第一章 ──11 ノープランナー
「センセぇぇぇ、どうしよお、めちゃめちゃ喧嘩売っちゃったぁあ」
放課後、あたしはセンセイに泣きついた。
まさに何とかえもんに泣きつく少年の気分。
なにか便利な道具があったら出してほしい。
「……おー、よしよし。だがあまりくっつかないでほしい」
「酷いッ!」
センセイに少しだけ頭を撫でてもらったけど、すぐに突き放される。
それと同時にあたしの思考は現実に帰ってきた。
ここは生物準備室。
めったに無いが、他の先生の出入りもあるのだ。
くっついてのよしよしは家に帰ってから改めて要求しよう。
「……しかし、そんな顛末になっていたとはな。職員会議で生徒同士のトラブルがあったとは聞いていたが」
「ですです。ってかやっぱ職員会議になったんだ」
「そりゃなるだろう。……天馬先生も心配していたぞ」
うちの担任の女教師が気にかけてくれていたのは知っている。
ここにくる前、帰りのHRの後に根掘り葉掘り聞かれたからだ。
「『心配していたぞ』って、センセイって天馬先生と話するの?」
「……同じ職場なんだから当然だろう」
「むうう」
センセイは仕事上であっても女性とあまり会話しないイメージだったから意外だ。
……もしかするとうちの担任はセンセイを狙っていて、あたしは会話のきっかけを与えてしまったのでは。
邪推だろうか。
ああもう、モヤモヤすることばかり。
もちろん一番のモヤモヤは、啖呵を切った割にその後のプランが無いという現状だ。
盛大なため息の後にグラスを手に取り、コーヒーを喉へ流し込む。
なんだか苦いものが飲みたい気分だった。
「マジでノープランだし、一体どうすれば……」
「……本当に何も考えなしだったのか? それにしては夏休み明け、と具体的だが」
あたしはその辺にあったオフィスチェアーを手繰り寄せて逆向きに座った。
空になったグラスをぷらぷらさせつつ、たまに足で椅子を回す。
「とりあえずダイエットはさせようと思ったんだよね。スリムなのがが正義とは限らないけど、不健康に見えるのはNGでしょ?」
「肥満は生活習慣病のリスクも上がるからな」
本当の健康の話はあまり関係ないのよセンセイ。
「だいたい二ヶ月あれば一定の成果は見せられるかな、って思ったんだよ」
「……あまり過激なダイエットは推奨しないが、確かに痩せること自体は良いと思う」
「でしょ。後は髪型を美容室で整えてもらって、化粧の方はひかり自身で研究してもらって、制服もちょっとアレンジして……」
「色々と考えているじゃないか」
ちっちっち、甘いな。
とあたしは指を振る。
「今のは全部外見の話でしょ。髪型、体型、化粧、服装。外見だけ整えても、八木の言う『釣り合う』レベルに到達するのは無理だよ。奴の要求値はかなり高いからね」
「……間接的に、八木に認められた自分の容姿を褒めていないか?」
「え? ──うわ、嘘。ほんとだ」
実際は灰色の髪や緋色の瞳という人間離れした特徴が、他人からの評価にブーストをかけているだけだと思うのだけど。
「……確かに琴宮は美人とは思うけどな」
「ちょっと待ってセンセイ。さりげなく嬉しいこと言わんといてもろて」
あたしはわざとらしくおほん、と咳払いした。
「ともかく。八木を見返すにはたぶん外見以外の魅力が必要なんだよ。たとえ遥果レベルのビジュアル強者になったとして、『うん。基準に到達したね』で流される可能性だってある」
「……想像ができそうだな」
「『外見で評価されたくない』って言っているやつを落とすのに、外見だけなんてナンセンス。だから、キラリと光る武器がないとだめなんだよ」
もっとも。
外見で評価されたくないという割に見た目でファンを切り捨てるようなやつだから、そもそもの合格基準がよくわからないのだけど。
本来なら、色々と聞き込みをしたり本人と仲良くなったりしてその基準ってやつを見つけるのがベストだった。
しかし今となっては本人と仲良くなることは不可能だし、周囲も八木について話す空気感ではなくなってしまった。
周囲の人間が八木の価値観を理解しているとも思えないしね。
「あー、本当に短絡的なことをしちゃった。ちょっと自己嫌悪」
あたしは椅子の背もたれを抱え込むように上半身を預け、だらりと脱力した。
センセイはというと、ふむ、と考え込むそぶりを見せていた。
何かに困っているというふうではない。
何か、単純に聞きたいことがある様子で、たぶん今はうまく言語化しようと思考している。
やがてコーヒーを一口飲んでから、彼は言う。
「今の琴宮のプランじゃだめなのか?」
え、とあたしは拍子抜けする。
さっきも説明したのに、言葉が足りなかったのかうまく伝わっていないようだ。
「だから、外見だけじゃだめで……」
だが彼は首を横に振る。
「いや、外見だけで良い」
「……どうしてそう思うんですか」
あたしはムッとした表情で問う。
するとセンセイはあっけらかんとして言うのだ。
「だって、八木を攻略するには最低限の容姿と、その他に光るものを自身の内に持っていないと難しいんだろう?」
「……はい」
「そして最低限の容姿を手に入れるプランはすでにできている」
「……おっしゃる通りでございます」
なんだかいつもと話すペースが逆だ。
センセイはきっと、すでに何かを確信しているのだろう。
伝えるべき内容がはっきりしているときのセンセイの間の取り方だ。
「なら────」
センセイが、あたしの顔を見た。
「その光るものっていうのはすでに今日、見せたんじゃないのか?」
「あ……」
そうだ。
あの衆目に晒された極限の環境で、前に出る勇気。
皆が八木に不信感を抱くなか、彼の隠された真意を信じ抜くという覚悟。
しかもただ全肯定するのではなく、取った態度にはきちんと批判をする。
どれもひかりの魅力であり、他の人から頭ひとつ抜けた『光るもの』に他ならない。
ひかりの光を目の当たりにしたからこそ、八木は口では「資格が無い」などと言いつつ、悲しげな表情になった。
そう考えると辻褄も合う、気がする。
そうか、そうだったんだ。
ならば、確実に成果を評価してもらうには、もう一度奴を焚き付けないと。
「しいて言えば勉強だとか演劇部での活躍だとか、磨ける部分はいろい」
「センセイ」
彼の話をやや遮り気味に声をかけた。
「……なんだ」
「二ヶ月で体重はどこまで落とせる?」
「……そうだな」
センセイはパソコンで調べ物を始め、時折電卓を叩き始めた。
カロリーか何かの計算をしているのだろう。
こういう計算はAIに聞いた方が早そうだけれど、センセイの方がなんとなく信用できる。
「……健康的に痩せるには、月に三キロ程度が限度のようだ」
「そっか。じゃあ、二ヶ月で四から五キロなら問題なさそうだね」
センセイ曰く、ネットには『二ヶ月で十五キロ痩せた!』などと動画をあげている人もいるようだが、専属トレーナーも無しに無謀なことはすべきじゃない、とのこと。
それに、急激に痩せればリバウンドのリスクもあるらしい。
ともかく具体的な数値目標が定まった。
そうとなれば行動あるのみだ。
「じゃ、ちょっと行ってくる!」
「はぁ? ちょッ────」
椅子から立ち上がり、部屋を飛び出した。
センセイは何か言いかけていたけど、ともかく情報は共有すべし。
もしかすると演劇部の練習にも関わるかもしれないし、善は急げとも言うだろう。
あたしは体育館の舞台を目指して駆け出した。
演劇部の練習場所、ひかりのいるところだ。
渡り廊下で本館を抜けて、体育館へと風のように走った。
風のようにというのはある意味比喩ではない。
本当に足取りが軽やかだったのだ。
体育館二階のバルコニーの奥が舞台袖への入り口だ。
よく演劇部が発声練習をしているので知っていた。
「ひかり、いる!?」
「こ、琴宮さん!?」
彼女は舞台裏のバックヤード的なところにいた。
小道具の手入れの手伝いか何かだろうか、ナイフのおもちゃみたいなのを布で拭いているところだった。
「あのね──」
あたしはセンセイとの話を踏まえ、今はとにかく自分磨きに専念すること、ダイエットの目標数値として、二ヶ月後にはマイナス五キロになっていることなどを矢継ぎ早に話した。
「具体的な目標が見えてきたなら、後は頑張るだけだよ。あたしもダイエットの運動に付き合うし、一緒に頑張ろう、ひかりちゃん!」
意気揚々と喋り尽くした。
やや一方的だが、こういうのは勢いも大事なはずだ。知らんけど。
ひかりは最初から最後までを「ふんふん」と頷きながら聞き終える。
特に不満に思うところはないらしく、あたしの方針にも賛成してくれそうな雰囲気だった。
ところが。
「じ、十キロ」
「はぇ?」
「私、十キロ痩せる。夏休み中にそれくらいしないと、せ、先輩をギャフンと言わせられないもん」
ひかりはそう豪語した。
その瞳に情熱と、沸々とした怒りのようなものを滲ませながら。
……ひかりってば、実は思っている以上に八木のこと怒っていたりする?
それとも計画が具体性を帯びてきたことで、眠っていた想いまでもが表に出てきてしまったのか。
彼女の手にしたナイフが、キラリと光る。
ひかりの底知れなさに畏怖を感じるあたしなのだった。




