第一章 ──6 月影のない公園で
時刻は午後九時を回ろうというのに、月影は無い。
真っ暗な世界に、ポツリポツリと青白い街灯が灯る。
どこかしらの遠くからジジッ、と短く蝉の声。
夏の本番を予感させた。
宅地に囲まれた小さな公園にはブランコや山型の滑り台などちょっとした遊具が設置されている。
あたしは山滑り台の端に腰を下ろして、人を待つ。
「やっ」
「遥果」
闇の中を潜り抜け、公園の灯火の元に姿を晒したクラスメイト──椎布遥果はラフなスウェット姿だった。
体型が目立たない服装にも関わらず、上からの光源で胸部に影が落ち、女性らしさが強調されている。
まあ、端的に言うと。
「乳が……エロいすね」
「おっさんかっ!」
良いツッコミだよ、遥果。
「ウチそんなに巨乳じゃないよっ?」
「痩せてるのにそのサイズを維持してるから目立つんだよ。うらめ……羨ましい」
「今『恨めしい』って言い掛けたよねっ」
遥果はポカポカとあたしを殴る真似をしながら、自然にあたしに近づいて右隣に腰を下ろした。
ふーっと長く息を吐いた彼女は、一転、含みのある微笑みを見せて、尋ねる。
「で、本題は何かなっ。わざわざウチん家の近くに来るなんて、よほど大事な話だよねっ?」
あたしはこの子がわからない。
一見すると表裏が無さそうなのに、実際は腹芸に長けていそうな。
あたしの友達枠だけれど、実のところ信用しきれていない。
あたしはシュッと短く息を吐く。
気持ちを切り替えねば。
「ちょっと確認しておきたいことがあってね」
「んーっ? なにかなっ」
右隣の彼女を視線で射抜きつつ、あたしははっきりとした口調で聞く。
「あんたさ、八木に告白されたことあるでしょ」
風が凪いだ。
どこかの街灯がチカチカと明滅する。
一瞬の沈黙を挟んで、遥果はにこりと口角を上げた。
「すごいねっ。どうしてわかったのっ?」
さぞ感心したかのように彼女は言う。
「八木は見た目の良い女子なら割と見境なく付き合ってるらしいんだ。……それで、思ったんだよね。遥果が誘われてないはずがないって」
「あははっ、いやあ、モテる女は困るねっ」
「ひかりはこのことを知ってるの?」
遥果は肩をすくめた。
「さあっ。どうだろう。特に話してないけど、勘付いてはいるんじゃないかなっ」
「教えてあげなかったんだ」
「好きな人がだれだれに告白したとか、普通聞きたくないだろうぜっ」
なぜか親指を立てる遥果。
「あたしも黙っとくべきだった?」
「うーん。いいんじゃないっ? ひかりちゃんに誠実だと思われただろうしっ」
結果的には、だけどね。
筋を通すつもりで話したは良いけど、ひょっとするとひかりを傷つけてしまう可能性だってあった。
今になって少し反省する。
だが、終わったことは切り替えていこう。
彼女に聞きたいのはこれだけじゃないのだから。
「あの、さ」
「ん?」
「あたしにひかりを紹介したのって、前にあたしが恋愛について聞いたから?」
遥果はにこりとする。
「うんっ、そだよー」
そこに、あたしは切り込んだ。
「本当にそれだけ? 遥果自身が八木に何か思うところがあったんじゃないの」
あたしの一言に、遥果は大きな目をさらに大きくした。
笑顔は崩れていないが、指摘は正しかったと彼女の目は告げている。
「……どうしてそう思うのっ」
「だってあんたさ、なんだか人を観察する癖無い? 八木に何か裏があるのだとしたら、遥果も何かに気付いているんじゃないかって」
と、口では言うが、実際は勘みたいなものだ。
ただし、今は違う。
遥果はどんどんと切なげな眼になっていく。
ここまでくるともはや確信だ。
「────やっぱり、千星ちゃんにして正解だったよっ」
そう言いながら、遥果は夜空を仰ぎ、深く息を吐き出す。
いよいよ何か話してくれる気になったのか。
「ウチっ、ちょっと八木先輩のこと……っ」
「え、まさか」
うるうるの瞳で遠くを見つめる彼女は。
「……頭のおかしなやつだと思ってるんだっ」
「思わせぶりかよ」
かははっ、と星空みたいに笑う遥果。
スカしやがって、本当にこいつは何を考えているのだか。
遥果はこほん、と小さく咳払い。
今度はちょっと真面目な表情だ。
「ウチが先輩と知り合ったのは四月くらいっ。女バスの仮入部の時にさっ、男バスに交じって先輩がいたんだっ。その日の帰りには『今度一緒にバスケしよう』って向こうから誘ってきたよっ」
で、断ったと。
「で、実際何度かしたんだけどっ、あの人普通にうまくてさっ」
「ふぅん。……って、待って! 八木の誘いに乗ったの?」
「えっ? だってバスケくらいなら良くないっ?」
「それは、そう、だけど」
思っていた以上に遥果と八木は親密だったらしい。
大型連休の時には二人で屋内レジャー施設にも行ったとか。
「ふっつーーーに、デートですやん姉さん」
「男女で出かけるだけでデートなら、確かにそうだねっ」
まさに高校生たちの恋愛ドラマそのものだ。
しかも、すでに中盤の好感度イベントシーンまで進んでしまっている。
「連休明けだったかな、帰り道に先輩に告白されたのっ。『付き合ってください』ってっ」
「ここまでくると、普通にガチ告白と違うかい……?」
「あははっ! 知らんっ!」
中盤どころか結構な重要シーンまで展開していた。
親しくなって、デートを重ねて、いよいよ告白。
まさにクライマックスだ。
けれど遥果は小気味良く笑い飛ばしつつ、山滑り台の縁で足をぶらぶらさせながら、こう続ける。
「ウチさ、その時こっぴどく振ってやったんだよねっ。先輩の嫌なと全部包み隠さずこう、シャワーのようにっ」
「浴びせかけたか……」
相手からすれば酷すぎる所業じゃなかろうか。
「だけど」
突然、遥果のテンションが変わる。
遠い目をして、苦笑とも違う、憐み、あるいは同情か、どこか切なげな笑みを浮かべた。
「ウチの態度を見た先輩は、安心したように笑ったんだよねっ。まるで、ウチに振ってほしかったみたいな態度だったよ」
「あ……」
つられてあたし自身も思い出す。
あの日、私は確かに彼を拒絶した。けれど。
「あたしの時も笑ってた、気がする」
もしかするとあの男は最初から恋愛などする気が無いのだろうか。
ゲーム感覚というか、対象を攻略できたら満足というか。
にしても、拒絶されて喜ぶのは妙だ。
「どうして笑ったのか聞いたんだよっ。けど、『恋人でもない女に教えてやらない』ってさっ」
なんとも謎が残る話。
こちらに何かを察しろとでも言いたげな態度だ。
「ウチが千星ちゃんに期待してるのはねっ、ずばり先輩を解放してあげることなんだよっ」
「解放って、何からだよ」
遥果はよいしょっ、と山滑り台から跳ねるように降り、振り返り気味に横顔を見せた。
人差し指を唇に添えつつ、目を細めて言う。
「しーらないっ! でもあの人、色々囚われてそうじゃんっ?」
「確かに。そうかも」
「……別に好きじゃなくてもさっ、関わりのある人には報われてほしいんだっ」
ふわりと風が吹くと同時に遥果は天を仰いだ。
あたしもつられて空を見上げる。
月のない夜空は瞬きの光がよく見えた。
「だからお願いねっ、千星ちゃんっ!」
遥果の屈託のない笑顔につられて笑う。
良かろう、託された。
覚悟を新たに、明日から頑張ろうって心から思う。
そんな夜だった。
◇ ◇ ◇
「送り迎えありがとね、おにーさん♡」
公園の脇に停めてあったネイビーのSUVの助手席に、ためらうことなく乗り込む。
運転席にいる長髪の美青年は、あたしがシートベルトを着用したのを見届けると、車の始動スイッチを押した。
静かな加速度を感じる。
夜の街が流れ、窓を滑って行く。
「てっきり寝て待ってるのかと思ったけど、起きてたんだね」
期末テストの準備や採点など、近頃は忙しくしていたお疲れモードの彼。
遥果との密談を待っている間、椅子を倒して休んでいるものだと思っていたのけれど、違っていた。
「……不審者が出たら困るだろ。見張っていた」
「もう。つくづく────先生なんだなぁ」
今だって、一人で外出しようとしたあたしを送り迎えしてくれる。
こういう彼のやさしさは素直に好きだと思える。
人間として、という枕詞は付くけれど。
ただ今は、無性にその優しさに甘えたい気分だった。
「ねえセンセイ。久しぶりに────ホテルで、しない?」
あたしの一世一代の大誘惑に、センセイは小さく鼻で笑った。
「……断られる前提で誘うんじゃない」
「あ……やっぱバレた?」
彼は『あたしと一緒に暮らしていること』以外はあくまで先生を貫き通しており、生半可な誘惑なんて通じない。
知っていたさ。
だから冗談を冗談としてちゃんと受け取ってもらえるのだ。
これはそういう茶番だ。
────これだけ心が通じ合っているのにね。
あたしはまだ彼の深淵を知らない。
────彼は、別の選択肢を選んだ僕なんだ。
八木についてそう言っていた先生に、もう一歩近づきたい。
あたしは心に決めた。
「明日から、八木について聞き込みをはじめようと思うんだ」
彼の根源についてを知るための、それが最初の一歩だ。




