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他の客の迷惑にならないよう店の前で二人がしばらく待っていると、師匠がまたやってきた。由希姉が如才なく挨拶した。脇で見ていた母親がそこで分かったのは、師匠が若干おどおどして、内心ひどくあがっているらしいことだった。突如訪れたこの幸福を、どう理解すればいいか分からないのだろうな、大好きだった人が二十年振りに現れたのだもの、と母親は彼を見て察した。
「もうすぐ仕事終わりなんでしょう? 三人で少しだけ話せない?」
由希姉は微笑みを顔に貼り付けたまま言った。しかしその目は油断無く元恋人を見つめ、見た目や仕草、態度を検分していた。
「ああ、はい。じゃあ、とりあえずあっちの、パン屋の前の休憩スペースで待っていてもらえます?」
師匠がそう答えると、由希姉は「敬語!」と言ってまた笑った。
「おいっ」
その時由希姉と母親が横並びに立っているすぐ左横から怒鳴り声がした。
二人がそちらを向くと、初老の男性客がそこにいた。初老の男は並んでいる客の応対をしているおばさんの店員に、客の列の脇から声をかけたのである。おばさん店員は、はいっ、とびっくりして答えた。
「さっき買った焼き鳥が一本足らないんだ! 八本買ったのに、七本しか入ってなかった!」
初老男性は続けてそう怒鳴った。
母親が見ると、小柄で痩せている白髪のおじいさんだった。皺の多くついたダウンジャケットを着て、色あせたブルージーンズを穿いている。三角のその目は赤い血管が浮き出て血走っていた。口を開くたび黄色い歯が見えた。煙草と加齢臭の混じった臭いがかすかに漂ってきた。焼き鳥が入っているのであろう、白いビニール袋を右手に持って、それを店員に見せつけて上下に振っていた。
「申し訳ありません! レシートはございますでしょうか?」
そう答えたおばさん店員は明らかに恐怖していた。
「レシート?」
初老男性は少し固まった後、
「俺が信用できないから、言うことが信用できないから、レシートがないといけない言うんか! レシートはいつも家のゴミ箱に捨て、帰ったらすぐ捨ててるんだ!」
若干どもりながら、顔を赤くしてがなりたてた。
「申し訳ございません、レシートがございませんとすぐには確認が――」
おばさん店員がそこまで言ったところで、初老男性が再び怒鳴った。
「なんだ、じゃあレシート取りにいったん家に帰ってまた来いって言うんか? そんなこと許されるのか? もういい! どうせお前らもバカにしてるんだろう、このぼけカス!」
そこまで怒鳴ると手に持ったビニール袋から焼き鳥の入っている白い紙袋を取り出した。そうしてその袋を逆さにした。紙袋の口から焼き鳥がぬらぬらと次々飛び出て彼の足元に落ち、床をタレで汚した。初老男性は更に袋を揺すった。残りの焼き鳥が飛び出てきた。
全ての焼き鳥が床に落ちてしまうと、
「数えてみろ! 七本しかないから!」
と言って、最後に紙袋、ビニール袋の順で床に投げ捨てた。そうして唖然として状況を見ていた客たちを尻目に、母親と由希姉の前を通って、後ろも振り返らず右方へ去って行ってしまった。
ざわざわ、列をなした客がざわめきあい始めた。おばさん店員はあっけに取られて、床に散乱した焼き鳥をただ見つめていた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ございません!」
するといつの間に移動したのか、師匠が裏口からカウンターの客側に来ていて、客たちに頭を下げた。
「今掃除いたします。お買い物は少々お待ちください」
そう言って彼は床にしゃがんで片膝をつき、落ちている焼き鳥を拾い始めた。一本一本焼き鳥の竹串を手に取り、初老男性が捨てていったビニール袋に入れていく。
「若瀬さん」
全ての焼き鳥を拾ってしまうと、師匠は立ち上がり、ショックで呆然とし続けているおばさん店員に声を掛けた。
「雑巾とバケツを持ってきてください。タレを拭いてしまいますから」
「はい」
おばさん店員ははじかれたように裏へ回った。
それから師匠は、その様子をそばで見続けている元恋人とその幼馴染に対して、
「ごめん。ちょっと遅くなるかも知れないけど、休憩スペースで待っていてください。なるべく早く済まして行くから」
と、まどろっこしいくらいのゆっくりした話し方で言ったのだった。




