第1話
重厚なマホガニーの机に、ずっしりと重い革袋を置いた。
硬貨が擦れ合う鈍い音が、静まり返った執務室に響く。
「ほう。本当にこれだけの金を用意するとはな」
ゴードン男爵は、革袋の口を開いて中身を覗き込み、脂ぎった顔に薄ら笑いを浮かべた。
「これで、約束通り辺境の土地は俺のものだ」
俺は短く告げた。
「ああ、そうだとも。だが、あんな石ころだらけの荒れ地を買ってどうするつもりだ? 傭兵崩れが農夫の真似事でも始めるのか?」
「あんたには関係ないことだ」
「ふん。まあいい。金さえ払えば誰にでも売るさ」
男爵は満足げに頷き、引き出しから羊皮紙の権利書と、手のひらサイズの奇妙な金属盤を取り出した。
「領主権の譲渡証明書だ。それと、これは領地運営を可視化する魔道具。人口や資金、食料生産量などが数値化されて浮かび上がる便利な代物だ。まあ、あの荒れ地で役に立つかは分からんがね」
皮肉たっぷりの言葉を無視し、俺は権利書と魔道具を受け取った。
傭兵として戦場を駆け回り、血と泥にまみれて稼いだ全財産。それがこの紙切れ一枚と、小さな金属盤に変わった。
後悔はない。
戦乱が絶えないこの世界で、俺はこれまでに十七人の戦災孤児を拾ってきた。
親を殺され、家を焼かれ、戦場の片隅で飢えに苦しんでいた子どもたち。見過ごすことができず、気づけば大所帯になっていた。
俺の手に染み付いた血の匂いは、一生消えることはないだろう。これまで奪ってきた命の数を数えることすら、とうの昔にやめてしまった。
そんな俺が父親ぶる資格などないのかもしれない。
だが、あいつらがかつて俺が見てきたような飢えや暴力に再び巻き込まれることだけは、絶対に避けなければならなかった。
血の繋がりはない。それでも、あいつらは俺が何としても守り抜く大切な家族だ。
傭兵稼業を続けていれば、いつか俺は死ぬ。俺が死ねば、あの子どもたちは再び路頭に迷うことになる。
あいつらに安全な家と、腹いっぱいの飯を与えたい。
そのために、俺は剣を置き、辺境の荒れ地を買ったのだ。
「せいぜい野垂れ死なないように頑張りたまえ、元傭兵殿」
背後から投げかけられる嘲笑を背に、俺は執務室を後にした。
◆ーーーー◆
荷馬車が大きく揺れ、車輪が乾いた土を軋ませる。
ガタガタと揺れる荷台の中で、子どもたちは身を寄せ合って不安そうに外の景色を眺めていた。
数日間の過酷な移動を経て、俺たちはついに目的の地に到着した。
「……ここが、私たちの新しい領地?」
荷台から飛び降りたアリアが、呆然とした声で呟いた。
目の前に広がっていたのは、ひび割れた固い土と、枯れ草がまばらに生える荒涼とした大地だった。
見渡す限り、豊かな緑も、清らかな川もない。
吹きすさぶ風の音だけが、虚しく響いている。
そして、その荒れ地の中心にポツンと建っているのは、今にも倒れそうなボロボロの木造小屋が一つだけだった。
屋根には無数の穴が開き、壁の板は腐りかけて隙間だらけになっている。
十七人の子どもたちが、不安げな表情で俺と小屋を交互に見る。
無理もない。これまで身を寄せていた街の安宿よりも、はるかに過酷な環境だ。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「ほら、あんたたち! ぼーっとしてないで荷物を下ろすよ!」
静寂を破ったのは、アリアの張りのある声だった。
彼女は長い髪を実用的に後ろで束ね直し、腕まくりをして子どもたちに指示を出し始めた。
「シオンは軽い荷物を小屋の中に運んで。小さい子たちは邪魔にならないところで待機! ほら、動く!」
アリアは十七人の孤児たちの中で一番年上で、母親代わりとしていつもみんなを引っ張ってくれている。
責任感が強く、俺の負担を減らそうと必死に立ち回る姿には、いつも助けられていた。
だが、無理をさせているという自覚もある。
「アリア、重いものは俺が運ぶ。お前は小屋の掃除を頼む」
「大丈夫よ、レオンさん。これくらい私にもできるわ」
アリアは強がって笑うが、その細い腕にはすでに疲労の色が滲んでいた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ここがわたしたちのおうち?」
ふいに、足元から無邪気な声が響いた。
末っ子のミルだ。彼女は少し大きめのお下がりの服の裾を握りしめ、満面の笑みを浮かべていた。
「すっごくひろいね! わたし、ここでいっぱいあそびたい!」
ミルの天真爛漫な笑顔と明るい声に、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。
不安そうにしていた他の子どもたちの顔にも、わずかに安堵の色が浮かぶ。
「ああ、そうだ。ここが今日から俺たちの家だ」
俺はミルの頭を撫でながら、子どもたち全員を見渡した。
領民の数は、俺と子どもたちを合わせてわずか十八人。
何もない荒れ地からのスタートだが、俺の腕と知識があれば、必ずここを豊かな土地にしてみせる。
決意を胸に、俺たちは荷解きを始めた。
◆ーーーー◆
翌朝から、家族総出での開墾作業が始まった。
まずは飲み水の確保だ。俺は傭兵時代のサバイバル経験と土木知識を総動員し、地下水脈がありそうな場所を見定めて井戸を掘り始めた。
固い土をツルハシで砕き、スコップで掻き出す。数時間掘り進めても、土は乾ききったままで、一向に湿り気を帯びる気配がない。
並行して、子どもたちには畑を作るための石拾いや、固い土をほぐす作業を任せた。
「くそっ……全然、土が割れないじゃないか」
クワを振り下ろしていたシオンが、息を切らして立ち止まった。
十四歳の彼は、細身で青白い肌をしており、体力がない。
周囲では、年下の子どもたちが泥だらけになりながらも一生懸命に石を運んでいる。
「……僕には、こんな力仕事、向いていない。結局、僕だけが足手まといなんだ」
シオンは自嘲気味に呟き、クワを地面に投げ出した。
少し長めの前髪の奥で、彼の瞳が悔しさに揺れている。彼は自分の細い腕を忌々しげに睨みつけた。
俺は井戸掘りの手を止め、シオンのそばに歩み寄った。
「シオン」
「……何さ。僕を叱るのかい」
「お前には、お前にしかできない仕事がある」
俺は地面に木の枝で簡単な図面を描いた。
「井戸から畑まで、効率よく水を引くための水路を作りたい。だが、高低差や水量の計算が必要だ。お前の頭脳を貸してくれ」
シオンは目を丸くして図面を見つめた。
「僕に……水路の設計を任せるって言うのかい?」
「そうだ。力仕事は俺や他の奴らでやる。お前は頭を使え」
一瞬、シオンの指先が止まった。彼は何も言い返さず、ただ真剣な眼差しで図面を覗き込んだ。
「……わかった。任せてよ。完璧な水路を設計してみせるから」
シオンが自分の役割を見つけ、再び前を向いたことに安堵しつつ、俺は開墾作業に戻った。
だが、作業を進めるうちに、厄介な問題が浮上した。
畑の予定地として定めた場所のあちこちに、巨大な岩が埋まっていたのだ。
「レオンさん、この岩、びくともしないわ」
アリアが数人の子どもたちと一緒に丸太をテコにして岩を動かそうとしていたが、岩は根を張ったように動かない。
俺も加わって力を込めたが、大人が何人がかりでも動かせないほどの重量と大きさだった。
「おかしいな……」
俺は汗を拭いながら、点在する巨石群を見渡した。
ただの自然の岩ではない。よく見ると、岩の表面には人工的に削られたような痕跡がある。苔一つ生えておらず、不自然なほど滑らかに削られている部分があった。
それに、岩の配置が不自然だ。等間隔で円を描くように並んでいる箇所があり、明らかに自然の産物ではない。
まるで、かつてここに巨大な建造物があり、その基礎部分だけが残されているかのような……。
軍事的に計算された配置。傭兵としての直感が、そう告げていた。
なぜ、こんな辺境の荒れ地に、砦の跡のようなものがあるのか。
嫌な予感が胸をよぎる。
俺は懐から、ゴードン男爵から渡された魔道具を取り出した。
金属盤の表面に、淡い光を放つ文字が浮かび上がる。
人口:18
資金:3
食料生産量:0
幸福度:12
絶望的な初期ステータス。
当面の食料は買い込んできたが、それが尽きる前にこの固い土を耕し、作物を育てなければならない。
だが、この不自然な巨石群が、開墾の行く手を阻んでいる。
風が吹き抜け、枯れ草がカサカサと音を立てた。
俺たちは本当に、この荒れ地で生き延びることができるのだろうか。
魔道具の冷たい光が、俺の顔を青白く照らしていた。




