいぶん前からひかりのことを気にかけてくれていたのでは。
「ひかりちゃんの件だけじゃない。他人のことを悪く言いふらしてる奴が俺のファンの中にいるって、今年に入ってからめちゃくちゃ言われるんだ。それも、お前らだろうな。例えば────」
八木が淡々と突き付ける事実に顔面が蒼白になっていく女子生徒たち。
「違う、違う」と否定する言葉は、八木が個別の事例を挙げていくたびに徐々に力を無くしていった。
やがて、目に涙をいっぱい溜めた不合格ちゃんがポロリと漏らす。
「あ、私だけじゃない、そ、そこの二人だってみんなに言いふらしてたし!」
「ハァ? 言い出しっぺはあんたじゃ──」
「だって! キモいとかって二人が言うから!」
「おい」
不合格ちゃんはあっさりと身内を裏切った。
それについて仲間から反論が飛び出すが、八木が声で威嚇するとなすりつけ合いがピタリと止まる。
「仲間割れは後にしてくれ。つーか自分の言葉にすら責任持てないって、本当に不細工だぞお前ら」
「……! あんただって、またそうやって人をバカにする……!」
不細工だと、八木の一言が再び彼女らを殴りつける。
その言葉にカチンと来たのか、それとも先ほどの仲間割れのせいか、不合格ちゃんは被害者面をやめて不機嫌モードだ。
「なんなん? 自分がイケメンだからってさ、人のことブス呼ばわりして、酷くない? さいってー!」
彼女は八木に食ってかかる。
容姿をなじる彼の言動を最低だと吐き捨てるが、それをあんたが言うのか。
それに先ほどの八木の言葉は本当に外見を貶すものだったのか。
あたしには別の意図が透けて見える気がしていた。
しかし、あたしが覚えた違和感に不合格ちゃんは気付かない。
そして言動が自分へのブーメランとなっているのにも気付かない。
彼女の愚かさにあたしは毒気を抜かれて、なんだか呆れの方が勝ってきた。
そしてそれは八木も同じだったようで。
彼は力を緩めると、やれやれと髪を掻き始める。
「────まあ、煽るためにわざと勘違いさせるような言い方をした俺もアレだけどさ。言っとくけど、見た目だけならお前はそこらの女子よりイケてるからな?」
「は?」
不合格ちゃんの表情には、急に何を言い出すんだ、という困惑。
けれどあたしには彼の言わんとしていることが読めてきた。
つまるところ、彼が揶揄したのは容姿じゃない。
「ああっ、くそッ。見た目だけで評価すんのマジでだるい。けど今のがお前に対する俺の評価だ」
「じゃあ、面食い王子的には私もアリだったってこと?」
一瞬にして不合格ちゃんはアンチからファンの顔に戻る。
なんとも都合の良い解釈。
そしてまだ、空気を読めてはいない。
「いいや、不合格だよ。いくら顔がそれなりでも、その腐った性根とか態度の方が不細工なんだからさ。……性格の悪さで言えば俺も大概だが、それでもお前は俺に釣り合わねぇよ」
「あ……あ……?」
やっぱりだ。
八木は人間を外見だけで判断するのを嫌う。
いや、憎むというレベルかもしれない。
彼は初めから人間を総合的な目で見ていたんだ。
ルッキズム? 真逆じゃないか、この男。
「なんで、なんで、どうして、どういうこと、意味がわからない、意味がわからない!」
再びの不合格通知。
彼女は目をぐるぐると泳がせて、半ばパニックに陥っている。
自らに下された正の評価と負の評価を正しく受け止めきれないのだ。
もちろん客観的に見れば絶対値は負の方が圧倒的に大きい。
あたしは体に力が戻るのを感じ、センセイを支えにしながら立ち上がった。
スカートの裾を手で払い、まっすぐに彼女の元に向かう。
「琴宮、さん」
不合格ちゃんは光の無い目であたしを見た。
対するあたしは優しい顔をわざと作って、彼女のために八木の言葉を噛み砕いてあげることにした。
「あのね。要するに、『性格悪いから無理』、なんだって」
「……は。え、う……っ」
「八木のことをよく知りもしないのに、容姿だけで黄色い声をあげる。他人の容姿を貶し、努力する人を笑い、仲間すら平気で裏切って、自己中心的にしか物事を捉えない。そういうところが受け付けないんだってさ」
「だ、だって、うっぅ、だって……」
「まだ言い訳する気。今のままのあんたじゃ、もう誰にも言葉は響かないよ」
「……! ハッ、はっ……ッ」
過呼吸気味になりながらヘナヘナと座り込んでしまう様を、あたしは無表情に見下ろした。
一方、いつの間にか他人事みたいな顔でいた残りの二人には、とびきりの蛇睨みで釘を刺す。
とりあえず言いたいことは言えた。
今のあたしにやり残したことがあるとすれば。
「八木」
あたしは彼に呼びかける。
「どうした」と問いを返した八木の頬に向かって、あたしは。
「あんた、めんどくさい」
「めんどくさいって──って、痛ッ!」
軽くビンタを叩き込んでやった。
いや、ほんとに軽くね。
思いっきりぶちかましたくなるような怒りもすでに感じていないし、叩いた手の方が痛くなるのもバカバカしい。
けれど、しょうもない言い回しで人の心を弄んだというその一点は許せなかったから、心を込めて掌を彼に贈ることにしたのだ。
「要するにあんたは、ひかりを悪く言うやつがいるのを知って、あたしを利用してこいつらを炙り出した。で、相手を煽ったのは良いけど、ひかりが八木の言葉に反発して事態がややこしくなって、あんたも引くに引けなくなった。ってことで合ってる?」
八木の行動の裏にあった思考を看破する。
半分くらいは予測だが、もう半分はほとんど確信だ。
八木は答える。
「……まあ、八割がた」
「……もっかいぶっていい?」
「それで千星ちゃんの気が済むなら────って痛ッ!?」
あえてさっきと同じ側を平手打ちにした。
しばらくヒリヒリを味わうがいい。
ふう、と肩を撫で下ろして、再びあたしは女子たちの方へ向き直る。
たったそれだけで彼女らは一歩後ろに下がった。
またお説教タイムが始まるとでも思っているのかな。正解だよ。
あたしがこいつらに伝えたいのは二つ。
まずは一つ目。
「と、いうわけで。八木の性格もだいぶ終わっているとわかったわけだし、もう変に執着しなくてもいいっしょ。あんたらは自分を見つめ直す機会だと思って反省するといいと思う」
彼女たちは互いの顔を見合わせてしゅんと肩を落とした。
「それから」
二つ目。
あたしは大股で不合格ちゃんに詰め寄り、片膝をついて彼女の胸ぐらを思い切り掴んだ。
彼女は逃げる隙も与えられず、されるがままにあたしに拘束された。
怯える彼女の目を緋色に燃える眼差しで貫きながらあたしは言う。
「ひかりに対しての暴言は、あたしは一切許さない。金輪際関わってくんな」
もう二度とひかりを傷つけさせはしない。
そのために嫌われたってあたしはかまわない。
「返事は」
「は、はい」
彼女はこくこくと首を小刻みに振った。
そして力なく立ち上がると、すごすごと退散をはじめる。
他の二人も彼女に続くが、互いに不和が生まれているのか、不合格ちゃんに肩を貸すものは誰もなかった。
◇ ◇ ◇
女子生徒たちが帰ったあと、あたしは校舎の影にふらふらと倒れこんだ。
緊張の糸が切れ、動けなくなってしまったのだ。
あたしが地べたに座って休んでいる間に、センセイは「自販機で飲み物を買ってくる」と言い残して駆けていった。
本当はお姫様抱っこで準備室まで連れて行ってもらいたかったが、八木の手前、不用意なことはできない。
「千星ちゃんっ、だいじょぶっ?」
日陰の中に入ってきたのは一人の美少女。
額に粒の汗を浮かべるさわやかな顔つきの茶髪ポニテ女子。
「遥果。……ひかりは?」
「さっき演劇部の方に戻ったよっ。はいこれ、日傘があっちまで飛んできてたっ」
「拾ってきてくれたんだ。ありがとね」
遥果は日傘をあたしに手渡すと、すぐ近くに立ち尽くしたままの八木の顔をじーっと見つめる。
そして。
「……何かあったねっ」
と、事態を察した。
聡いやつめ。
「それがね、」
あたしが遥果に説明をしようと話し始めたその時。
被せるように八木が言った。
「あのさ」
「────どうしたの?」
八木はいつになく真剣な面持ちだった。
飄々とした軽薄さはどこへやら。
不器用さと生真面目さが表情にまで現れている。
きっとこれが生来の彼なんだろう。
あたしはやっと彼の仮面を剝げたのだ。
彼は若干目を伏せた後、すぐにあたしの方を見て、少し溜め気味に言葉を発した。
「……相談があるんだ」
「相談?」
「君たちは、ひかりちゃんの恋愛相談に乗っているんだろ?」
「まあ、そうだねっ」
「だったら────」
中庭から校舎へと風が吹き抜ける。
からっとした空気に残暑の残り香。
影にいるあたしには周りのすべてが眩しく見える。
日差しの中で、彼が言う。
やっと漏らした本音の声を。
「俺の相談にも乗ってほしい。────好きな子に、俺を諦めてほしいんだ」




