第3話
立て付けの悪い窓が、冷たい風に煽られてガタガタと鳴っている。
魔道具の冷たい光が示す「資金、1」という絶望的な数字。このままでは、薪も薬も買えずに冬を越すことになる。俺は金属盤を懐にしまい、冷え切った空気を肺の奥深くまで吸い込んだ。
かつて戦場で見てきた、飢えと寒さに震える子どもたちの姿が脳裏をよぎる。あんな思いは、二度とさせない。俺の手に染み付いた血の匂いを消すことはできないが、せめてあいつらの腹を満たし、暖かい寝床を用意することだけは、絶対に守り抜かなければならない。
翌朝、俺は荒れ地の外れにある深い森へ向かった。
食料は初収穫で当面なんとかなる。次に必要なのは、冬を越すための確実な金だ。森に生息する魔物の素材や、日陰に自生する特殊な薬草。これらを加工して特産品を作れば、行商人に高く売れるはずだ。
問題は、誰がそれを加工するかだった。俺は戦うことはできても、繊細な職人技は持ち合わせていない。
「……道具と場所さえあれば、やれる」
俺の問いかけに、無精髭の男が短く答えた。
数日前に流民として流れ着いていたバルガスだ。彼は過去に人に裏切られた経験があるらしく、他人との関わりを極端に避けていた。常に革のエプロンを身につけ、周囲を警戒するような目つきをしている。だが、その分厚い手にあるタコと、荷物の中にあった手入れの行き届いた刃物を見て、俺は彼が熟練の革細工師だと見抜いていた。
「なら、工房長は任せた。必要なものは揃える」
俺がそう告げると、バルガスは少しだけ目を見開き、やがて無言で頷いた。過去を詮索せず、腕だけを評価したことが、彼の職人魂に火をつけたのかもしれない。
それから数日、バルガスは黙々と働き続けた。俺が森で狩ってきた魔物の皮を丁寧になめし、薬草を煮詰めて高価な油を抽出していく。彼の仕事には一切の妥協がなく、出来上がった品は見事なものだった。
ただ、その過程で一つだけ厄介な問題が発生した。
「うわっ、なんだこの匂い!」
工房用の小屋に近づいてきたカイトが、鼻をつまんで顔をしかめた。
薬草から油を絞った後に残る、刺激臭のする搾りかすだ。ツンと鼻をつく強烈な匂いを放つそれは、廃棄するにも一苦労だった。
「とりあえず、居住区から離れた場所に積んでおけ。燃やすと煙がひどいらしいからな」
俺の指示に、カイトは渋々といった様子で頷いた。
その直後、彼は鼻をつまんでいた手を離し、背中に隠していたものを差し出してきた。
「親父、ちょっといいか」
彼の手には、魔物の革の端材と丈夫な繊維で編み上げられた筒状の布があった。
「冬になると、手足の古傷が痛むだろ。バルガスのおっさんに教わって、俺が編んだんだ。防具代わりにもなるし、温かいはずだ」
不器用な手つきで作られたサポーター。
俺はそれを受け取り、無言で腕に通した。冷たい風を遮り、じんわりとした温かさが長年の傭兵生活で負った傷跡を包み込む。
「……悪くない。助かる」
俺が短く言うと、カイトは照れくさそうに笑って走り去っていった。彼もまた、自分なりのやり方で家族を支えようとしているのだ。
特産品の生産が軌道に乗り始めると、今度はその管理が必要になった。
いくら良いものを作っても、原価や在庫を把握していなければ利益は出ない。
「僕がやるよ。親父は計算が雑だからね」
シオンが少し長めの前髪を揺らしながら、皮肉交じりに言ってきた。
体力に自信がない彼は、自分にできることをずっと探していたのだろう。俺が帳簿を渡すと、シオンは瞬く間に原価計算と在庫管理の仕組みを作り上げた。彼の論理的な思考は、無駄な経費を次々と削ぎ落とし、利益率を飛躍的に高めていく。
「この薬草油、抽出にかかる薪の量を減らせば、もっと利益が出る。バルガスのおっさんにも伝えておくよ」
シオンの言葉に、俺は頼もしさを感じた。
子どもたちがそれぞれの得意分野で領地経営に貢献し始める中、新たな提案を持ちかけてきた者がいた。
流民の中にいた元学者の女性、エレナだ。
「領主様、子どもたちには教育が必要です」
丸眼鏡の奥の瞳に、強い光を宿して彼女は言った。質素だが清潔感のある衣服を身にまとった彼女は、背筋を真っ直ぐに伸ばしている。
「このままでは、彼らの未来の選択肢が狭まってしまいます。読み書きや計算は、生きるための武器になるはずです」
戦火で職を追われたという彼女だが、教育に対する情熱は少しも失われていなかった。
その隣で、アリアも真剣な表情で頷く。
「私も賛成。家計のやりくりなら、私がもっと工夫するから。みんなが勉強できる場所を作ってあげて」
俺は腕を組み、考え込んだ。
学校建設。それは、ただ腹いっぱい飯を食わせるという段階から、子どもたちの未来を築く段階への大きな一歩だ。傭兵として生きてきた俺には、教育の重要性が痛いほどわかる。無知は、戦場では死に直結するからだ。俺のような血に塗れた生き方ではなく、もっと別の道を選べるようにしてやりたい。
「わかった。次の取引で十分な利益が出たら、学校を建てる」
俺の決断に、エレナは深く頭を下げ、アリアはぱっと顔を輝かせた。
数日後、再び辺境を訪れた行商人に、バルガスが仕上げた革製品と薬草油を売却した。
シオンの正確な原価計算に基づく強気の価格設定と、アリアの容赦ない値切り交渉の甲斐もあり、特産品は予想を遥かに超える高値で売れた。
その資金を元手に、俺たちは荒れ地の中央に立派な木造の建物を建てた。
念願の学校だ。家族総出で木材を運び、バルガスや他の流民たちも手伝ってくれたおかげで、立派な学び舎が完成した。
学校が完成した日の夜、俺たちは大きなテーブルを囲んで夕食をとった。
温かいスープと、こんがりと焼けたパン。特産品の利益で買った肉も少しだけ入っている。
「いただきます!」
十七人の子どもたちの元気な声が響き渡る。
俺は自分の食事には手をつけず、ただその光景を眺めていた。子どもたちの食事の時間を何よりも大切にする。それが、俺の譲れない価値観だった。戦場で飢えに苦しむ孤児たちを数え切れないほど見てきた。だからこそ、この笑顔を守り抜かなければならない。
「親父、食べないの?」
カイトが不思議そうに首を傾げる。
「いや、今食う」
俺は短く答え、スープを口に運んだ。温かさが胃の奥に染み渡る。
翌朝から、さっそく授業が始まった。
「皆さん、席についてください。今日は文字の読み書きから始めますよ」
エレナの穏やかだが熱を帯びた声が、教室に響く。
俺は窓からそっと離れ、懐から魔道具を取り出した。
金属盤の表面に、淡い光とともに現在のステータスが浮かび上がる。
人口:105
資金:850
食料生産量:420
幸福度:95
特産品の成功と学校建設。その平和で豊かな暮らしぶりの噂は、風に乗って瞬く間に広まった。
温かい領主がいるという噂を聞きつけ、流民たちが次々と移住してきたのだ。領地の人口と資産は爆発的に伸び、かつての荒れ地は活気あふれる村へと変貌を遂げていた。
俺は魔道具を懐にしまい、冬の気配が少し和らいだ風を深呼吸した。
子どもたちの未来は、確実に明るい方向へ向かっている。
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だが、豊かさというものは、常に光と影を伴う。
領地の外れ。
開墾の邪魔になり、放置されている動かない巨石群の影。そこから、活気づく村を値踏みするように見つめる複数の視線があった。
「……ほう。まさかあの荒れ地が、これほどの金を生むとはな」
低く、しゃがれた声が風に溶ける。
彼らの目は、飢えた獣のように村の富をねぐらに定めていた。
誰が、この豊かな領地を狙っているのか。
俺がその不穏な気配に気づくのは、もう少し先のことだった。




