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人は、自身の五感から取得した情報から推測した光景とかけ離れていた場合、一時脳が考える事を止めてしまう事がある。それを単純な言葉にすると唖然とする等と言うのだが、正しくそれがこれだろう。絹を引き裂く様なと称される女性特有の甲高い悲鳴。それを聞けば、誰だって女性が襲われていると勘違いする筈だ。
「禿げた筋肉の塊……」
「誰が禿げよっ!!…ってそれより、ボーっと見てないで助けなさいよっ!!」
ポツリと呟いた俺の言葉通り、目の前には盆踊りの様な踊りを踊りながら必死に逃げている筋肉の塊が居た。頭はスキンヘッド。毛の一本も生えておらず、厳つい顔、鷹の様な鋭い目をしておきながら、ベッタリと厚化粧をしている。筋肉で盛り上がった胸を張って、だけど何処か女性的なクネクネと言えばいいのか、そんな感じを受ける動きでこちらに迫ってきた。
俺の言葉に女性的な言葉使いでツッコみを入れながら助けろとまで言ってくる。言葉が通じる事に安堵しながら、嫌悪感が滲み出てくる。何故日本語なのだろうとも疑問に思っていたが、言われた事が御尤もでもあるので取り敢えず周りを見渡した。遠目に見ただけでも木々を薙ぎ倒し粉塵を巻き上げる相手が居る筈なのだ。
「って、ビックフットトレントぉ!?」
だが周りを見渡しても木々とその根っこがあるだけ。もしかして飛んでいるのかと視線を上へと向けるが青空が広がるだけ。あれ?敵は?と改めて視線を前へと向けると、なんと根っこが蠢き、こちらに向かってくるではないか。改めてその根っこから視線を上へと向けていくと、枝を振り回す巨木があった。
思い当たるモンスターはビックフットトレント。通称深き森のトラウマor深き森の素材である。巨大な足の様な形をした根を地中では無く、地上に出してそれを器用に使い歩き回る。と言っても動き回る植物系モンスターはその動きはたいして速くは無く、回避する事も稀であり、だがその攻撃力は桁外れ。下手に攻撃をくらえば、相対するモンスターよりも高レベルな防御主体のプレイヤーでも一撃であることすらあり得るモンスターでもある。
かつて職業『武闘家』を主体に取っていたプレイヤーが、このビックフットトレントの動きが遅い事に目をつけ、ヒットアンドアウェイを繰り返す事でソロ狩りに挑戦した事があった。だが最初のうちこそ反撃前に逃げ切れていたがある時足を縺れさせ、たった一歩分ではあったがそれまでより逃げ切れた距離が短かった事があった。
次の瞬間、その武闘家の姿はそこになかった。吹き飛ばされたのだ。ビックフットトレントの攻撃手段は左右の枝を振り回す事だが、その巨体から繰り出されるとして、自身を中心に広範囲攻撃となっていたからで、たった一歩分ではあるがその攻撃範囲に入っていた為一撃を喰らい倒されたのであった。
武闘家は移動から攻撃速度まで含めて速度が何より高い職業ではあるが、その反面防御力が紙同然とも言われる職業であり、相手が防御主体のプレイヤーすら一撃のあり得るビックフットトレントだからこそ起きた不幸な出来事であったのだが、その映像を見たプレイヤーにトラウマを刻み込んだモンスターでもあった。
「って、うおっ!?…相変わらず、えげつない攻撃範囲だなぁ。」
かくいう俺もまたトラウマを刻み込まれたプレイヤーでもあり、思わず動きを止めてビックフットトレントを見てしまっていた。その間に俺の傍までやってきた筋肉達磨は、そのまま俺の横を通り過ぎ、ふぅと息を吐きつつ汗を拭っていた。
ビックフットトレントの習性、と言うかゲームのプログラムと同じだとするのなら、一番前に居るプレイヤーに襲い掛かる筈で、そしてそれは俺だった。
辛うじて振り回された枝を軽く跳ぶ事で回避し、その攻撃範囲から急いで逃れる。今のステータスならばダメージは入らないだろうが、それでもまだ村人のレベルが高くない時―――当時は村人のレベルが30過ぎた頃だった―――に相対した時のトラウマからあまり相手をしたくないモンスターでもある。
「ちょ、ちょっと、こっちに逃げてこないでよっ!!」
「どっちに逃げても一緒だろっ!!」
攻撃範囲からは逃げられたとしても、それでも相手がこっちを見失ったわけでもなく、顔が無いのにどうやってこっちを認識しているのか判らない以上下手に逃げ切る事も出来ない。そうして後ろへ後ろへとビックフットトレントから視線を外さない様に下がっていたら、ついに筋肉達磨の所まで下がって来てしまっていた。
筋肉達磨が俺に向かって文句を言ってくる。それも仕方がないだろう、厄介な敵を擦り付けたと思ったら、その擦り付けた相手がそのモンスターと共に逃げて来たのだから。擦り付けられた方としては文句なんか言うなとも言い返したいが、ゲーム時代に村人であった事もあって、こういった偶々な不幸というのは何度も経験している。当然擦り付ける方で。
ただビックフットトレントの習性上、反対方向に逃げたとしても、もし筋肉達磨の方が近いと言う事になれば、結局はビックフットトレントは筋肉達磨を襲いだす。どっちが良かったのだろうと考えだして、それは後回しにすることにした。
「来てる来てる来てるぅ!!」
「わーってるってのっ!!」
ビックフットトレントの動きは遅いとはいえ、ただでさえ巨木である周りの木々よりも高いのだ。一歩の幅が広く、多少程度の距離であれば簡単に詰められる。今は取り敢えず逃げる事に集中したい。
「ひえっ!!」
「うおっ!?…んなのありかっ!!」
俺達の距離が中々縮まらない事に気付いたビックフットトレントがその枝を振りかぶり、何かを投げ放った。筋肉達磨は短く悲鳴を上げ、どう見ても見苦しい盆踊りの様な格好で避ける。俺と言えば、ゲーム時代になかった攻撃方法に避けられず、だが運の良い事に掠る程度ですんでいた。何を投げて来たのかと走りながらその正体を見ると、見た目はイガに包まれた馬鹿でかい栗、投げればダメージを与え、錬金で食糧化し、植えれば種アイテムとなるアイテム名『ビックリ!』であった。
運営会社は日本が本部のゲーム会社であり、だからか意外とダジャレネームのアイテムは多い。運営のお遊びである。だからかそんなお遊びアイテムであろうと、今現在それに襲われている側としてはと思わず悪態を吐いてしまう。
「ちょ、ちょっと、何で反撃しないのよっ!?」
「無茶言うなよっ!!武器すら持って無いのにっ!!」
「何でっ、持って無いのよっ!!」
口喧嘩しながら、俺も筋肉達磨も盆踊りの様な動きで放たれたビックリ!を避ける、避ける、避ける。投げ放たれると言う事は、直線状に跳んでくると言う事で、途中で軌道を変えると言う事は無く、だからこそその射線上から逃げれば簡単に避けれてしまう。だが剣や銃の達人でもなんでもない俺達では視線のみでその射線を見切れるとは到底言い切れない。体を横にする事で少しでもその射線軸から逃げる事で当たり難くするぐらいだ。この動きが盆踊りの様に見えていたというわけである。
逃げながら筋肉達磨が何故反撃しないのか聞いてくる。こっちこそその見た目で、中身を知らなければ良い所、やんちゃな子供としか見られない俺にそれを言うのか判らないが、精神的に一杯一杯なのかもしれない。
俺はゲーム時代農耕プレイをしていた。村人のレベル突破方法によってステータスによるごり押しで押し通す事が出来た事と、ビックフットトレントの様なトラウマモンスターは避けてプレイしていた事もあって、武器と呼べるような武器を所持していなかったのである。
これがゲームであるのならば殴った所で衝撃はあっても痛みは感じる事がない上、もし一撃死させられたとしても復活するなり、蘇生魔法でもかけて貰えばいいだけだが、これは現実で。殴れば俺の拳も傷つく事になり、死んだらどうなるのか判らない。武器を持って無い事を言い訳にして抗議すると、息も絶え絶えに何で武器すら持っていないのか筋肉達磨が聞いてきた。
「ちょ、きゃあっ!!」
「うぇあ!?」
如何答えれば良いのか、少し考え気味になっている内に、筋肉達磨の悲鳴が聞こえた。瞬間背中側に下方向に引っ張られる様な衝撃と共に俺は地面に顔面から突っ込んだ。