第9話 ジークハルト・フォン・ヴァイスベルクとして来た
王立技術博覧会。
年に一度、この国の技術者たちが腕を競う場。
私の工房の全てを、ここに賭ける。
◇
会場は王都中央の大広間だった。天井が高い。壁際にずらりと出展台が並び、技術者たちがそれぞれの作品を並べている。鍛冶屋の特殊合金、織物師の魔法糸、宝飾職人の光る装身具。
私の出展台は隅の方だ。推薦なしの新参だから、場所は選べなかった。
「先生、緊張してますか」
「してない」
「嘘です。さっきから魔石を持つ手が震えてます」
バレている。トビアスはこういう時だけ鋭い。
自動温度調整式暖房炉。出展台の上に置いた試作品は、この三ヶ月の集大成だ。
魔石の出力を室温に応じて自動で増減させる。暑ければ出力を下げ、冷えれば上げる。前世のサーモスタットの原理を、この世界の魔石で再現した。
審査の時間が来た。審査員が巡回してくる。
スイッチを入れる。暖房炉が静かに稼働し始めた。
会場の空気が、私の出展台の周りだけ、ふわりと温かくなる。
「……おお」
最初に声を漏らしたのは、通りがかりの来場者だった。出展台の前で足を止め、暖かい空気に手をかざしている。
「火がないぞ。煙もない。なのに温かい」
「しかも、ちょうどいい温度で止まっている。暑くならない」
人が集まり始めた。技術者たちが設計を覗き込み、審査員が足を止めた。
「これは……温度の自動制御か?」
「はい。魔石の出力を室温に連動させる仕組みです」
説明しながら、内部構造を見せる。扇状配置の魔石、排熱溝、そして新しく加えた温度感知部。
会場がざわめいた。良いざわめきだ。
◇
審査員の一人が、拍手しかけた──その時だった。
「少々お待ちいただきたい」
声が割り込んできた。
リヒテンベルク侯爵。白髪交じりの壮年の男。カーライルの父親だ。
「この技術は、エーデルシュタイン伯爵令嬢ローゼの発明ではないかという疑惑がある。審査の続行は、この疑義が解消されるまで保留すべきだ」
会場が静まり返った。
来た。
予想していた。だから怖くない──と思おうとしたけれど、心臓はうるさかった。
「疑義があるのでしたら、検証いたしましょう」
自分の声が、思ったより落ち着いていた。
鞄から、三つのものを取り出す。
「まず、こちらが私のアイデア帳です」
革表紙の、使い込まれたノート。伯爵邸の頃から書き溜めた発想の記録。全ページに日付が入っている。
「このアイデア帳の記録は、ローゼ様が社交界で発表された日付より、最低でも半年先行しています」
審査員がページをめくる。日付を確認する。
「次に、試作ノートです」
工房で毎日つけていた開発記録。失敗も成功も、全て日付と理由つきで書いてある。アイデア帳の発想をどう実装したか、その過程が全て残っている。
「そして」
トビアスが前に出た。その後ろに、工房の従業員が二人続く。
「私を含め三名が、フィーネ先生が一からこの技術を開発する過程を、毎日間近で見ていました。先生は毎日ノートに記録をつけていました。失敗した日も全部です。盗んだ人間がそんなことをするわけがありません」
トビアスの声は、市場の掛け声と同じくらい大きかった。
「さらに、王立技術院への発明登録も完了しております。登録日は、ローゼ様の発表日より先行しています」
登録証を審査員に渡す。
侯爵が口を開いた。
「ローゼ嬢に反証の機会を──」
「もちろんです。ローゼ様、この場で技術的なご説明をいただけますか? 魔石の扇状配置の原理と、排熱溝の設計意図について」
会場の視線が、ローゼに集まった。
ローゼは青ざめていた。唇が動いたけれど、声は出なかった。
技術サロンの時と同じだ。原理を理解していない人間には、答えられない問いがある。
沈黙。
運営委員会の委員長が立ち上がった。
「証拠の照合を行います。──結果は明白です。先行する日付入り記録、開発過程の記録、証人の証言、発明登録。いずれもフィーネ殿の先行性を示しています。当委員会として盗作の仮認定を行います。正式な裁定は王立審議会に委ねますが、覆ることはないでしょう」
ローゼの膝が崩れた。カーライルが支えようとしたが、ローゼは彼の手を振り払った。
「カーライル様」
振り払われた手を見つめるカーライルに、私は静かに言った。
「あなたが庇うほど、彼女の嘘が重くなるだけです」
カーライルの目が見開かれた。
◇
──俺は、何を見ていたんだろう。
博覧会の会場。人混みの中で、カーライル・フォン・リヒテンベルクは立ち尽くしていた。
フィーネの暖房炉が温かい風を送り出している。来場者が感嘆の声を上げている。審査員が設計図を食い入るように見ている。
あの女は冷たい人間だと思っていた。
婚約を破棄した時、泣きもしなかった。怒りもしなかった。「お好きになさって?」と言って、背を向けた。あの背中を見て、俺は思ったのだ。この女には心がないのだと。
違った。
泣かなかったのは、冷たかったからじゃない。
泣いても、誰も助けてくれないと知っていたからだ。
父親はローゼしか見なかった。俺もローゼの涙に流された。フィーネには味方がいなかった。だから泣くことをやめたのだ。
泣く代わりに、手を動かした。ノートに書いた。魔石を削った。たった一人で、ここまで来た。
フィーネの隣に、背の高い男が立っている。灰色の瞳の、寡黙そうな男。
あの男が──あの男だけが、フィーネの設計図を読んだ人間なのだと、俺には分かった。
入る隙は、もうない。
◇
盗作が確定し、会場がざわめく中。
「フィーネ殿」
聞き覚えのある声が、人混みを割って近づいてきた。
ジークハルトが、そこに立っていた。
外套を着ていない。いつもの書類の束も持っていない。手ぶらだった。宰相としての装いではなく、ただの一人の男として、そこに立っていた。
「宰相として来たのではない」
低い声が、ざわめきの中でもはっきり聞こえた。
「ジークハルト・フォン・ヴァイスベルクとして来た」
灰色の瞳が、まっすぐ私を見ている。あの日「顧客だ」と言った時に逸れた目が、今は逸れない。
「十年前、大切な人を失った。あの時に誓ったんだ。二度と、隣にいる機会を逃さないと」
十年前。
茶店のロッテさんが言っていた「奥様を亡くされた」──あれは本当だったのか。
御用達認定の日、手が震えていたのは、あの時。私の指を包んだ手が揺れていたのは。
ああ。
そういうことだったのか。
目の奥が熱くなった。涙が滲んだ。
──でも。
私は伯爵邸を出た日に決めたのだ。泣くより先に手を動かすと。
涙を指で拭った。
「……遅いです、閣下」
笑った。泣きながら笑った。格好悪い。でもいい。
ジークハルトが、私の手を取った。
魔石の粉で荒れた、爪の間に削り粉が入り込んだ、お世辞にも綺麗とは言えない手を。長くて白い指が、包み込むように握っている。
今度は、震えていなかった。
「話がある」
「……はい」
会場のざわめきが遠くなった。
暖房炉が、静かに温かい風を送り続けている。




