表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お好きになさって? 私は私の工房で忙しいので  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/10

第10話 不合格です、閣下。設計が雑すぎます


 博覧会から一週間。

 工房の前には、注文書の束を持った商人たちが毎朝行列を作っている。


 忙しい。

 幸せに忙しい。


 ◇


 「先生、在庫が足りません!」


 「分かってる! 午後に魔石を追加で仕入れるから、午前中は既存の注文を片付けて!」


 「はい!」


 トビアスが走り回っている。工房が狭い。作業台が足りない。人手も足りない。

 嬉しい悲鳴だ。半年前、金貨五枚を切って途方に暮れていた頃が嘘のよう。


 博覧会での受賞と盗作事件の顛末は、王都中に広まっていた。

 博覧会運営委員会の報告を受けた王立審議会が、正式な裁定を下したのは三日前のこと。エーデルシュタイン伯爵家に損害賠償命令。ローゼには社交界からの二年間の一時追放。カーライルとの婚約も揺らいでいるらしいが、それはもう私の知ったことではない。


 ヴァルデン侯爵が議会で追及していた「宰相と工房主の癒着」の件は、フィーネ工房が推薦なしで博覧会の審査を通過したことで根拠を失った。いつの間にか議題から消えていたらしい。ハインリヒが「閣下は何も仰いませんが、侯爵は相当ばつが悪そうでしたよ」と教えてくれた。


 工房の拡張を考え始めていた。隣の空き店舗を借りて壁を抜けば、作業場を倍にできる。弟子をもう二人くらい取ってもいい。


 「先生、お客さんです」


 トビアスの声に顔を上げる。工房の入口に、見覚えのある金髪が立っていた。


 ◇


 カーライル・フォン・リヒテンベルクは、以前とは別人のような顔をしていた。


 穏やかだった目元が疲れている。頬がこけて、整っていた顔の印象が変わっている。あの完璧な笑顔はどこにもなかった。


 「フィーネ。いや──フィーネ嬢」


 呼び方を改めたのか。私はもう婚約者ではないのだから、それが正しい。


 「博覧会の件で、正式に謝罪に参りました」


 カーライルが頭を下げた。深く。

 侯爵家の嫡男が、元伯爵令嬢の工房で頭を下げている。半年前なら想像もできなかった光景だ。


 「ローゼのしたことは、弁護のしようがありません。そして、あなたとの婚約を破棄した時の私の判断も──」


 「カーライル様」


 遮った。優しく。


 「もうお気になさらず」


 カーライルが顔を上げる。


 「私はもう、あの頃の私ではありませんから」


 怒りはなかった。恨みもなかった。本当に、何もなかった。

 カーライルは「あの頃のフィーネ」を傷つけた人だ。でも「今の私」にとっては、もうただの他人だった。過去の登場人物。名前を忘れかけた、あの日と同じ。


 カーライルの目に、何かが光った。涙かもしれないし、光の加減かもしれない。


 「……君は、本当に強くなったな」


 それは褒め言葉のつもりだったのだろう。でも違う。私は強くなったんじゃない。最初から、こうだった。あの家ではそれを出す場所がなかっただけだ。


 確認する前に、彼は踵を返して工房を出ていった。

 扉が閉まる時、背中が少しだけ丸まっていた。


 (……さよなら、カーライル)


 今度は名前を覚えていた。忘れはしない。でも、もう思い出すこともないだろう。


 トビアスが戻ってきて、入口をちらりと見た。


 「先生、あの人泣いてましたよ」


 「そう」


 「先生は泣かないんですね」


 「泣いてる暇があったら、注文を片付けなさい」


 「はーい」


 ◇


 午後。

 注文の処理がひと段落した頃、また扉が開いた。


 ジークハルトだった。


 博覧会以来だ。あの日、「話がある」と言って私の手を握ったまま、結局何も話さなかった。会場が騒がしすぎたのだ。

 相変わらず表情が薄くて、目の下に隈がある。でも、博覧会の時より少しだけ──ほんの少しだけ、顔色がましに見えた。


 「フィーネ殿。少し時間をもらえるか」


 トビアスが空気を読んで、「僕、市場の様子を見てきます!」と飛び出していった。気が利く子だ。


 工房に二人きりになる。

 ジークハルトは作業台の前に立ち、あの椅子を──ずっと空のままだった椅子を、ちらりと見た。


 そして、作業台の上に何かを置いた。


 小さな箱。開けると、中に魔道具の試作品が入っている。

 手のひらに収まるサイズの、空調制御装置。魔石が二つ、精密に組み込まれている。


 見覚えのある設計だった。

 以前、ジークハルトと二人で設計図の前で話し合った時──「暖房だけでなく冷房も制御できたら面白いですね」「理論上は可能だ」──あの時のアイデアを、形にしたもの。


 「これを、一緒に完成させてほしい」


 ジークハルトの声が、いつもよりわずかに低い。


 「仕事としてではなく」


 心臓がうるさい。


 「以前借りた設計図は、全て保管してある。一枚も捨てていない。参考資料ではなかった。──あなたが作ったものだから、手元に置いておきたかった」


 毎週工房に通っていた頃、「参考資料として借りたい」と言って持ち帰った設計図。

 全部、自室に保管していた。


 この人は。

 本当に、嘘が下手だ。


 「……不合格です、閣下」


 ジークハルトの目が見開かれた。


 「プロポーズの設計が雑すぎます。起承転結がない。感情の導線が不明瞭。ユーザーの心理を考慮していない。技術者としては失格です」


 技術の言葉でしか返せないのは、私も大概だと思う。でも、こういう時にどんな顔をすればいいか分からない。前世でも今世でも、こんな場面は初めてだ。


 ジークハルトは──笑った。


 初めて見た。この人の笑顔。口の端が上がって、灰色の瞳が細くなって、目元の皺が深くなった。不器用な笑い方だった。


 「では改良する。何度でも」


 ずるい。

 そんな顔で、そんなことを言うのは、ずるい。


 工房の窓から夏の陽が差し込んでいる。作業台の上の試作品に光が当たって、魔石がかすかに輝いている。二人で話し合ったアイデアが、こんなに小さな形になって、ここにある。

 指輪じゃない。花束でもない。宝石でもない。

 魔道具だ。二人の間に最初にあったものが、技術だった。だから、これでいい。これがいい。


 「一つだけ条件があります」


 ジークハルトの手を取った。自分から。

 魔石の粉で荒れた、お世辞にも綺麗とは言えない手で、インクの染みがある白い指を握った。


 「私の工房は、私のままです。ヴァイスベルク家の付属品にはなりません」


 「当然だ」


 即答。迷いがない。


 「それと」


 「はい」


 「……そろそろ、閣下はやめてくれないか」


 ああ。

 そうだった。この人にはまだ、名前で呼ばれていなかった。


 「では──ジークハルト様」


 言った瞬間、ジークハルトの手が、私の手を強く握り返した。

 震えていない。あの日、火傷した指を包んだ時とは違う。迷いのない、温かい手だった。


 ◇


 夕方。

 工房の外に出て、看板を見上げた。


 「フィーネ工房」。

 半年前、埃だらけの店舗に掲げた、手書きの看板。


 この看板の横に、いつか小さな銘板が並ぶ日が来るのだろう。

 「ヴァイスベルク公爵夫人」なんていう、大仰な肩書きの銘板が。


 でもそれは、まだ先の話。


 今はまだ、作りたいものがある。暖房炉の量産体制。空調制御装置の完成。トビアスに教えること。新しい弟子を迎えること。

 やることは山積みだ。


 工房に戻る。

 作業台の横に、あの椅子がある。

 もう空ではない。


 「ジークハルト様、そこに座るなら手伝ってください。注文が溜まってるんです」


 「……分かった」


 宰相兼公爵が、袖をまくった。


 ──この工房から始まった物語は、この工房で一つの形になった。

 でも、終わりではない。


 だって、まだ設計図の途中なのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
理解のある旦那様をゲットですね! 素晴らしいです。 ちょっとだけ実家のその後が知りたいです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ