16.わたくしの人生、わたくしの恋(ローズ)
今回はエレンの姉ローズの一人称です。
わたくしはペイリー伯爵家の長女として生を受けました。
わたくしの上に男子はおらず、女ながら継嗣として育てられました。
この国は女性でも跡継ぎになれるので、小さな頃からわたくしはそのように教育されてきましたわ。先に淑女教育を受け、ある程度して跡継ぎとしての領地経営などの教育が増えました。
子どもも参加可能なお茶会――母親のおまけのようなもの――で会う年頃のご令嬢はお菓子や流行のドレスの話などが多く、わたくしは彼女たちの話についていけずに口を噤んでいたこともあったのは、懐かしい過去。
そんな、わたくしてでも友人といえる方は数人いて、今日はアッシャー伯爵家のクラリス――互いに様を付けづに名前呼びをする仲――と、久しぶりに美術館を鑑賞する約束を交わしていたわ。
予定通りの時間に待ち合わせ場所に行けば、クラリスはすでに来ていて歩きやすいすらりとした服装で、わたくしを見ると手を振ってくれたわ。わたくしも手を振り返して、彼女のもとに行って「ごきげんよう」と挨拶を交わした。
「久しぶりね」
「お互い、秋まで領地で過ごすものね。半年ぶり……くらいかしら?」
「そうね。元気そうでなにより……とは、ちょっと言い難いのかしら?」
クラリスはそう言うと、自分の目のところに手を当てて、「少し腫れぼったいわ」と苦笑交じりに呟いた。
「……そうね、ちょっといろいろあって……」
「聞いているわ。婚約者のこと……残念だったわね」
「……そうね、あまり良い方ではなかったみたい。妹には悪いことをしたわ」
「また、エレン嬢のこと? あまり庇ってばかりでは、あの子はいつまで経っても成長できないわよ」
クラリスは少し強い口調で、わたくしのことを窘めた。
分かってはいるのだけれど、今まであの子の言うことを優先してしまっていた身としては、そう簡単に考えを変えることが出来ないのよ。
わたくしは、曖昧に微笑んで誤魔化そうとした。
「たしかに、あなたの婚約者は他の未亡人とも浮気していたと話題になったわね。新聞にも、小さいけれど記事になっていたわよ」
「……知っているわ」
小さな記事でも話題になる。
だから、これ以上、話題にならないように静かにしていなければならないのに。
アドルフ様のことを言えないわね。婚約破棄をしてすぐに、他の方を好きになるなんて……
「ローズ?」
「あ、ごめんなさい。それより、中に入りましょう」
「ええ。あ、そのあと行きたいカフェがあるんだけれど」
「どこかしら?」
クラリスは美術館のあとの予定も考えていたのね。わたくしったら、最近、自分のことばかりで気が回らなくなっているわ。クラリスに愛想を突かれてしまったらどうしようかしら。
「ノーリッシュ・カフェに行きたいの。紅茶のお店ではなくて、コーヒーをメインにしているのよ」
「コーヒー?」
コーヒーってあの紅茶より濃い色の、苦い飲み物のことでしょう?
「コーヒーはちょっと……」
「あら、ケーキの甘さとコーヒーのほろ苦さがいいのよ」
「そうなの? でも、飲んだことはあるのだけれど、あまり合わなくて……」
「そう、なら仕方ないわね」
クラリスはわたくしがコーヒーが苦手だと知ると、強く勧めることはなかった。ちょっとほっとしたわ。
結局、美術館を鑑賞した後、わたくしが寝不足ではないかと気を利かせてくれてお別れになった。
「また会いましょう」と言いながら、彼女は目的のカフェに向かって歩いて行ったの。
そういえば、最近、いろいろな物が発明されて、一昔前と違って貴族令嬢のわたくし達も1人で歩いたりすることも出来るようになったわね。昔では侍女や護衛が必ず付いていたのだけど。
夜は街灯の明かりのおかげで完全の暗くならず、昼間も大通りならある程度安心して歩けるようになっている。
わたくしは、辻馬車を停めてペイリー伯爵家まで帰った。
邸に戻ってきて、外出用の服から部屋着へと着替える。
夜会などのドレスと違って、最近では1人で着られる服もあり、メイドを呼ぶことなく1人で着替えた。
夜会――という言葉で、先日のことを思い出し、1人赤面した。
王都に来たばかりの頃は、婚約者がいて心が躍ることもないけど、嫌でもない――そんな気持ちで婚約者だったアドルフ様と接していた。
心がモヤモヤしたのは、エレンがアドルフ様に必要以上に接触しようとしたこと。
もういい歳なのだから――と、何度諫めたことかしら。
でも、エレンはわたくしの言うことを聞いてくれず……婚約者を取られるという心配でなく、エレンが性別と年齢を考えた行動をしないことにハラハラしていた。
わたくしの妹――エレンは2つ年下で淑女教育を受けてはいたものの、わたくしより採点が甘くて、少々厳しい家庭教師に見てもらうと、お母様に泣いて辞めさせていたわ。
エレンの様子を見ると、本人のためにならないと思うのだけれど……甘やかす両親も両親で、将来、エレンが嫁いだ場合、苦労するでしょうに――と思ったものです。同時に、わたくしには厳しく接し、エレンには手放しで甘やかす両親に対して、思うところもあったわ。
そのせいか、エレンは他のご令嬢に比べてわがままに思ってしまうところが多々見受けられた。
とはいえ、エレンは可愛い妹だとは思っているわ。エレンがわたくしのものを欲しいと言って泣いた時、お母様はわたくしに譲るように言うの。お母様の言葉に逆らうこともなく、エレン可愛さにわがままを聞いてしまっていたわ。
それが悪かったのでしょうね。
エレンのわがままはどんどん増長し、わたくしが婚約者から頂いた物も欲しいとねだるようになってしまった。さすがに婚約者から頂いた贈り物を、身内といえど誰かに渡すのは婚約者に失礼ですもの。
ですから、何度エレンを諫めた事でしょう。けれど、わがままになってしまったエレンに正論は効かず、ただ「欲しい」とねだるばかり。
そして、場所を考えずにエレンの相手をしてしまったせいで、あの子は階段から落ちて大怪我を負ってしまった。
わたくしが婚約者からのものだと必死にならず、日常使いのブローチを渡していれば……!
そのせいで、あの子は怪我を治療しても4日も目が覚めなかったのだから。
目が覚めてからは、あの子はわがままを言わなくなり、さらにはお父様に家庭教師を付けてほしいとまで言っていたわ。
どこか変わった妹を不審に思うものの、わがままを言わず、わたくしのことを好きだと言ってくれるようになって、可愛らしい妹になったの。とても嬉しかったわ。
けれど、アドルフ様が来ると聞いた途端、また前の状態に戻ってしまって、とても悲しい気持ちになったわ。
でもそれが、本当はアドルフ様の本性をわたくし達に知らせるためだったなんて……。
しかも、あの子はアドルフ様に襲われてしまった。いくら未遂といえど、心に傷を負ったに違いない。
表面上は何も感じていないようだけれど、そうではないと思うの。もし、これで男性不信になってしまったらどうしましょう――そんな、わたくしの考えは杞憂に過ぎないのか、王宮主催の夜会で隣の領地のリントン子爵令息ニール様と、それなりに仲良くしているようで安心したものだわ。
王宮主催の夜会だけでなく、その後の夜会でもパートナーになっていただき、2人で仲良く出かけるのを見かけたもの。良かったわ。
でも、妹のことばかり考えてもいられない。
王宮主催の夜会で、わたくしはある男性と出会ったわ。
彼は、わたくしが少し人の熱気で顔が火照ってしまい、バルコニーに出ようか迷っていたところに声をかけられたの。バルコニーは1人で出るのは不安だったので、つい、彼に同行していただいてしまったの。
彼――ヴィンス・エアルドレッド公爵令息は、銀髪碧眼の静謐な佇まいで、でもとても優しい方でした。アドルフ様も優しい方だと思ったけれど、なんというか、雰囲気が違っていたの。
バルコニーから庭園に出て、2人きりで色々な話をしたわ。話の内容もわたくしが継嗣だとわかると、領地のことなど真面目な内容から、軽いジョークで笑わせてくれたりと、とても楽しい時間で夢のようだったわ。
夜の庭園で2人きりなんて、未婚の女性にはあるまじき行為だったと今でも思うわ。でも、その後の夜会でも彼と会うと、どうしても傍にいたい。もっとお話したいと思ってしまうの。
そういえば、アドルフ様とはこんな気持ちにならなかったのよね。どちらかというと、会うのも夜会でのエスコートも義務的なもので、わたくしがペイリー家を継ぐのに必要な方だから――という考えだったので、また会いたい、もっと話したいという欲求がなかったんだわ。
でも、ヴィンス様は……
そこまで考えて、あり得ないと頭を軽く左右に振った。
そう、あり得ない。彼はエアルドレッド家の跡継ぎで、わたくしもペイリー家の跡継ぎ……どちらも家を継がなければならない存在で、彼と一緒になる事など出来ないのだから。
わたくしは一人っ子ではないので、代わりが居るといえば居るのだけれど……妹、エレンに今頃になって大役を押し付けるわけにはいかないわ。あの子は継嗣としての教育を受けていないのですもの。
諦めるしか……ないんだわ。
わたくしはペイリー伯爵家を継ぎ、守っていかなければならないのだから。
貴族の娘として生まれて、政略結婚が当たり前の中、こんな風に誰かを想う事が出来たのは、とても稀な事。これを思い出にして前に進むしかないのよ……。
それでも……もう会わない方がいい――そう思うだけで、目頭が熱くなってくる。
あと何回こんな考えを繰り返したら、胸に痛みを感じなく、ただの思い出として語ることが出来るのかしら。
どうか、誰か教えてください……。
誤字脱字報告ありがとうございました。




