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セキノモリノヒメ、いやここは敢えて九尾狐と言わせてもらおう。今は魔獣形態なのだし。は鋭い牙が並ぶ口を開け、俺に向かってきた。咄嗟に後ろへと下がる。バクンという空気を呑み込む音を残し、目の前で閉じられる咢。
「ふん、流石に鬼なだけはあるという事か。」
俺と俺の腕の中に居るイクスを見下ろすように、いや事実その巨体な分見下ろしているのだが、目付きがまるでこちらを見下しているかのようで。そんな九尾狐は口を開く。
俺が先の一撃を回避したことが気に入らないのだろう。二度三度俺達を狙って噛みついてくるも、俺はキッシュの身体能力のおかげでギリギリ回避出来ている。
「ええい!埒が明かぬわっ!!」
「イクスっ!!」
「ええっ!!」
何度目か、噛みつきを繰り返していた九尾狐だったが、それでも俺達が捕らえられないと判ると、少し下がりつつ、巨大な尻尾の一本を俺達へと振り下ろす。
このままでは防御すらままならないと判断し、イクスに声を掛けつつ降ろしながらイベントリからもう残り少なくなってきたビックフットトレントの丸太を取り出した。どこかで武器替わりになるものを仕入れなければ、今回の様な突発的な戦闘には不安を覚えてしまう。
使い慣れたというか、使い慣れ始めたと言っていいだろうビックフットトレントの丸太が手に入れば、村の拡張や畑の柵等、他にも様々な応用が利きいいのだが。
その使い慣れた丸太を地面に突き刺し、俺は姿勢を低くしつつ丸太から地面に向かって跳び込むように離れる。
直後轟音が響く。丸太は縦に割け、中央部分で爆発。散った木屑に火が点き、火の粉が辺りに舞う。振り下ろされた尾から雷が降り注いだのだ。咄嗟に丸太を避雷針代わりにして逃げて正解だっただろう。
もし直撃していたのならば、キッシュの肉体がいくら強靭だと言えど真っ黒に焦げたかもしれない。
「ふん、運の良いやつめ……」
「うぐっ!?」
使った丸太が切り株を掘り起こす時に使ったもので、地面の水分で少しばかり湿気っていた為に避雷針として使えたが、他の丸太は乾燥しきっている為に二度とは使えない手だが、九尾狐はそれを勘違いしたようだ。こちらの世界にはまだ雷の性質を知らないのかもしれない。だからこそたまたま放った雷が丸太に命中したと考えたようだった。
だが別の尾である無数の槍に変化した尾を俺に向かって突き刺してきた。再びイベントリからビックフットトレントの丸太を取り出し咄嗟に防ぐも、振るわれた尾の力が強く、地面をすべるようにして押し込まれる。丸太を握る手がジーンと痺れた。
「ほれほれ、こっちばかりに気を取られていてもいいのかのう?」
「なっ!?イクスっ!!ぐっ!?」
ビックフットトレントの丸太がギチギチと嫌な音をたてながらも、目の前の鋭い槍の穂先に貫かれないようにするには、ただただ耐えるしかなく、そんな俺をニタリと笑いながら九尾狐が言った。俺以外に九尾狐が襲う相手はイクスしかいない。いくら何でも今まで一緒だったパッセは襲われないだろうと、どこかで無事なのだろうと思いつつ、イクスの方を見れば案の定、イクスを炎を纏った尾が襲い掛かっていた。
イクスも不意を突かれたのだろう、驚愕しつつも何とか防ごうと両手を前に突き出し、水の魔法を行使しているが、炎の勢いはいくらかも小さくはなっていない。当り前だ。九尾狐の使う属性魔法は、それぞれの属性魔法の特徴を残しつつも、闇魔法に分類されるため、火の属性魔法であろうと水で消せるものではなく、あくまで同威力ならば押しとどめる事が出来る程度。
だがそもそも九尾狐は期間限定の鬼畜ボスモンスターとして君臨したモンスターだ。いくらイクスがサキュバスの中では強力なリリムだろうと、流石に自力に差がありすぎた。
ビックフットトレントの丸太から手を離し、イクスの方へと駆け出す。ビックフットトレントの丸太は手を離した直後に砕け、無数の槍に貫かれてしまう。そのまま直進し、避けきれなかった俺の右肩に掠めた。
掠めた場所から血が流れだし、痛みに短いうめき声が漏れるも、今はイクスを助けるのが先だと足を動かす。
「きゃっ!?」
「無事かっ!!」
「え、ええ。でもキッシュが……」
「こんぐらいなら唾でもつけときゃ治る。……でもちょっとばかし不味いかもなぁ。」
イクスの目の前にまで迫った炎からイクスを救う為に横から掻っ攫う。可愛い小さな悲鳴を無視して横抱きにしたイクスの怪我を見た。少しばかり火傷が目立つが、少なくとも水で冷やせばいいと言う料理していて油が跳ねた程度だ。
それよりも俺の肩の傷の方が深く、血が止まらない。腕を伝ってポタポタと地面に赤い染みを作っている。イクスの心配の言葉に強がりながら、だが九尾狐相手に片腕ではやはり不利は否めない。ただでさえこちらが負けているというのに。
「どれ、もうよいかのう?」
「ぐうっ!?」
「きゃっ!?キッシュっ!!」
後ろから九尾狐の声が聞こえた。咄嗟にイクスを前へと放り投げる。イクスの悲鳴じみた俺の名前を呼ぶ声が聞こえた瞬間、俺の片足がズタボロに切り裂かれる。痛みに歯を食いしばり耐え、振り向くと、正面にはこちらを見下し嘲る九尾狐の顔。その横には暴風を纏った尾があり、どうやらその尾で鎌鼬を再現。俺の足を切り裂いたようだ。
「くく、絶望すればするほど、陰気は高まるからのう。それに逃げられても困るからなぁ。」
「…………」
「何じゃ、恐怖で声も出せなくなったかや?」
「……ち…………す」
「何じゃと?」
「ぶち殺すっ!!」
「はっ!そんな様で何が出来るのじゃ!!」
目の前に来た九尾狐がその咢を開く。俺を逃げられなくしてから食おうとしていたようで、その時俺の視界が真っ赤に染まった。今までキッシュの身体能力任せで死ぬかもしれないと思った事は最初の混乱していた時ぐらいで、だからこそこうして自覚してキッシュの身体能力を使い始めてからは初めての体験でもあった。
その時の俺はただただ死にたくない、その事だけを考えていたのだが、だが視界が赤く染まってからはただただ目の前の相手を殴り殺す事しか考えられなくなった。見下されている事に怒りがわく。情けない自分に怒りがわく。強者でありながら、こうして後は食われるだけと考えている事に怒りがわく。イクスを、伴侶に心配させてしまった事に怒りがわく。
片腕には力が入らず動かせそうにも無い。片足は地面にさしている様に、体を支えているだけ。だが出来る事はあるっ!!
「おらぁっ!!」
「何じゃとっ!?」
イベントリから取り出した丸太を片手で振るい、俺が何もできないと判断して油断していた九尾狐の横っ面をぶん殴った。驚く九尾狐だが、吹き飛ばしてしまった為に距離が開いてしまった。
「まだまだっ!!」
「あまいわっ!!」
距離が開こうが関係ない。俺はイベントリに残っていたビックフットトレントの丸太を力の限り投げ放つも、九尾狐は岩の様な尾の一本を丸め盾のようにし、もう一本の先端に穴の開いた尾から水を噴射。俺の投げ放った丸太を迎撃してしまう。
「しまったっ!?」
「ふははは、流石にこれ以上はなさそうだのう!」
だがイベントリに仕舞ってあった丸太も、尽き掛けていた現状で無計画に投げてしまっては無くなってしまうのは当たり前で。そんな丸太を完璧に防ぎ、撃破して見せた九尾狐の方がやはり一枚上手だった。
俺の表情からこれ以上打つ手なしと判断した九尾狐が再度俺の傍へとやってくる。
「ほれほれ、大人しく食われろ。」
俺を見下すように上から覗き込まれる。滴り落ちた唾液が地面を溶かし、俺の周りに影を作った。




