第6話
ザックの馬車が土煙を上げて王都へ向かった後、俺は領地の見回りに足を向けた。
男爵の不正を暴く証拠と、賠償金請求の書状。それが王都に届けば、奴は法的に追い詰められる。だが、あの強欲な男が素直に非を認めるとは思えない。
窮鼠猫を噛む。法廷での戦いが進む裏で、奴が実力行使に出る可能性は十分に考えられた。
だからこそ、備えが必要だ。
歩きながら周囲を見渡す。かつて固い土と石ころしかなかった荒れ地は、領民たちの手で平らな道へと踏み固められている。
整備された水路には澄んだ水が流れ、広大な畑には青々とした作物が葉を揺らしている。遠くには、特産品の利益で建てた真新しい学校の屋根が見えた。
俺と十七人の子どもたちだけで始まった開拓。それが今や、百人を超える流民たちを受け入れる豊かな領地へと成長したのだ。
この居場所を、何としても守り抜かなければならない。
領地の外れに建てられた作業小屋から、カンカンと金属を叩く音が響いてくる。
中に入ると、むせ返るような革の匂いと熱気が立ち込めていた。
「バルガス、調子はどうだ」
声をかけると、無精髭を生やした大柄な男が、革のエプロン越しに振り返った。
「……悪くない」
バルガスは短く答え、手元の作業に戻った。
机の上には、自警団の若者たちが使う槍の穂先や、補強された革の防具が所狭しと並べられている。彼は黙々とハンマーを振り下ろし、金属の歪みを整えていた。
「防具の補強は、明日には全部終わる。素人の集まりだった自警団も、今じゃ立派な戦力だ。あいつらが少しでも生き残る確率を上げるために、俺は最高の武具を用意する」
「頼もしいな。それと、こっちの仕掛けは?」
バルガスが顎でしゃくった先には、獣の罠を応用した奇妙な金属の装置があった。
「踏み込むと、周囲に鋭い棘が飛び出す仕組みになっている。森の獣道や、死角になりやすい場所に仕掛けておく。あんたが言っていた、敵の動きを制限する戦術に使えるだろう」
「助かる。だが、あまり根を詰めすぎるなよ」
俺は、バルガスの目の下に濃い隈ができているのを見逃さなかった。
「子どもたちの食事の時間には、お前も手を止めて休め。それがこの領地の決まりだ」
「……ふん。あんたは相変わらずだな」
バルガスは鼻で笑い、少しだけ口角を上げた。
彼は過去に人に裏切られ、他人と関わるのを避けて生きてきた男だ。俺は彼の過去を詮索せず、ただその職人としての腕だけを買って雇い入れた。
「俺は職人だ。自分の腕を信じてくれる人間のために働く。それだけだ」
バルガスは、完成した防具の表面を無骨な指で撫でた。
「俺は、あんたに拾われた。この工房も、あんたが用意してくれたもんだ。俺の作った道具が、あんたの家族を守る役に立つなら、いくらでも作ってやる。……ここを奪おうとする奴がいるなら、俺の仕事で地獄を見せてやるさ」
その言葉には、職人としての誇りと、不器用な彼なりの強い覚悟が込められていた。
◆ーーーー◆
工房を後にし、俺は開拓地の中心部へと向かった。
そこでは、土の匂いと人々の活気ある声が入り交じっていた。
「馬鹿野郎! 土の声を聴けと言っとるだろうが! もっと深く掘り起こせ!」
節くれだった太い腕を振り回し、ドノバンが怒鳴り声を上げている。
新しく移住してきた流民たちが、彼の指導のもとで必死に鍬を振るっていた。彼らもまた、戦乱や飢えから逃れてこの領地に辿り着いた人々だ。
「いいか、この土地の土は固いが、一度耕して空気を入れてやれば、驚くほど作物が育つ。土は嘘をつかん。流した汗の分だけ、必ず実りをもたらしてくれる。人間と同じだ。手をかけてやれば、必ず応えてくれるんだ!」
ドノバンの言葉に、流民たちは真剣な表情で頷き、再び鍬を振り下ろす。
「ドノバン、精が出るな」
「おお、お前さんか。見ろ、この土の艶を」
ドノバンは日焼けして深い皺が刻まれた顔をほころばせ、足元の黒々とした土を指差した。
「冬を越すための根菜類は、順調に育っとるぞ。それに、保存食の仕込みも並行して進めとる」
彼は額の汗を拭いながら、誇らしげに胸を張った。
「万が一、男爵の連中が力ずくで来ても、籠城できるだけの兵糧は確保してやる。戦の準備はわしには分からん。だが、土を耕して飯を作るのはわしの仕事だ」
「助かる。腹が減っては、守れるものも守れないからな」
「当たり前だ。お前さんの子どもたちに、ひもじい思いはさせんさ」
ドノバンは、遠くで水汲みをしている子どもたちの姿に目を細めた。
「わしの命を救ってくれた恩は、この土で返す。それに、この土地はもう、わしらにとっても大事な居場所だからな」
ドノバンは鍬を握り直し、再び流民たちの指導に戻っていった。
怒鳴り声の中にも確かな愛情があり、流民たちもそれを理解して笑いながら作業を続けている。
領民たちが自発的に動き、領地を支えている。俺一人で背負う必要はないのだ。
◆ーーーー◆
夕刻。
一日の作業を終えた領民たちが、大きな食堂に集まってきた。
俺にとって、子どもたちの食事の時間は何よりも大切なものだ。
温かいスープの匂いと、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂う。
十七人の子どもたちが、笑顔で食卓を囲んでいる。
かつて戦場の片隅で、泥水と腐りかけた残飯をすすっていた彼らが、今は腹いっぱい飯を食い、安全な場所で笑い合っている。
その光景を見るだけで、俺の胸の奥にある冷たい塊が少しずつ溶けていくような気がした。
「お代わり、まだあるからね!」
年長の子どもたちが大鍋を囲み、空になった木の器へ次々と具沢山のスープを注いでいく。
末っ子のミルが、口の周りにスープをつけて笑っている。アリアがそれを優しく拭いてやっていた。
カイトは自警団の仲間たちと、明日の警備について真剣に話し合っている。シオンは帳簿の計算をしながら、器用にパンをかじっていた。
バルガスも工房から顔を出し、無言でパンをかじっている。ドノバンは流民たちと酒杯を交わし、農業の武勇伝を語って聞かせていた。
血の繋がりはない。だが、ここは間違いなく一つの大きな家族だった。
俺は静かに食堂を抜け出し、執務室へと向かった。
夜。
重厚なマホガニーの机の上に、手のひらサイズの奇妙な金属盤を置いた。
領主権の譲渡証明書と共に受け取った、領地運営を可視化する魔道具だ。
表面に浮かび上がる数値を、俺は静かに見つめた。
人口は百十二人。食料生産量も資金も、かつての絶望的な数字が嘘のように跳ね上がっている。
そして、幸福度の数値。
それは単なる数字ではなく、この領地に生きる人々の絆の強さを示しているように思えた。
十七人の子どもたち。バルガス。ドノバン。そして、新しく加わった領民たち。
全員が、この場所を自分たちの居場所だと認識し、守ろうとしている。
俺はかつて、戦場で多くの命を奪ってきた。自分の手に染み付いた血の匂いは、一生消えないだろう。
焼け落ちた村。親を失い、泣き叫ぶ子どもたち。力なき者が無残に踏みにじられる光景を、嫌というほど見てきた。
俺のような人間が、父親ぶって子どもたちを育て、領主として人々を導く資格があるのか。そんな自嘲が、常に心のどこかにあった。
俺が最も恐れているのは、自分の力不足で、子どもたちが再び飢餓や暴力に巻き込まれることだ。
だが、今は違う。
俺一人で守っているのではない。彼ら自身が立ち上がり、互いを支え合い、強固な体制を築き上げている。
王都での賠償金交渉が進む中、男爵は必ず何らかの報復を企ててくるだろう。
俺は机上の地図に、バルガスが考案した罠の設置地点を書き込んだ。
盤石になった領地の体制と、家族の絆の強さ。
この強固な絆は、来るべき最終決戦でどう活きるのか。
俺は魔道具を静かに引き出しにしまい、窓の外の星空を見上げた。
どんな敵が来ようと、俺たちは決して屈しない。




