第4話
数日後の朝。吐く息はまだ白いが、日差しにはわずかな春の気配が混じり始めていた。
「どう、親父。きつくない?」
カイトが俺の腕と脚に巻きつけたのは、特産品の丈夫な素材で編み上げられた手作りのサポーターだった。
「ああ、丁度いい。助かるよ」
冬の寒さで痛む古傷が、驚くほど楽になる。長年の傭兵生活で負った手足の傷は、冷え込むと鈍い痛みを主張して厄介だった。だが、カイトが夜なべして作ってくれたこの防具があれば、全力で動けそうだ。
「無理しないでよ。親父が倒れたら、みんな困るんだから」
カイトは少し照れくさそうに笑い、工房へと戻っていった。彼の背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
子どもたちの食事の時間を何よりも大切にし、彼らが笑って過ごせる場所を作る。そのために傭兵を引退し、この荒れ地を買ったのだ。
そんな穏やかな空気を破るように、村の入り口に馬に乗った騎士が現れた。手入れの行き届いた鎧を着た、生真面目そうな顔立ちの青年だ。
クロードと名乗ったその男は、ゴードン男爵の使者だった。
「貴殿がこの地の領主か。……信じられんな。あの荒れ地がこれほど活気づくとは」
クロードは、村の中央に建つ学校や、活気にあふれる工房を信じられないものを見るような目で見回していた。だが、すぐに表情を引き締め、懐から羊皮紙を取り出した。
「ゴードン男爵閣下からの通達だ。この土地の譲渡契約に不備があった。直ちに領地を返還し、これまでの不当な利益を賠償せよ」
「ふざけるな。正当な取引だったはずだ。金も全額払った」
「私に言われても困る。従わねば、実力行使も辞さないとのことだ」
クロードの目には明らかな迷いがあった。主君の強欲さと、平和に暮らす領民たちの姿の間で板挟みになっているのだろう。彼自身は常識人であるがゆえに、この理不尽な要求に苦悩しているのが見て取れた。
「あんたも騎士なら、主君の行いが正しいかどうかくらい分かるはずだ」
俺の言葉に、クロードは唇を噛み締めた。
「……後悔することになるぞ」
クロードは短く言い残し、馬を返した。
◆ーーーー◆
数時間後、地響きとともに男爵の軍勢が姿を現した。
私兵だけでなく、質の悪い野盗まで雇い入れた混成軍だ。数は百近い。先頭には、贅肉を揺らしながら馬にまたがるゴードン男爵の姿があった。派手で高価な装飾品を身につけた中年男は、常に人を見下すような薄ら笑いを浮かべている。
「成り上がりの傭兵風情が! 私の土地で勝手に肥え太りおって!」
男爵のねっとりとした声が響く。かつて自分が騙して売りつけた荒れ地が価値を生み、自分よりも下等だと見下していた者たちが豊かになっていることが許せないのだろう。
家族に手を出す者は絶対に許さない。俺はサポーターの感触を確かめ、剣を抜いた。古傷の痛みはない。
「お前たち、絶対に無理はするな。俺の指示に従え」
俺は村の大人たちと、カイトたち年長組を率いて村の外れに陣取った。
そこには、開墾の邪魔になっていた動かない巨石群がある。
大人が何人がかりでも動かせない巨大な岩の群れ。ただの自然石ではない。かつてこの地にあった砦の基礎であり、軍事的に計算された配置になっている。俺は傭兵の経験から、これが完璧な防衛陣地になることを見抜いていた。
「シオン、準備はいいか」
「完璧だよ。計算通りなら、連中は一歩も中に入れない」
シオンは少し長めの前髪を払い、青白い顔に自信ありげな笑みを浮かべた。体力がないことにコンプレックスを抱えている彼だが、その頭脳は誰よりも頼りになる。
彼の指示で、巨石の間に罠が仕掛けられている。そして、その罠の要となるのが、工房から出た刺激臭のする搾りかすだ。特産品作りの副産物として大量に発生し、廃棄に困っていた代物である。
「突撃しろ! 逆らう者は皆殺しにして、金目のものを奪い尽くせ!」
男爵の号令で、野盗たちが喚きながら突っ込んでくる。彼らは陣形も何もなく、ただ獲物を前にした獣のように群がってきた。
彼らが巨石群の間に足を踏み入れた瞬間。
「今だ、火を放て!」
俺の合図で、搾りかすに火矢が放たれた。
ボワッと燃え上がった搾りかすから、強烈な刺激臭を伴う黄色い煙が噴き出す。
「ぐああっ! 目が、目がぁ!」
「ゲホッ、なんだこの煙は!」
強力な催涙煙幕に包まれ、敵軍は大混乱に陥った。巨石の迷路の中で方向感覚を失い、同士討ちを始める者までいる。
「陣形を崩すな! 煙から逃げてきた奴を確実に叩け!」
俺の指示に従い、待ち構えていた領民たちが動く。
巨石の陰から飛び出し、混乱する敵の武器を次々と叩き落としていく。カイトたちも連携し、見事な動きで敵を無力化していった。
煙幕と巨石の迷路。そして鉄壁の連携。
敵は誰一人として村に侵入することなく、次々と地面に這いつくばった。こちらには怪我人一つ出ていない。完全な無傷での撃退だった。
「ば、馬鹿な……私の軍が、こんな農民どもに……!」
男爵は信じられないものを見るように目を剥いた。
その傍らで、クロードは剣を抜くこともなく、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「見事な采配だ……。民を守るための戦い。これが、真の領主の姿か」
クロードの呟きが聞こえた。敵ながら、その目には密かな敬意が宿っているように見えた。
俺は男爵に歩み寄り、剣先を突きつけた。
「勝負はついた。これ以上手出しするなら、容赦はしない」
男爵は顔を真っ赤にして後ずさった。
「ひっ……! お、覚えておけ! 貴様らのような下賤な輩が、貴族に逆らって無事で済むと思うな!」
男爵は卑劣な捨て台詞を吐き、馬首を返して無様な姿で逃げ出していった。
残された野盗たちは降伏し、彼らが持ち込んでいた物資や武装、そして男爵が置き去りにした軍資金はすべて賠償として没収した。
◆ーーーー◆
数日後。
没収した物資と莫大な賠償金によって、領地はさらに潤った。
懐の魔道具を取り出すと、金属盤の表面に浮かび上がるステータスは大きく跳ね上がっていた。資金も食料生産量も、もはや冬を越すのに何の不安もない数値だ。
朝の光の中、子どもたちが真新しい学校へと駆けていく。
「いってきまーす!」
「おう、気をつけてな」とミルの元気な声に手を振り返し、俺は広場に届いた新しい農具の荷解きに取り掛かった。
十七人の子どもたち全員が、笑顔で学び舎に向かう。その背中を見守りながら、俺は確かな幸福を噛み締めていた。
腹いっぱい飯を食い、安全な場所で眠り、未来のために学ぶ。俺が守りたかったものが、ここにある。
辺境一の温かい領地。この大家族の父として、俺は子どもたちの未来を必ず守り抜く。
だが、平和な時間は長くは続かなかった。
◆ーーーー◆
執務室の机に、一通の封書が置かれていた。
王都の紋章が入った、仰々しい羊皮紙。村を訪れた行商人が、王都の役人から託されたという。
封を切り、中身に目を通した俺は、思わず眉間を揉んだ。
『ゴードン男爵領への不法侵略、および貴族への反逆罪について。直ちに王都の法廷に出頭せよ』
武力で勝てないと悟った男爵が、今度は権力と法を盾にしてきたのだ。
剣では斬れない敵。
理不尽な悪意が、再び俺たちの居場所を脅かそうとしていた。




