第一章 ──12 努力の先に
ひかりとの打ち合わせの翌日。
とある目的のためにほうぼうを探し回ったあたしは、ついに図書室で暇そうに読書していた男を捕まえた。
そいつは元々美術部に被写体として呼ばれていたのだが、昨日の一件により敬遠され、手持ち無沙汰になってしまったらしかった。
あたしはそいつを図書室から引きずり出し、教室棟への渡り廊下まで連れて行った。
渡り廊下は普段から換気のための小窓が開け放たれていて、声が反響しづらいのだ。
話をするには都合がいい。
あたしたちを出迎えるように夏の空気が通路を吹き抜ける。
風に吹かれながら、あたしはにこやかに用件を話した。
「────と、いうわけなんだけど、さすがにセンセイが無謀だって止めてね。だけどひかりは『挑戦したい』って主張して。結局、夏休みが明けるまでにマイナス八キロ。これが最終目標」
男は自らのダークブラウンの髪をくしゃくしゃと掻きながら、人並外れて整った顔に訝しげな表情を浮かべている。
疑問符が表情になったらこうなるだろうな、という顔つき。
「なぜ俺に言う?」
「あんたを逃げられなくするためだよ。数値目標を示しておけば、それを達成した相手を順当に評価せざるを得なくなる。のらりくらりと交わすことも難しくなる、でしょ」
男────八木広大は呆れたように肩をすくめる。
「別に逃げも隠れもしないのにさ。それとも、俺に会いたくなった口実にひかりちゃんを利用してるのか?」
「その、違うってわかってるのにジョークに使うのやめなよ。キモいから」
「辛辣だね」
彼はくすりと笑った。
晴れやかな表情だ。
ここだけ切り取れば悪意のかけらも感じないほどに。
ここ二、三日の一連の出来事により、あたしの中に一つの仮説が生まれていた。
こいつは自分を嫌う人間こそ好きになるのかもしれない。
だとすれば、ひかりの好意をどう思うのだろう。
「あんたさ」
「何?」
「いや、なんでもない」
あたしはそれを確認しようとして、風に流した。
その答えは、ひかりと共に聴こう。
ひかりはきっとやり遂げてくれるから。
◇ ◇ ◇
ダイエットは星兎大センセイの監督の下で進められることになった。
夏休み中も先生としての仕事は色々あるらしいが、片手間で良いから見てあげてほしいと頼み込んだ。
スポーツ科学の知識は無いけれど、生物学的アプローチは期待できる。
センセイの方針としては、食事制限はほどほどに、基礎運動量こそを増やす方向で考えるようだ。
「……間食は控えてもらうが、食事は普通に食べるように。ただしドカ食いは厳禁だ。……あと、その日食べた食事は写真に撮って送ってもらう。体重も毎日報告すること」
「本格的じゃんセンセイ」
「……放っておいたら無茶しそうだからな。教師としては看過できない」
「へぇ」
普段はあまり人に関わろうとしない彼が少しだけ変わった気がして、なんだかあたしが誇らしくなる。
あたしも変わらなければ。
◇ ◇ ◇
「ふぁいおー、ひかり、ふぁいおー!」
「お、おー」
というわけで、あたしもひかりと一緒に学校の外周を走ることに。
健康な精神は健康な肉体に宿る、だっけ。
一緒に運動してみて思ったけど、ダイエットというのは外見磨きだけじゃなく、根性や折れない心という内面も磨く行為みたいだ。
だからきっとひかりのプロデュースの方向性としては間違ってない。
「ひかりー! あ、あと一周!」
「お、おー!」
「がんばれーっ、超がんばれーっ」
なお遥果とは互いに交代しながらひかりのダイエットに付き合う。
あたしには事情があってひかりの運動にフルで付き合うことができない。
こんな時に応援者がいるのは非常に心強かった。
「ご、ごーる……ッ! ぜッ……、ぜぇ、ひかり、だいじょうぶ?」
あたしは息も絶え絶えに前かがみになる。
額や頬からのしずくが、ぽたりぽたりとアスファルトに吸い込まれていく。
照りつける日差し。
路面はすぐに乾いた。
「こ、琴宮さんこそ、辛そうだから休んだ方がいいよ」
「そうさせてもらうね。遥果、ひかりをお願い」
「よしきたっ。千星ちゃんおつかれいっ!」
あたしはフラフラと部室棟の影の中に入って地べたに腰を下ろし、水筒を煽った。
センセイの作ったスペシャルドリンクは市販のスポーツドリンクより薄くてしょっぱい。
「千星ちゃーんっ! ひかりまだまだ走れるってっ!」
「はーい! 水分補給だけはしっかりねー!」
少し離れた場所から頑張るひかりに手を振った。
もうまもなく夏本番。
地球の熱量に比例するようにひかりもギアを上げていた。
◇ ◇ ◇
夏休みになった。
演劇部は夏の大会に向けて練習に熱を上げている。
ひかりはそんなキャスト陣に混じって腹筋と背筋のトレーニングを行っているみたいで、今でははじめて会った頃と比べて少し引き締まったような印象になった。
演劇部って、やってることが半分体育会系だな。
「えっと、ひかりは」
すれ違う演劇部員たちに声を掛けつつ、あたしは舞台袖からさらに上階に登る階段を進んだ。
その先が演劇部の部室になっている。
たぶん、本体は音響や照明のための小部屋だ。
「ひかり、いる?」
「あ、こ、琴宮さん」
こちらに気づいたひかりが笑顔で手を振った。
終業式あたりで髪をバッサリとカットした彼女は、今はレイヤーを効かせたウルフっぽいヘアスタイルだ。
元々前髪が重ためのお下げ髪だったから、垢抜け感が半端じゃない。
メイクもかなり研究しているらしく、今は見違えるほどの可愛さだ。
もはや同一人物か自信がなくなるほどの変貌っぷり。
元々メイクに興味があるみたいだったから、もしかすると学期中はわざと抑えていただけなのかもしれないけど、ともかく充分勝負できる圏内には入っている。
「なんか手伝えることないかなって、様子見も兼ねてね」
「お、お手伝い? うーん、そ、そうだなぁ」
考えるひかり。
天井の板をなぞるように目線を揺らした。
「あ、そ、そうだ。こ、これ、きキャストさんたちの当日のメイク案なんだけど、せ、せ先入観なしに見て、ど、どんな印象を受けるのかお、教えてほしい」
「うん、いいよ。えっとね────」
ひかりが机の上に広げたスケッチブックの切れ端たち。
それは部活動としてのメイク研究もしっかりこなしている証拠だ。
あたしは彼女の努力の成果を一つ一つ吟味しつつ、素直な感想を伝えてあげるのだった。
つくづくすごいと思う。
自分磨きに、部活動。
ちゃんと両立しているし、双方共に成果が出そうだ。
ひかりは今、青春の只中にいるみたいだった。
あたしも彼女の青春のページにちゃんと刻まれているだろうか。
◇ ◇ ◇
八月も半ば、世間ではお盆休み。
センセイが実家に帰省するというので一人お留守番をしていたあたし。
あたしも本当の家に帰るべきなのだろうけど、あんなクソの掃き溜めのような場所には近寄りたくもない。
さて、今のあたしはとても良い気分。
なぜかって、ひかりのトレーニングに付き合った影響はあたし自身にも及んでいたからだ。
「お帰りなさいセンセ……いや、おにーさん♡ お風呂にする? ご飯にする? それともぉぉ♡♡」
「……『あたし』を選ばせる気満々でその格好なわけだな」
実家から戻ってきたセンセイを、あたしは生まれたままの姿にバスタオルを巻いただけのセクシーな装いで出迎えた。
誘惑する気満々。ハラリもあるよ!
「ピンポーン♡ ほら、ひかりの付き添いであたしも色々頑張ったわけじゃん? 成果をご開帳しようと思って」
「遠慮しとく」
「じゃーん、腹筋割れたー♡」
「って言ってるそばから裸になるな!」
────
──
とまあ、少し付き合っただけのあたしが目に見えて痩せたのだ。
ひかりはというと、それはもうかなりの成果が出ていた。
お盆明け、一週間ぶりにひかりと落ち合ったあたしは、その体型変化に驚く。
遠目から見た時のシルエットはもう全く違う。
まだまだぽっちゃりではあるけれど、筋肉が伴ったふくよかさは受ける印象が全く違う。
「凄いよひかり。絶対痩せてるって。努力が実を結んでいる感じがするよ」
「あり、ありがとう琴宮さん。走っててもね、身のか、軽やかさが全然違うの。こ、これならあと一キロもすぐに減らせるかも!」
笑顔でハイタッチするあたしたち。
そう、七月の頭から八月半ばの今までに、ひかりは七キロ痩せたのだ。
このままのペースでいけば、最初にひかりが主張した十キロの目標にも届く勢いだ。
調子がいいのは体型だけの話ではない。
部活の方も地区大会を二位で通過して県大会に進み、惜しくも全国には届かなかったものの、講評の中で衣装やメイクが褒められた。
ちなみに勉強だってあたしがみっちり仕込んでおいた。
文武両道、取れるもんは全部取りに行く勢いだ。
「よぉし、じゃあ今日の分の外周ランニング、始めますか」
「う、うん! よ、よろしくお願いします、こ、琴宮コーチ!」
「おう! 夕陽に向かって走るぞー!」
恐ろしく順調。非常にいいペースでここまで来た。
これほどの大きな変化があれば、八木だって一目でわかる。
外見が変われば、その裏に隠された努力の量は、奴自身の経験からも推測できるだろう。
外見が、内面を映す鏡になるのだ。
その日もあたしたちは走った。
あたしが日射の影響で先にへばっても、ひかりは努力を続けた。
頑張って頑張って。
────その日から、ひかりの体重は全く減らなくなった。




