第一章 ──9 『不合格ちゃん』
「い、いきなり何を言い出すんですか八木先輩」
教室に突如として現れたその男から一歩飛び退き、あたしは愛想笑いで応対する。
腰のあたりをわざとらしくはたいて拭う仕草を見せると、八木は苦笑いを浮かべた。
「あー、ごめんね。急に抱き止めちゃって、ビックリしたよね」
「一番驚いたのはあなたがここにいることですけどね。うちのクラスに何か用ですか?」
「いやだなぁ。君が俺のことを探ってるみたいだったから、わざわざ俺の方から出向いてあげたんだよ? だからてっきり俺を振ったのを撤回してくれるのかと」
八木は心にも無いことを平気で言う。
それも、本気じゃ無いことをあたしが察してくれると思って。
だからこれはただの意地悪だ。
みんなの前であたしたちに一悶着があったことをあえて公言し、反応を見ているのに違いない。
間の悪いことに、廊下には今朝方囲んできた隣のクラスの二人が絶句して立ち尽くしている。
教室の中にはもう一人の八木ファン。
三人組が揃って八木の言葉を聞いていた。
さらに間の悪いことには、すぐ近くにふくよかな体格のあの子もいる。
不幸中の幸い、ひかりにはあらかじめ事情を話しておいて良かった。
八木との繋がりを秘密にしたままだったら目も当てられなかった。
あたしは心の中で短く息を吐く。
切り替えろ。
とりあえず目の前のコイツには言い返さなきゃ。
「別にあたしは八木のこと一ミリも好きじゃ無いかんね。女遊びしてるって噂を聞いたから、胡散臭いなって調べ出しただけ」
「急に態度を変えるじゃん」
「だってあんたさ、誕生日一月なんでしょ。年下じゃん」
「ははっ、へぇ、そこまで調べたんだ。じゃあ胡散臭いと思いつつ、興味は持ってくれたんだね。嬉しいよ」
なんでもポジティブに解釈を変えてくるな、こいつ。
「とりあえずさ、場所変えない? 教室の入口片方塞いじゃってるし、昼ごはんも食べたいし」
「入口を避けてあげるのは賛成。だけど」
八木は躊躇なく教室内に足を踏み入れ、あたしの方につかつかと迫ってくる。
いきなりの動きにあたしは思わずたたらを踏んで、教室の壁にもたれかけた。
それが運の尽き。
八木に壁際に追い込まれ、腕をついて一方の逃げ場を封じられた。
「話の方は、ここで終わらせようよ」
「ホントにためらいなく壁ドンするじゃん。チャラすぎるよあんた」
普通のおなごならイケメンに迫られて胸がずきゅん♡ ってなるのだろうか。
だけど普通じゃないおなごであるあたしにとってはただただキモいだけだ。
「っつーかさっき言ったでしょ、胡散臭さが鼻についたから気になったんだって。もう終わった話だよ」
本当はもっと心の中を探ってみたいけれど、この場に留まるようじゃさっさと切り上げるのが得だ。
「終わってないよ。だって嘘だもん、それ。千星ちゃんが俺のことを悪くみてるのは本当でも、嗅ぎ回っている理由は別にある」
「なんでそう言い切れるのさ」
「わかるよ。────同類だからね」
確かに、他人を素直に信じようとしないところなんかは同類だろう。
そしてそれは、センセイとも共通する部分である。
『違う選択肢を選んだセンセイ』。
ああくそ、こんな場でなければ問い詰めてやるのに、やりにくい!
「……あのさ、まじで場所変えない? ここじゃ本音でぶつかれないよ」
小声で八木に打診してみる。けれど。
「だーめ。俺はこの状況を、利用しにきたんだから」
「は?」
八木があたしにしか聞こえない声量で囁く。
「聞こえる? 何人かの女の子が、文句を言い出してる」
「そりゃそうでしょ、この状況」
どこかからヒソヒソと「ありえない」「何あれ」などと不満げな声が聞こえてくる。
うっさいな、あたしも同じ思いだよ。
「大丈夫。君に悪いようにはしないからさ」
「……信用できないなぁ」
しかし八木はさらに顔をぐっと近づけてきて、その唇をあたしの耳元へ寄せた。
鳥肌が立ちそうな不快感。
本気で突き飛ばしてやろうか、と考えた瞬間、彼はごくごく小さい声であたしに告げた。
「……悪い。気持ち悪いと思うけど、少し我慢してくれ」
「どういう」
「後で話す。今は合わせてくれ」
どうやら八木には何か目的があるらしい。
「……ちゃんとわけを話してよ?」
「ああ。約束する」
耳元で八木がくすりと笑う。
「にしても、何の拷問だよ」
「まるで密談しているみたいだろ」
「実際そうしてるけどね」
いったい何がしたいんだよ。
「見てて。きっと人間の本質が見えるからさ」
周囲が色めき立つ。
それは取り巻きたちの怒りや悲しみ、野次馬たちの興味や関心だ。
徐々に何事かと人が集まり始め、それぞれの感情が膨らんでいく。
八木はその様子をただ横目でしっかり見ていた。
観察し、試す。
彼は周囲の人間を試しているのだ。
────僕は黙り、君は人を試す。
センセイの言葉が脳裏をよぎる。
八木とあたしが同類なのだとすれば、『別の選択肢を選んだセンセイ』とは、あたし自身もそうなのだろうか。
あるいは、スタートが違って手段が同じところに行き着いただけ……?
あたしが困惑の中で思考していると、ついに周りが動いた。
先陣を切ったのは、隣のクラスの取り巻き女子だった。
「ちょっとあんた、いったい何してるんだよ。いい加減に、先輩から離れなさいよ」
教室にズカズカ入り込んできた彼女は大声でおかしなことを訴える。
どう見ても拘束されているのはあたしの方だ。
しかも微妙に距離を置いている。
声がデカいのも状況にビビっているからか?
「先輩、この女に何を吹き込まれたんですか。先輩は、そいつのこと好きなんですか!?」
彼女の訴えが、いよいよ周囲のざわめきを呼び起こす。
野次馬の中に紛れていた八木ファンたちも呼応し始めたのだ。
「先輩、なんでそんな奴と」
「クソ女、離れろ」
「先輩をたぶらかすな」
主にはあたしへの罵声だ。
なんなんだよ、災難かよ、本当に。
八木め、さてはあたしの敵を増やそうとしているな。
一方で壁ドンをかましてきた変態は何か納得したように小さく頷いている。
背筋が凍りつくほどに冷めた目で。
「────炙り出せたね」
彼はそう言うとあたしから離れ、ようやく解放してくれた。
どっと疲れた、という表現があるけれど、本当に『ドッ』っという感じにお腹の真ん中から疲労感が溢れ出した。
それこそ脳髄まで染み渡るくらいに。
あたしは脱力感に任せて壁に体重を預けた。
八木は最初に叫んだ女子の方へ向き直り、肩を一回上下させる。
ため息、あるいは深呼吸か。一拍だけ間をおいて。
「お前さ、俺が誰を好きになろうが関係なくない?」
聞いたことないくらい恐ろしく冷たい声で八木は言う。
これは呆れとかじゃない。
純粋な、敵意だ。
突然の口撃に相手の女子生徒は見るからにたじろぐ。
「だ、だって先輩。そ、そんな女なんかと……」
「そんな女って何。もしかしてお前さ、自分の方が相応しいとか思っちゃってる?」
「そんなことは」
女子生徒は言葉を切り、代わりに突然あたしを睨みつけてくる。
なにさ。文句あるのか。
「で、でも! 少なくとも、こんな灰色の、幽霊みたいな女より私の方がふさわしいと思います!」
……こいつ、とんでもない暴言を吐きやがった。
『幽霊みたいな女』ぁ?
こちとら昔から『お人形さんみたい』で通してんだよ。
「それ、本気で言ってる?」
「だって、そいつの髪、地毛でそれですよ。目も赤いし、人間の容姿じゃないじゃないですか!」
おいおいめちゃくちゃ言ってくれるな。
だんだん怒りを通り越して────いや、普通に怒るよ?
しかし先に口を挟んだのは八木の方だった。
「あのさぁ」と呆れを込めた呼びかけをして、そして。
「言っとくけど、お前、割と不細工だからな?」
────考えうる中で最悪に近い物言いをした。
「……え」
「自分が相応しいとかなんとか言ってるけどさ、お前じゃ俺に全然釣り合ってないから」
「ひっ」
「うわ」
ここに来て八木のルッキズムが健在であると知らしめられる。
あたしの代わりにぶちかましてくれているのだろうけど、今この場で一番良くない流れだ。
なぜならば。
「せ、先輩……」
どこかで小さくつぶやくのが聞こえた。
ひかりが八木の発言を聞いている。
きっと彼女はショックを受けているに違いない。
今の八木の言葉は、ひかりにも刺さりすぎる。
「俺と釣り合うのは、千星ちゃんとか、そこにいる遥果ちゃんくらいのレベルだからさ。お前は全然不合格」
「うげっ」
声を出したのは教室の隅で傍観者と化していた遥果だ。
まさか自分に飛び火すると思ってなかったのだろうけど、君も当事者の一人だよ。
しかし参ったな。
この状況であたしと遥果の名前まで出されるなんて。
これではあたしたちがひかりに何を言っても上から目線の嫌味にしかならない。
後からのフォローが不可能じゃないか。
「だから陰でごちゃごちゃ言ってないでさ、諦めてよ。これ以上俺に関わるな」
「う、ぐ……ぅ」
彼女は顔を真っ赤にして震えている。
周囲にいた何人かの取り巻きも似たような状況だ。
唇を噛み締めていたり、涙を浮かべていたり。
中には憎しみのこもった目であたしを────いや、八木を睨んでいる子もいた。
「酷いことを言っちゃって申し訳ないけど、これが本心なんだ。ごめんね、えっと……名前なんだっけ。不合格ちゃん」
トドメだった。
彼の放ったナイフは、確実に彼女の胸を突き刺し、ズタズタに引き裂いた。
「あぁぁあああああっぁああああああッ!」
女子生徒はくるりと背を向けると、人垣をかき分けて走り去っていった。
今まで黙っていた人たちですら、これは大事だと騒ぎ出す。
怖くて腰を抜かしてしまう女の子さえいる。
もうめちゃくちゃだ。
「ひかり……」
あたしは人の群れの中に彼女の姿を探す。
しかし、彼女の幅広の体はその中に見当たらない。
ピントをずらす。もっと手前に。
すると、彼女は。
「せ、先輩。今のは、ひ、酷すぎます」
凛とした表情で八木に向かって歩み出ていたのだった。
[そんなに痩せられる……!?]
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