第2話
魔道具の冷たい光が、俺の顔を青白く照らしていた。
絶望的な初期ステータスと、不自然な巨石群。
だが、立ち止まっている暇はない。腹を空かせた十七人の子どもたちを養うという現実は、待ってくれないのだ。
翌朝から、俺たちは固い土と格闘を始めた。
かつて砦だったというその基礎部分は、まるで俺たちの行く手を阻むように要所に点在していた。大人が何人がかりでも動かせないその巨石を迂回し、少しでも土が柔らかそうな場所を探して鍬を振り下ろす。
長年の傭兵生活で負った手足の古傷が、冷える朝の空気で鈍く痛んだ。
それでも、刃が弾かれ、手に豆が潰れる痛みに耐えながら土を掘り返す。
「レオン、手、痛いの?」
ふと、カイトが心配そうな顔で俺の手元を覗き込んできた。
「カイト、大丈夫だ。ただの古傷さ」
俺は短く答え、再び鍬を握り直した。子どもたちに心配をかけるわけにはいかない。
そんな開墾作業の最中だった。
「レオンさん! あっちに誰か倒れてる!」
アリアの切羽詰まった声に、俺は鍬を放り出して駆け出した。
枯れ草に埋もれるようにして倒れていたのは、日焼けして深い皺が刻まれた老人だった。
節くれだった太い腕は土にまみれ、息は虫の息だ。
急いで小屋に運び、なけなしの水と粥を口に含ませる。
数時間後、老人はむせながら目を覚ました。
「……ここは、どこだ」
「俺たちが買った荒れ地だ。あんた、行き倒れていたぞ」
老人はドノバンと名乗った。戦乱で村を焼かれ、あてどなく彷徨っていたらしい。
「命を拾ってもらった恩は返す。わしはこれでも、土と作物のことなら誰よりも詳しいつもりだ」
ドノバンはぶっきらぼうにそう言うと、ふらつく足で外へ出た。
俺たちが掘り返した無残な土くれを見て、彼は深くため息をつく。
「素人が。こんな石ころだらけの土で、麦が育つわけなかろうが」
ドノバンは呆れたように首を振ると、地面にしゃがみ込んで土を一つかみした。
「いいか、土ってのは生き物だ。ただ掘り返せばいいってもんじゃない」
そこから、ドノバンの熱血指導が始まった。
「お前さんたち、まずは石を取り除け! それから腐葉土を混ぜて土をふかふかにするんだ!」
「腐葉土って、森の奥にある落ち葉の層のことか?」
「そうだ。ただの土じゃ栄養が足りん。森から運んでくるんだ」
俺の腕力で大きな石を掘り出し、子どもたちが小さな石を拾い集める。アリアが水運びを指揮し、ドノバンが土の配合を調整する。
森と荒れ地を何度も往復し、重い腐葉土を運ぶ作業は骨が折れた。
頑固で口が悪いが、土に触れるドノバンの手は驚くほど優しかった。
彼もまた、俺の不器用な目標に共感してくれたのだろう。
日が暮れるまで泥だらけになって働き、夜は倒れ込むように眠る。そんな過酷な日々が続いた。
◆ーーーー◆
数週間が過ぎた頃。
辺境の荒れ地に、一台の馬車がやってきた。
「いやあ、こんな辺境に人が住み着いたって噂を聞いてね。行商人のザックって言います。何か入用じゃありませんか?」
恰幅が良く、常に頭に手ぬぐいを巻いた男が人懐っこい笑顔で近づいてきた。
馬車には、農具や種、日用品だけでなく、色鮮やかな布地や、少しばかりの甘いお菓子まで積まれていた。子どもたちが目を輝かせて馬車を取り囲む。
「ほらほら、坊主たち。触るだけならタダだぞ」
ザックは人懐っこい笑顔で子どもたちの頭を撫でた。
辺境の貧乏領主と侮っているのか、少し足元を見るような視線を感じたが、悪い男ではなさそうだ。
「ちょうどよかった。鍬の替えと、塩が欲しい」
俺が財布を取り出そうとした瞬間、横からアリアがすっと前に出た。
彼女は長女として、家計を厳格に守ることに強い責任感を持っている。
「ザックさん、と言いましたね。この塩、少し湿気っていませんか?」
「おや、お嬢ちゃん。そんなことはないよ。上等な岩塩だ」
「でも、底の方の色が少し濁っています。それに、この鍬の柄、少し木目が粗いわ。すぐに折れちゃいそう」
アリアはハキハキとした口調で、次々と品物の欠点を指摘していく。
ザックの笑顔が引きつった。
「お、お客さん。そりゃあ少し厳しい見方ってもんで……」
「私たち、これからこの荒れ地を開拓していくんです。無駄遣いは絶対に許されません。この塩と鍬三本、それにそっちの布地も合わせて、銀貨二枚でどうですか?」
「銀貨二枚!? そりゃあ原価割れだ! うちも商売でやってるんだ、勘弁してくれよ」
「じゃあ、銀貨二枚と銅貨五枚。それ以上は出せません。他を当たります」
アリアがきっぱりと言い切ると、ザックは大げさに頭を抱えた。
損得勘定で動く商人だが、目の前で必死に生きようとする子どもたちを無碍にはできないらしい。
「あー、わかったわかった! あんたの負けだ、お嬢ちゃん。一生懸命な子どもたちには甘くてね。今回は特別価格だ」
ザックは苦笑いしながら品物を渡してくれた。
「ありがとうございます、ザックさん!」
アリアが満面の笑みでお辞儀をする。
その細い肩には、十七人の弟妹たちの命が乗っている。彼女が管理を怠れば、再び皆が飢えに苦しむことになる。その恐怖と戦いながら、彼女は気丈に振る舞っていた。
「レオンさん、これで少しは節約できたわ」
アリアが誇らしげに振り返る。
「ああ、助かった。お前は本当に頼りになるな」
俺が頭を撫でると、アリアは少し照れくさそうに笑った。
ザックは俺に向かって肩をすくめる。
「あんた、いい娘さんを持ったな。手強い交渉相手だったよ。無茶な買い物を連発するが、必ず代金を払ってくれるなら信用するぜ。また来るから、その時もよろしく頼む」
◆ーーーー◆
そして、季節が巡り。
ドノバンの指導と、家族総出の汗の結晶が、ついに実を結んだ。
荒れ地の一角に、黄金色に輝く小麦の穂が風に揺れていた。
固い土を耕し、石を取り除き、水を運び続けた日々。過酷な自然環境という最初の壁を、俺たちは家族の絆で乗り越えたのだ。
「おお……見事なもんだ。わしの見立て通り、この土は手をかければ応えてくれる」
ドノバンが皺くちゃの顔をほころばせ、太い指で麦の穂を優しく撫でた。
「みんな、刈り取るぞ!」
俺の号令で、子どもたちが一斉に畑に飛び込んだ。
小さな手で鎌を握り、一生懸命に麦を刈り取っていく。
「お兄ちゃん、見て! こんなにいっぱい!」
ミルが両手いっぱいの麦の束を掲げて走ってくる。
「ああ、すごいな。よくやった」
増えていく小麦の束を見るたびに、子どもたちの顔に喜びが広がっていった。
その日の夕食は、収穫したばかりの小麦を挽いて焼いた、ふかふかのパンと、ザックから買った塩で味付けした野菜のスープだった。
テーブルの中央には、山盛りのパンが置かれている。
「おいしい! すっごくおいしいよ!」
ミルの明るい声が響く。
「ああ、いくらでも食べていいぞ。今日はおかわり自由だ」
俺がそう言うと、子どもたちから割れんばかりの歓声が上がった。
「やったー!」
「俺、三つ食べる!」
「こら、慌てて食べると喉に詰まらせるわよ!」
アリアが世話を焼きながらも、その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
荒れ地に響き渡る子どもたちの笑い声。
誰も飢えることなく、腹いっぱいご飯を食べている。
俺が傭兵時代に夢見ていた光景が、今ここにあった。
「レオンさん、本当に……よかったわね」
アリアが涙ぐみながら、パンを頬張っている。
「ああ。お前も、よく頑張ってくれた」
俺は子どもたちの笑顔を見つめながら、静かな充足感に浸っていた。
◆ーーーー◆
だが、夜。
子どもたちが寝静まった後、俺は一人で小屋の外に出た。
冷たい風が頬を撫でる。
冬の気配が、確実に近づいていた。長年の傭兵生活で負った手足の古傷が、冷気でズキズキと痛む。
冬の寒さで痛むこの傷を庇うため、カイトが丈夫な素材でサポーターを編んでくれると言っていたが、今はそれどころではない。
懐から魔道具を取り出し、金属盤の表面を見つめた。
淡い光とともに、現在のステータスが浮かび上がる。
人口:19
資金:1
食料生産量:15
幸福度:45
ドノバンが加わったことで人口が増え、食料生産量も幸福度も跳ね上がっている。
だが、問題は資金だ。
アリアがいくら節約してくれても、農具の補充や冬用の衣服、建材の購入で、俺の傭兵時代の貯えは完全に底をつきかけていた。
資金、1。
この数値が意味するのは、明確な破滅だ。
これから厳しい冬がやってくる。
食料は当面なんとかなるかもしれないが、寒さを凌ぐための薪や、病気になった時の薬を買う金がない。
このままでは、冬を越す前に家族が凍えてしまう。
魔道具の冷たい光が、再び俺の顔を青白く照らす。
どうやって、この絶望的な資金不足を乗り越えればいいのか。
風の音が、まるで冬の足音のように不気味に響いていた。




