【第一話】鎮勢山に雪は降り
昨晩から降り続けた雪は、今朝方にはようやく止んだ。
遠くに見える鎮勢山の頂にはうっすらと雪化粧が施れ、庭の垣根の椿の上にもそれぞれ可愛らしい雪帽子を被っていた。その様が風流であると山添が喜び、仕事もそこそこに筆を取って絵を描く。横で江迎が覗いてみたが、やはりいつも描く割にはちっとも上達などしておらず、それでもとりあえずは笑って「お上手ですね」とお世辞を言ってみた。本人は椿のつもりだが、首を横に向けても斜めに向けても、どう見ても丸めた雪玉のようにしか見えない。
「上手いだろう」
「はい、とても」
このやり取りをもう何百回行ったのだろう。いい加減お世辞に気付いてほしいが、山添は至って真剣である。墨で汚れた人差し指で得意気に鼻の下を擦り、近くで茶を淹れていた文に自信満々に見せつけた。文も同じように首を横や斜めに向けたあと、目を細めてしばらく考え、そして「雪椿ですね」と言った。
「分かるか、分かるよな。どうだ、上手いだろう」
「はい、とても」
「そうだろう、そうだろう」
山添は嬉しそうに文の肩を叩く。その衝撃で持っていた急須が揺れ、茶が溢れそうになった。おっと、と江迎が横から支える。美しい青磁の急須を文から受け取り、「割れますよ」と軽く諌めた。
「おお、すまん。おまえの大事な物だったな」
「別に大事なわけではないのですが、このような高価な焼き物、割れてしまっては勿体のうございます」
「ならば使わずに飾れば良いのではないか」
「飾り物として生まれたわけではないでしょう。使われてこその焼き物。ただ、大して活躍もせず、本懐も遂げずに早世するのはあまりにも不憫でしょうに」
「そうかのう、儂は飾ったほうが良いと思うのだが」
二人が熱心に話し込む間に、羊羹の皿が割って入った。外側が固く、中はしっとりと柔らかい羊羹は、隣の部屋の長からの土産であった。
「ささ、そろそろ休憩しましょう」
「山添はずっと前から休んでいるから、この羊羹は私がいただこうかな」
「なんだ江迎、可愛げが無い」
三人で笑い、縁側に座る。鈍色の空の下、普段とは異なる銀世界を見ながら茶を啜り、甘い羊羹に舌包みを打つ。今日の茶は一段と渋かったが、これが甘味と良く合うのだ。そういう然り気無い計算ができるところが、文の賢いところなのだ。
なんとも贅沢なひとときだと、この時間が永遠に続けば良いと、江迎だけでなく、山添も文もそう思っていたが、声には出さなかった。
ここは山河城。辺り一面平野に囲まれ、東には大きな川が流れる。山河領を統治するこの城は、王がいる本殿と、東西南北にはそれぞれ四殿がある。東が軍部治安、南が治水と開拓開墾、西が商工農、北が民の動態と税を管理している。
江迎が暮らす場所は、この北殿にあたる。他の殿よりもとりわけ仕事が多いものだから、北殿は更に細かく別れ、その敷地も広い。各村の税の管理し、税の管理に至るには計算もいる、税を計算するならば間違いが無いか確め算もいる。税を出すには各村の民の数も当たらなければならない。帳簿と実際の数が間違っていないか、時折偵察も必要となる。西殿で出された馬や家畜の数も、税に計上する。東殿で出された働き盛りで徴兵された者の数も、税の計算では必要となる。南殿で上げられた水害や開墾による農地増減の報告も、税の計上に関連する。
結果、北殿が一番多忙で、人の手がかかり、本殿からの小間使いが荒いのだ。税が合わなければ本殿からどやされるのも北殿。一番厄介で、報われない殿であり、城に住んでいるのに華やかさなど微塵も感じさせない地味な存在。
常に忙しなく走り回る様があまりにも庶民臭く見えるのか、他の殿からも下に見られる始末。実際、本殿以外は、どれが偉い偉くないなどは本来無いのだ。
江迎はこの北殿の十二番所で、ここから少し離れた三つの村の村民帳簿を管理していた。十二番所は前まで十人で勤めを行っていたが、ここ最近は村民の数も減り、昨年からは三人で事足りるようになってしまった。
「あと一月か」
しみじみと山添が呟く。曇天の空模様にそっくりな、重々しい空気が十二番所の十畳の空間を流れる。
「寂しくなるな。おまえが儂の村に来てくれるなら、良い男を紹介してやるというのに」
「山添様、聞こえますよ」
「そうだった」
文が小声で諌めると、山添は舌をペロリと出して肩をすぼめた。周囲には誰もいない。だが、誰もいないように思えて、この北殿にも密告者がいる。
先日、王の事を陰で罵ったとして、五番所の男が突然連行され、処刑されたという。確かによく他人の悪口を言っていた男だったが、それは今に始まったことではなかった。喧嘩早い荒れた気性は生まれ持ったもので、よく山添とも些細なことで口論をしていた。竹を割ったような性格で、納得できないことには絶対に首を縦に振らない、とても正直な人間だった。
処刑をされるほど悪い人間では無かったはずだ。
本来は本殿と他の殿が交わることはほとんど無い。同じ城でも、住む世界が違いすぎるのだ。本殿からお叱りが来る時も直接ではなく、小間使いを介するから本殿の人間を見たことは無いのだ。
だから、必ずここに密告者がいる。ここ数年のこの城の異様さを誰もが肌で感じていたが、口には出せないでいた。
「でもな、儂は寂しい」
「山添様、喜ばしいこととして送り出しましょう」
「しかしなぁ」
腕を組んで、顔を上げる。山添は眉間に皺を寄せ、納得できない顔をした。
江迎は、次の月には本殿の刑部主、正里氏の妻となる。
だが、正妻ではなく側室。しかもよくよく話を聞けば、五番目の妻ということではないか。五番目など、ほとんど飼い殺し。妻として華々しく生きるのではなく、残った冷たい米を食べ、正妻らに虐げられながら惨めに暮らすのは目に見えていた。
これは栄転ではなく懲罰だと、山添だけでなく江迎自身も分かっていた。それでも、断ることはできなかった。
──本殿の人間の言うことには、絶対に抗ってはいけない。
昨年、南殿で働く美しい娘が、本殿のとある主からの嫁入りの誘いを断り、そのすぐ後に中庭の一本松で首を吊って死んだ。だが、それは自死ではない。だれかに殺されたと言った方が正しい。では、一体誰がなどと探るのは野暮なほど、真実は目に見えていた。本殿の男の顔に泥を塗ったからだと、殺された理由は明確であった。
南殿の中庭で見つかった彼女の遺体には、紐で括った跡とは別に、手で絞められた跡がくっきりと残っていた。自死に見せ掛けた他殺。
彼女は、同じ南殿の青年との婚姻を目の前にしていたという。
青年は娘の後を追うように、娘が死んだ数日後、同じ中庭の一本松で首を吊った。
だが、話はそれだけでは終わらない。その後があまりにも理不尽だったのだ。
まず、縊首による騒ぎで南殿を混乱に貶めたとして、その娘の番所が取り壊しとなった。それなりに大きい番所であったが、勤めていた者は全てお役御免となり、着の身着のまま即日追い出された。そして番所の長は、娘が死んだのは長が辛く当たったからだとして、その責任を取らせるよう即日で打首にした。
もちろん、そのようなことは無かった。事実無根である。
娘の番所長はそれはそれは大切に彼女を育てていたし、人徳者としても有名であった。長くここにいる山添だけでなく江迎も、四殿を交えた春の宴の席で彼と面識がある。とても優しい、穏やかな人だった。
顔見知りの南殿の者とたまたま話をする機会があったが「あれはどう考えても本殿の人間が殺したに違いない。番所の取り壊しも長の打首も、口封じのためだろう」と、辺りを警戒しながら小声で江迎に語った。
だからこそ、江迎は嫁入りを断れない。
正里氏など顔を見たことも、名前を聞いたこともない。刑部主は、前は園氏という名の男であった。いつの間に正里氏に代わったのか分からない。前述の通り、本殿と他の四殿の人間が基本的に交わることはない。全て下で働く使いが伝令という形で来るため、顔を見ることが無いのだ。
ほんの数年前までは、本殿の人間は四殿を行き来をしていた。懇意にしている女が暮らす村の税を優遇してほしいと、真夜中にこっそり手土産を持って山添氏を訪れたこともあった。春の宴では本殿の人間も交え、美しい舞や陽気な踊りを笑って見ていた。
それがいつの間にか、本殿と四殿の交わりは一切断たれ、言葉を交わすことも許されなくなった。
朝の勤めが始まるとき、夜の勤めが終わるとき、必ず本殿に向かって平伏をするようと命が出た。四殿の飯も質素なものになり、味噌を少しだけ溶いた薄い汁と僅かな米、そして漬物三切れだけの小皿が毎回。ただし、本殿からはいつも良い匂いが漂ってくる。四殿の予算を抑えて良いものを食べてるな、とは誰もが気付いていた。
城下町の美しい女達──夜女が本殿を出入りしているのを江迎は何度も見たことがあるし、夜中に厠に行った時には、本殿から女らの艶かしい声と男らの生々しい声が聞こえることもあった。その度に江迎は耳を塞いで、足早に中庭の廊下を駆けて行った。
それもこれも、この城の全てがおかしくなったのは先代の王が重い病に伏してからである。病に伏して後、人が変わってしまったとしか言いようがない。
狐に憑りつかれたんだ、と山添は言っていた。そうでなければこの山河城の異様さは説明できない、と。本殿が世間から隔絶され、自分達が崇高なものであることを強いられる。
「自分達が仙人にでもなったかのようだ」
江迎がこぼした台詞は、そのまま冬の凍てつく風に乗って遠くへ消えた。湯飲みの中に雪が落ち、ゆっくりと空を見上げてみる。まるで自分達を飲み込みそうなほど重くなった空が降りてくる。遠くに聳えていたはずの鎮勢山は、吹き荒ぶ雪で景色が霞み見えなくなっていた。
もうすぐ、江迎は似非仙人のところへ嫁へ行く。
自分の価値は、勝手に送りつけられたこの焼き物だけで充分と、そう思われているのが悲しかった。
(続く)




