第5話 王宮御用達の名に恥じぬ品を
「ここに、フィーネ工房を王宮御用達として認定する」
羊皮紙に押された赤い封蝋を受け取った時、指先が震えた。
火傷のせいじゃない。たぶん。
◇
認定式は、王宮の技術院の一室で行われた。
広間でも謁見の間でもない、書棚と実験器具に囲まれた狭い部屋。審査官が三名。品質試験、安全性試験、安定供給能力の証明──一ヶ月かけた審査の全てが、この羊皮紙に収まっている。
「品質については申し分ない。特に魔石の消耗率が従来品より大幅に低い点は特筆に値する」
審査官の言葉を聞きながら、心の中でガッツポーズをした。顔には出さない。一応、元伯爵令嬢だ。
消耗率の低減は、扇状配置と排熱溝の合わせ技だ。前世の省エネ設計の発想がなければ辿り着けなかった。あの一ヶ月の失敗の山が、ここで報われた。
「おめでとうございます、フィーネ殿」
隣に立っていたジークハルトの声。推薦書を出してくれたのはこの人だ。
「ありがとうございます、閣下。閣下のご推薦がなければ──」
「品質が基準を上回った結果だ。推薦は手続きに過ぎない」
素直に「よかったな」と言えばいいのに。
でも、この人がそう言うと、お世辞じゃなくて本当にそう思っているのだと分かるから、不思議と嬉しかった。
認定式の後、技術院の窓口に回った。発明登録の届け出だ。
金貨二十枚。二ヶ月前には出せなかった額が、直販の売上でようやく貯まった。アイデア帳の主要な設計と、試作ノートの開発記録を登録する。全て日付つき。
窓口の書記官が登録証に判を押す。重い音がした。
これで、私の発明は正式に私のものだ。
◇
問題は、その帰り道に起きた。
王宮の廊下を歩きながら、暖房試作品の入った箱を両手で抱えていた。認定式で実演に使ったものを持ち帰るところだった。
角を曲がった拍子に、箱の中で魔石がずれた。出力が不安定になって、排熱口から熱風が──
右手に、鋭い痛み。
指の甲の皮膚が赤く膨れるのが見えた。箱を落としかけたのを、左手で辛うじて支える。
「フィーネ殿」
背後から手が伸びてきて、私の右手を掴んだ。
ジークハルトだった。
火傷した指を、両手で包み込むように握っている。
「っ、閣下、大丈夫です、大したこと──」
「黙っていろ」
有無を言わせない声だった。
近くの控室に引っ張り込まれ、水差しの水で患部を冷やされる。ジークハルトの指が、丁寧に、けれどどこか切迫した手つきで、私の手を扱っている。
水が冷たい。でもそれより、この人の手のほうが気になる。宰相が、膝をついて、私の指に水をかけている。それは流石にやりすぎではないか。
その手が震えていた。
長い指。白くて、骨ばっていて、インクの染みがいくつかある。書類仕事で酷使されている手だ。その指先が、小刻みに揺れている。
「閣下、手が震えていますが」
「……冷えているだけだ」
嘘だ。初夏の廊下は汗ばむくらいだった。
ジークハルトの灰色の瞳が、一瞬だけ遠くを見た。
ここではない場所。今ではない時間。何か別のものを見ている目だった。
この人は今、私の手を握りながら、別の誰かのことを思い出している。
そう感じた。根拠はない。でも、そういう目だった。
包帯を巻き終えると、ジークハルトは手を離した。
離す瞬間、握る力がほんの少しだけ強くなった。
「以後、運搬は従者に任せろ。これは命令ではなく、忠告だ」
「……はい」
素直に頷いた。あの震えを見てしまったら、強がる気にはなれなかった。
聞きたいことはあった。何を思い出していたのか。誰のことを。
でも聞かなかった。この人が自分から話すまで、待てばいいと思った。
◇
工房に戻って二日後。
トビアスが市場から帰ってきて、困った顔で言った。
「先生。変な噂が流れてます」
「変な噂?」
「先生の魔道具と、どこかの伯爵令嬢が社交界で発表したアイデアが同じだって。どっちが本物かって話になってるみたいです」
ローゼか。
「それだけじゃなくて」
トビアスが目を逸らした。
「その伯爵令嬢が、『姉が私の発明を盗んだ』って訴え出たって──」
逆告発。
盗んだのは私だと、ローゼが先手を打ったのか。
盗作者のレッテルを貼られたら、せっかくの御用達認定も意味をなくす。客の信頼も。市場での評判も。
一瞬、背筋が冷えた。
トビアスが真っ直ぐこちらを見た。
「先生は盗んでなんかないですよね」
「もちろん。全部私が考えて、私が作ったものです」
「ですよね。だって僕、先生が毎日ノートに書いてるの見てますもん。失敗も全部記録してるし。盗んだ人があんなことするわけないです」
この子は、いい子だ。
作業台の引き出しを開ける。
アイデア帳。伯爵邸の頃から書き溜めた、日付入りの発想ノート。ローゼが社交界で発表したのは、私が市場で売り始めた後だ。日付の前後関係は明確。
試作ノート。工房開業からの全開発記録。失敗も成功も、日付と理由つき。
そして今日、技術院に届け出た発明登録証。
三つ揃っている。いつでも出せる。
でも。
「今は出さない」
「え。なんでですか」
「私の仕事は作ることです。争うことじゃない」
トビアスが納得いかなそうな顔をしている。分かってる。証拠があるなら出せばいい、そっちの方が合理的だ。
でもね、トビアス。
ここで私が証拠を出して妹を追い詰めても、それは「争いに勝った」だけだ。私が欲しいのはそういうものじゃない。
伯爵邸にいた頃、私はいつも透明だった。誰にも見えていなかった。でも今は違う。市場のお客さんが名前を覚えてくれる。トビアスが「先生」と呼ぶ。ジークハルトが設計図を読んでくれる。
この場所を、争いで汚したくない。
作りたいものが、まだたくさんある。暖房の改良型。自動洗浄の食器。温度を自分で調整する空調装置。
争っている暇があったら、手を動かしていたい。
「先生は、お人好しですね」
「かもね。──じゃ、暖房の試作に戻りましょう」
トビアスがため息をついて工具箱を引きずってきた。
大丈夫。証拠は全部ある。必要な時が来たら出せばいい。
今はただ、作る。
火傷した右手でペンを握る。包帯のぶん太くなった指が、いつもより持ちにくい。
でも、包帯の下に、まだジークハルトの手の温度が残っている気がした。




