第一章 ──10 宣戦
「君は、演劇部の」
八木の声から軽薄さが消える。
ひかりが歩み出たことにさぞ驚いているのだろう。
「ど、どうして、ああんなことを言うんですか。い、いくらなんでも酷すぎます」
口を真一文字に結んで、おどおどした口調で、しかし堂々と胸を張って彼女は現れた。
物怖じはしていない。
憧れの先輩の前で、いや、きっと憧れの存在だからこそ、その所業が許せないんだ。
「ああ。俺は酷いことを言ったよ。もっとも事実を言ったまでだけどね」
あたしを利用して自分の信奉者を炙り出し、わざわざ彼女らを中傷した。
不細工。
釣り合わない。
これがただ事実を告げただけだって?
だとしても、どうしてこの男は。
「ッ、じじ、事実かどうかはか、関係ありません、せ、先輩はみんなの前で、女の子の容姿を罵倒したんです。し、しゃ謝罪が必要だと思います!」
「容姿を? ……うん、言葉の表面だけをなぞればね。だけどなんでひかりちゃんが謝罪を要求するんだ? 君には関係ないでしょ」
こいつ、ぬけぬけと。
自分と釣り合わない者を不細工と貶すのであれば、この場にいるほぼ全員が対象だ。
無関係なわけがない。
こうなると、ひかりの言う陰の努力家の姿は完全に霞んでしまう。
外見で評価されたくないと言っていた本人が、外見をいじるなんて矛盾が過ぎる。
双子の兄弟がいて時々入れ替わっているとか、二重人格とかの突拍子もない話の方がいっそ信憑性が高いくらいだ。
「か、かか関係ならあります! さ、さっきの子は私のクラスメイトですし、こ、琴宮さんだって私のために先輩についてい、い色々き、聞いてくれてたんです!」
「千星ちゃんが、ひかりちゃんのために……?」
八木があたしを横目で一瞥する。
その目はどこか訝しげだ。
彼はすぐにひかりへ向き直ると続けて問う。
「どうして千星ちゃんが君のために聞き込みをするんだ?」
「そ、それは……」
ひかりが表情を曇らせる。
前髪で顔が隠れるように少し俯き加減で、表情をこわばらせてしまっている。
何かを言おうとして、唇だけが何かを言いたげにもごもごと動く。
「……ぁ、ぁの」
続かない。
言葉が出てこないんだ。
これは何だ。
尋問か。
見ていられなくなって、あたしはひかりから目を逸らしたくなる。
でも、見届けなきゃ。
ひかりは今、頑張っている。
ひかりが何も言えなくなってしまってから十数秒。
周囲がざわつき、「どっちか何か言えよ」的な空気が流れて始めた。
しかし八木は質問に質問を重ねることはしなかった。
ただひたすら、彼女の返答を待っている。
たっぷり時間をかけて、やがて、ひかりが顔を上げた時。
彼女の瞳には覚悟の色があった。
驚くくらい精悍な顔つき。
「お待たせしました。せ、先輩。一つ前のセリフからお願いします」
「いいよ。『なぜ千星ちゃんが君のために聞き込みをするの?』」
「それは────私が八木先輩のことが好きだって、彼女に相談したからです」
どもりがちなひかりが言葉を詰まらせずに告げた。
緊張すると余計に話しづらくなりそうなものだけど、むしろ彼女の言葉はいつもよりずっと滑らかだった。
よほど告白の練習をしてきたという証明。
その言葉を、言わせてしまった。
こんな公衆の面前で、最悪のシチュエーションで。
本当はもっとロマンティックな場所やタイミングで告白をしたかっただろうに。
ひかりの努力を一つ台無しにしてしまった。
あたしが不用意に八木を探ったせいで。
あたしは無意識に自分の太ももを殴りつけていた。
壁にもたれかかったまま、感情の行き場をなくして、気づけば拳を自身に振るっていた。
情けない。
あたしは恋を知らない。
だからこの恋の結末を見たかった。
こんな結末だなんて思わなかったから。
きっと、ひかりの話をよく聞いて、その上で『八木はやめておけ』と導いてあげるのが正解だったんだ。
「ひかりちゃんが、俺を……?」
八木が呟くのが聞こえる。
その声色は、どこか虚しさのようなものを感じさせる。
失望、だろうか。
「はい。好きです、先輩」
ひかりが想いを繰り返した。
彼女は折れていない。しかし八木は自嘲気味に笑う。
「ははっ! じゃあさ、幻滅しちゃったでしょ。ごめんね、こんなんでさ」
ひかりは首を横に少し振りかけて、ぴたりと動きを静止させた。
そしてすぐに正面を向き、告げる。
「はい。そ、その……げ、幻滅しました。こ、こんなに酷いことを言うなんて、許せないって」
やはり。
この昼休みに見せた一連の言動は好感度を暴落させるには十分すぎた。
きっと、元から彼を好きだった人ほどショックが大きいだろうね。
「そっか」
「……でも」
彼女は一歩前に出る。
「私はし、知ってます。 せ、先輩が努力の人だって。人知れず頑張って、演劇の時だってあんなに練習して。私は、せ、先輩の生き様を、知ってます」
「それは」
「だから、私はし、信じます。い、今の言葉だって、そ、その陰に何かがあるって。私は信じます!」
「……ひかりちゃん」
嘘。折れていない。
態度だけじゃない。
本当に、心も折れていないんだ。
ひかりの八木に対する恋は、まだ終わっていない。
あろうことか、ひかりはまだ彼を信じている。
彼があまり表に出さない部分を知っているからこそ、隠された何かがあると、いや、あってほしいと願っている。
「せ、せ先輩は言っていました。どうしてそ、そんなに頑張るのかって私がき、聞いた時。が、外見だけで評価されるのは、い、いやだって。あの時の言葉に嘘は無かった。だって────」
────あんなにまっすぐな眼差しは見たことがないから。
それは、昨日の相談で聞いたのとほとんど同じ言葉。
その眼差しに心を射抜かれたのだというひかりの馴れ初め話。
あたしは頭を殴られる思いがした。
続いて訪れる自分の中の常識が反転するような、世界が開けるような感覚。
ああ。この強さが恋なんだ。
何があろうと相手を信じる。
ブレない。
すごい。なんてエネルギーなんだろう。
「だ、たけど今の先輩はう、嘘つきです。じ、自分をい偽って、みんなにき、嫌われるようなまねをして、それで……」
「それで?」
「だ、だからせ、先輩……わ、たし……はっ……」
しかし、ひかりの言葉が続かなくなる。
感情だけはとめどなくあふれてくるのに、思いの丈を紡ぐ何かをつかみ取ることができていないんだ。
現に、ひかりは一生懸命に言葉を探している。
八木の嘘を暴き、本当の彼を示す言葉を。
だけど。
「言いたいことはそれだけかい、ひかりちゃん。確かに、君の見た俺も俺の一面なんだろうさ。けどさ、俺は嘘なんかついちゃいない。その時も、今もだ」
「うう……」
「態度を変えている自覚はあるけど、言葉だけは偽っちゃいない。彼女は不細工だし、彼女らは俺に釣り合っていない。事実だ」
「す、そ、そんな」
八木がひかりの心を折りにかかる。
彼女の抱く八木広大像を砕きに行く。
「事実を付け加えるなら……もし君が俺のことを好きでいてくれたとしても、付き合うことはできない。資格が無いからね」
「……ッ!」
ひかりが言葉を失った。
彼女の口は数度空気だけを噛んで、ついに一単語も出てこなくなってしまう。
悲しげな彼女の瞳が助けを求めるように泳ぎ、そして、あたしと目が合った。
あたしは少しだけ優しさを意識した微笑みをひかりにあげた。
安心してくれ、と。
よく頑張った、と。
そしてシュッと短く息を吐いた次の瞬間には……お前の怒りもあたしが引き継いでやる、と、憤怒の面を被り直す。
もういいかげん我慢できなかった。
人をダシに使われて、関わりのある人間を侮辱されて、頭にこない人間がいるだろうか。
いや、いない。
「八木」
自分でも驚くくらいの冷たい声色が出る。
あたしは感情に任せて八木の肩ぐらを掴み、こちらを向かせた。
「君は俺の罵倒に含まれていないはずだけど、どうしてそんなに怒ってるの」
「しいて挙げるなら、あたしに最初に話しかけてきたこと、そんなに仲良くなってもいないのに交際を申し込んできたこと、あたしを壁ドンしてきて衆目の前で恥をかかせたこと、あたしを自分の信奉者の炙り出しに利用したこと、悪いようにはしないって言うくせに全然悪い結果になってること、総じてキモいこと……かな」
「ははっ、すごい。全部じゃん」
全部じゃねーよ。
あたしの前に遥果にも手を出そうとしてたこととか黙ってやってんだよこっちは。
それに何より。
「ひかりを傷つけたことも、いまだに本心を隠している気になっているのもすごくムカつくよ」
「隠している? 俺が?」
そう。振り向かせて、その目を見てわかった。
「あんたは嘘を話していないつもりなのかもしれない。確かにその通りなのかもしれない。だけど、嘘を言わないのと本音を話すことはイコールじゃない。あんたは、心の奥を見せてない」
だって、だったら、どうしてそんなに悲しそうな目をしている。
「ひかりとは付き合えないって言ったよね。資格が無いとかなんとか」
「……ああ。言ったね」
あたしは八木から手を離し、ひかりの元へと歩いていく。
彼女の震える肩を抱いて、もう一度八木を睨んだ。
「じゃあ、資格があるなら良いんだよね? ちゃんとあんたに釣り合う存在になったら、認めてもらえるんだよね?」
「何を……ッ」
「夏休み。夏休み中に、あたしがひかりを全力でプロデュースする。そして、もう一度告白をする」
ひかりが一瞬あたしを見る。
彼女はすぐに正面へ向き直ると、力強く頷いてみせた。
あたしは空いている方の手で、八木を真っ直ぐに指差す。
こいつは我々の宣戦布告だ。
「八木広大! 夏休み明けの告白で少しでも心が動いたのなら。その時は聞かせてもらうかんね。あんたの真意ってやつをさ」
八木は、あたしの啖呵を聞いて笑う。
「ああ。望むところさ。弓永ひかり、それに琴宮千星」
それはいつか見た、安堵したような不思議な笑顔だった。




