第9話
確かな前進の手応えを感じながら、俺は静かに闘志を燃やしていた。
自警団の若者たちへの紹介を滞りなく終えた俺たちは、再び小屋の奥にある執務室へと戻ってきていた。クロードが持ち込んだ情報を、より深く精査するためだ。
隙間風が吹き込む粗末な部屋だが、今では領地の未来を決める重要な作戦会議の場となっている。
部屋の中央に置かれた古びた円卓には、クロードが持ち込んだ数枚の羊皮紙が広げられていた。どれも男爵の裏の動きを示す重要な証拠だ。
「ゴードン男爵は、王都で大掛かりな工作を始めています」
クロードは羊皮紙の一つ、王都の軍務局宛てに書かれた書簡の写しを指で叩いた。
「前回の敗北を隠蔽し、貴殿らを『不法に領地を占拠する反逆者』として仕立て上げるつもりのようです。私兵を失った事実を伏せ、王都の正規軍を動かそうと画策しています」
武力で勝てないと悟り、今度は権力という暴力で俺たちの居場所を潰しにきたわけだ。
傭兵時代にも、貴族の理不尽な権力によって多くの村が焼かれるのを見てきた。力なき者から全てを奪う、あの吐き気を催すようなやり口。
俺の手に染み付いた血の匂いが、ふと蘇るような錯覚を覚えた。
「厄介だな。正規軍が動けば、いくら防衛陣地があっても持ちこたえられない」
俺は腕を組み、羊皮紙の束に視線を落とした。
「だが、王都の軍を動かすには正当な理由と、それなりの根回しが必要なはずだ。一介の辺境貴族に過ぎない男爵に、そんな影響力があるのか?」
「ええ。本来なら男爵の言葉など、王都の重鎮たちはまともに取り合いません。しかし……」
クロードは言葉を濁し、わずかに眉間を寄せた。
真面目で忠誠心が強い彼にとって、かつての主君の腐敗を語るのは苦痛なのだろう。
何か裏がある。男爵がどうやって王都の権力者に取り入っているのか。
「金、ですね」
不意に、部屋の隅で別の羊皮紙を覗き込んでいたシオンが口を挟んだ。
彼は細い指で、帳簿の写しのような書類をトントンと叩く。
「クロード卿が持ってきてくれた男爵の財務記録。これと、王都での工作に必要な資金の相場を照らし合わせてみました」
シオンは少し長めの前髪を払い、皮肉げな笑みを浮かべた。
「男爵の領地から上がる税収だけでは、到底足りません。彼は今、あちこちの商人や高利貸しから無理な借金をして、王都の貴族たちに賄賂をばら撒いているんです。見栄を張るための無駄遣いも多いようですしね」
俺はシオンの言葉に耳を傾けた。
体力はないが、この頭脳は誰よりも頼りになる。彼が弾き出した数字に狂いはない。
「つまり、男爵の資金繰りは火の車ということか」
「その通りです。工作が成功してこの領地を奪い返せれば、借金は帳消しにできると踏んでいるのでしょう。ですが、もし工作が長引けば……」
「男爵は自滅する」
俺の言葉に、シオンは深く頷いた。
反撃の糸口はそこにある。
武力で直接叩き潰すのではなく、男爵の首を絞めている金の流れを断ち切るのだ。
「なら、その借金の出どころを叩けばいい」
俺が言うと、シオンは目を細めた。
「ええ。先日別邸の隠し金庫を叩いたことで、男爵の手元に資金は残っていません。今彼が頼っているのは、王都の商人ギルドからの借入のみです。彼らに『男爵への投資は不良債権になる』と気づかせれば、今度こそ完全に資金源は枯渇します」
だが、辺境の荒れ地にいる俺たちが、どうやって王都の商人たちに情報を流すのか。
疑問が浮かんだとき、小屋の扉が勢いよく開いた。
「それなら、私の出番ね」
ハキハキとした声と共に現れたのは、アリアだった。
実用的に後ろで束ねた髪が揺れる。その後ろには、恰幅の良い行商人ザックが人懐っこい笑顔を浮かべて立っている。
「お邪魔するよ、旦那。アリア嬢から面白い話があると聞いてね」
アリアは円卓に歩み寄り、俺とクロード、シオンを見渡した。
「ザックさんの商会を通じて、王都の商人ギルドに根回しをするの。男爵が裏でどんな不正をしているか、少しずつ証拠を流していくわ」
「おいおい、アリア嬢。俺はただの行商人だぜ? 王都のギルドに喧嘩を売るような真似は……」
ザックが苦笑いしながら両手を上げる。
しかし、アリアは一歩も引かなかった。
「ただの行商人じゃないでしょう? あなたの独自のネットワークがどれだけ広いか、私は知っているわ。それに、この領地の特産品の独占取引権、もっと有利な条件で更新したくない?」
アリアの言葉に、ザックの目が鋭く光った。
損得勘定で動く商人にとって、うちの特産品がもたらす利益は喉から手が出るほど欲しいはずだ。
家計を厳格に守るアリアは、その価値を誰よりも理解し、交渉の武器として最大限に活用している。
「……手厳しいね、アリア嬢は。だが、悪くない取引だ」
ザックは頭に巻いた手ぬぐいを結び直し、ニヤリと笑った。
「男爵の不正の証拠、確かに受け取った。俺の伝手を使って、王都の有力な商人たちに『噂』として流してやろう。火のないところに煙は立たないってな」
「頼む、ザック。お前だけが頼りだ」
俺は短く頭を下げた。
「よしてくれよ、旦那。俺はお客さんのためなら何でもする、ただの商人さ」
ザックは照れ隠しのように肩をすくめた。
ザックは証拠の羊皮紙を懐にねじ込み、さっそく王都へ向けて出発していった。
アリアの家計管理と交渉術、シオンの計算能力、そしてザックのネットワーク。
子どもたちの才能と、信頼できる協力者たちが、この領地を守るための強固な盾となっている。
俺が戦場で培ってきた戦術だけでは、到底太刀打ちできなかっただろう。
不器用な俺にできるのは、彼らが存分に力を発揮できるよう、居場所を守り抜くことだけだ。
◆ーーーー◆
数日後。
領地は相変わらず活気に満ちていた。
流民たちは畑を耕し、子どもたちは学校で学び、職人たちは工房で汗を流している。
俺は広場の片隅で、カイトが自警団に剣術を教える様子を眺めていた。
冬の寒さが古傷に響くが、カイトが編んでくれた丈夫な素材のサポーターのおかげで痛みは和らいでいる。
平和な日常が、ここにある。
だが、その静寂は一頭の早馬によって破られた。
土煙を上げて広場に駆け込んできたのは、ザックの商会の使いだった。
使いの男は息を切らしながら、俺に一通の封書を手渡した。
王都の商人ギルドからの急報だ。
封を切り、羊皮紙に目を走らせる。
そこには、ザックの根回しが功を奏し、男爵への融資が次々と打ち切られていることが記されていた。
シオンの読み通り、男爵の資金繰りは完全に破綻しつつある。
経済戦においては、俺たちの圧倒的な優位が確立された。
小さな前進の手応えが、胸の奥で確かな熱に変わる。
しかし、手紙の後半を読んだ瞬間、俺の表情は険しくなった。
「どうしました、貴殿」
異変に気づいたクロードが、足早に近づいてくる。
俺は無言で手紙を彼に渡した。
クロードの目が、羊皮紙の文字を追うごとに見開かれていく。
「これは……」
「ああ。男爵は金が尽きる前に、最後の切り札を切ったらしい」
男爵は王都の法務高官と密約を交わしていた。
資金が枯渇する焦りから、領地の権利そのものを担保にして、裏の権力を動かしたのだ。
法務高官の名の下に、俺たちを反逆者として捕縛するための特使が、すでに王都を出発したという。
武力ではなく、法という絶対的な圧力が、この領地に迫っている。
正規軍を伴った特使が到着すれば、いくら防衛陣地があっても無意味だ。
家族を守るための戦いは、新たな局面を迎えていた。
「男爵の政治的圧力……どう対抗するおつもりですか」
クロードが、緊張を孕んだ声で問いかける。
俺は手紙を握りしめ、冷たい冬の空を見上げた。
子どもたちの笑い声が、遠くから聞こえてくる。
この居場所を、絶対に奪わせはしない。
「法には法で、権力にはそれ以上の知略で対抗するまでだ」
俺は静かに、だが確かな決意を込めて言った。
男爵の裏の権力を打ち砕くための、次なる一手を考えなければならない。




