第一章 ──13 ひかりの翳り
「……ダイエットの初めは体重が落ちやすいようだ。弓永は今までが単純に運動不足だったから特にだろう。運動量が増えて代謝が上がり、そのうえ間食も抑えれば、エネルギーの収支的にいったんは痩せる方向に向かう」
カーテンで外からの日差しが遮られた薄暗い生物準備室。
カーテンの隙間からの明かりと、廊下側の引き戸、生物室側の扉から漏れる光だけが部屋の輪郭を映す。
明るいのを好まないセンセイの空間。
普段は心地よい薄暗さだけれど、今はなんだかどんよりして見える。
センセイの分析に、あたしは質問を返す。
「じゃあ体重が減らなくなったのは?」
「……消費されやすい内臓脂肪が減ったこと、グリコーゲンの消費に伴う水分の減少が落ち着いたこと……それに、急激なエネルギーの消費を感じて体が省エネモードになっているのかもしれない」
むしろ、七キロも一気に痩せた方が異常なのだという。
大体は二、三キロ落ちた時点でこの現象が起きるらしい。
この停滞期に負けずにダイエットを続けられるかどうかが一つの関門ということのようだ。
諦めなければ、徐々に体脂肪は燃焼される。
だけど、あたしは期限を決めてしまった。
夏休み明けというざっくりしたものではあるけれど、あたしの引いたタイムリミットがひかりを苦しめてしまっている。
「ひかり……」
この重たそうなカーテンの向こう側では、今もひかりがもがいているのだろう。
最近のひかりは演劇部の上級生達が文化祭の段取りなどを話し合っている合間にランニングをしているのだという。
少しでも代謝を上げるために。
「あたし、いってあげなきゃ」
「千星」
あたしがひかりの元へ行こうとすると、センセイが言葉で制止した。
彼があたしを名前で呼ぶ時は、大体が切羽詰まっている時だ。
「だめだ。気になるなら椎布にでも任せておけ」
「遥果に? で、でも……」
センセイは首を縦に振らない。ただ真っ直ぐにあたしの目を視線で射抜く。
「弓永のことも心配だが、お前自身の体も大事だろ。……紫外線に弱いのに、無茶をする」
センセイはあたしの耳のあたりを見つめながら切なげに顔をしかめた。
瞬間、意識から切り離していたヒリリとした痛みが顔を覗かせる。
ジクジクと膿む感覚。
気にし始めるといつまでも気になってしまう不快感。
あたしの皮膚は今、赤く腫れてしまっているのだ。
これでも少しは引いたほうで、酷いときは水ぶくれもたくさんできて、ただれていた。
────千星、お前それどうした。
それは、引き締まった身体をセンセイに見せるため、あたしがフルヌードをかました夜のこと。
センセイはあたしの裸を見るなりすぐに顔を背けたけれど、すぐにもう一度視線を戻し、あたしの身体を観察し始めた。
首筋からうなじ、耳の裏のあたりが赤くなっているのに気がついたからだ。
────日焼け止めは、してなかったのか?
────してたよ。一番強いやつ。あはは⋯⋯それでもやっぱダメだったか。
あたしは生まれつき色素が薄い。
髪が灰色なのも、瞳が緋色なのも、メラニン色素が少ないからだ。
肌は雪のように白くて、紫外線の影響をモロに受ける。
少しくらい良いか、と甘く考えていた。
結果は皮膚の炎症という形で帰ってきた。
あたしは元来が夜の人間。
夜でしか生きられない人種なのかもしれない。いろいろな意味で。
「⋯⋯弓永を止めるなら、代わりに僕が行ってくる。君はなるべく屋内にいるんだ」
「もう、心配性だよ。でも、ありがとう」
センセイはデスクの上の書類を軽くまとめて引き出しにしまい、席を立った。
本当に様子を見に行ってくれるらしい。
あたしは彼の背中を見送ると、カーテンの隙間の明かりを恨めしく見つめた。
「⋯⋯自分だって、光に過敏な体質なくせに。かっこつけちゃってさ」
あたしは下唇を噛み締める。
少しだけ、鉄の味が滲んだ。
時刻は午後四時半を過ぎたところ。日付は九月十日の木曜日。
夏休みが終わって一週間以上が過ぎていた。
[約束の刻限はとうに────。次回、物語は動き出す……!]
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