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第25話

火花が視界を灼いた瞬間、俺はすでに次の動きへ入っていた。


大剣をわずかに傾け、男爵の放った刃の軌道を外側へ逃がす。甲高い擦過音とともに、男爵の重心が前のめりに流れた。踏み込みの甘い、ただ腕力と激情だけに頼った太刀筋だ。戦場を一度も踏んだことのない者の剣など、見切るまでもない。


「ぐぬっ……! 何を突っ立っている、殺せ! この男の首を取った者に金貨百枚をくれてやる!」


よろめいた男爵が唾を飛ばしながら叫ぶ。その怒号に応じ、取り巻きの私兵五人が抜き身のサーベルを構えて殺到してきた。金に目が眩んだか、あるいは長年染みついた主従の呪縛か。目の前の現実を正しく測れなくなった者たちの足取りは、ひどく浮ついていた。


「レオン殿、右は任せていただきたい!」


鋭い呼気とともに、銀色の甲冑をまとった影が横から割って入った。クロードだ。かつて男爵に忠誠を誓っていた騎士の瞳には、もはや一切の躊躇いも曇りもなかった。主君の暴走をその手で終わらせるという、冷徹なまでの覚悟だけが宿っている。


「頼む」


俺は短く応じ、左側から回り込もうとした私兵の正面へ踏み込んだ。


間合いを一瞬で潰された私兵の顔に、明らかな動揺が走る。振り上げられたサーベルが振り下ろされるより速く、俺は大剣の柄頭を男の鳩尾へと正確に突き入れた。くぐもった吐息とともに、私兵の一人が膝から崩れ落ちる。返す刀で、背後から突き出されたもう一振りの槍の穂先を大剣の腹で叩き落とし、がら空きになった胴へ靴底を叩き込んだ。


「がはっ……!」


蹴り飛ばされた兵が背後の岩肌に激突し、そのまま白目を剥いて昏倒する。命を奪う必要はない。ただ、二度と立ち上がれない程度の衝撃を叩き込めばそれで済む。


視界の右隅では、クロードの剣が鮮やかな弧を描いていた。流れるような足運びで敵の斬撃を躱し、流麗な剣技で私兵たちの武器を次々と叩き落としていく。手首を打たれ、あるいは膝裏を薙ぎ払われた私兵たちが、悲鳴を上げながら地面に転がっていった。


「バカな……! なぜだ! なぜ貴様のような落ちぶれ騎士に私の私兵が敵わんのだ!」


男爵の金切り声が、冷え切った冬の空気に響き渡る。自らの権力と金が、目の前でいとも容易く無力化されていく現実を受け止めきれないらしい。脂汗にまみれた顔を歪め、引きつった笑いを漏らしながら後退りを始める。


「金だ……! もっと金を払えば、腕利きの兵がいくらでも雇えるはずだ! 王都の重鎮にも十分な付け届けをしてある! 私を誰だと思っている! 代々この地を治めてきた由緒正しき貴族だぞ!」


狂気じみた男爵の叫びを聞きながら、クロードは静かに長剣を構え直した。その眼差しには、怒りよりも深い侮蔑と諦念が混ざり合っている。


「ゴードン男爵、見苦しい真似はおやめください。あなたが買い集めた金も兵も、誰一人としてあなた自身を見てはいなかった。民を顧みず、奪うことしか知らぬ者に、従う者が残るはずもないのです」


「黙れ、裏切り者が! 恩知らずの犬風情が私に説教をするな!」


血走った目で華美な装飾剣を振りかぶり、男爵はがむしゃらに突進してきた。


俺はクロードを手で制し、一人で前へ出た。


男爵が振り下ろした渾身の一撃。風を裂く鋭さすら失われたその切っ先を、俺はわずかに首を傾けただけで回避する。耳元をかすめた冷たい風の感触。次の瞬間、俺は大剣の柄を握る両手に力を込め、下からすくい上げるように峰を叩きつけた。


澄んだ金属音が鳴り響き、男爵の装飾剣が高く宙を舞った。


回転しながら飛んでいった剣が、乾いた音を立てて遠くの地面に突き刺さる。


「あ……?」


両手の平の皮を裂かれ、痺れに顔を歪ませた男爵が、間抜けな声を漏らした。手首から力が抜けたのか、ぶらりと垂れ下がった両手を震わせながら、目の前の俺を見上げる。


俺は一歩踏み出し、冷徹な視線をその男へと注いだ。大剣の切っ先を、男爵の足元へと突き立てる。


「終わりだ、男爵。武器を捨てて降伏しろ」


低く、淀みのない声で告げた。


周囲の私兵たちは全員倒れ伏し、うめき声を上げている。丘の上からは、カイトたち自警団が弓を構えて包囲を完了していた。誰一人として男爵を助けようとする者はいない。冬の荒野に、男爵の荒い呼吸の音だけが虚しく響く。


「ひっ……」


男爵の膝が折れ、地面の冷たい土の上に崩れ落ちた。高価な外套が泥にまみれ、胸元の豪奢な宝石が鈍い光を放っている。全てを失った現実が、ようやくその鈍重な頭へと染み渡ったかのように見えた。


だが、男の瞳の奥に宿る濁った光は、まだ消えていなかった。


「ふ、ふざけるな……! これで勝ったと思うなよ、野良犬どもが!」


膝をついたまま、男爵は血を吐くような形相で俺を睨みつけてきた。脂ぎった顔を歪め、唾を撒き散らしながら喚き立てる。


「私の後ろには王都の大貴族が何人もついているのだ! 辺境の開拓地ひとつなど、王命一枚でいくらでも取り潰せる! お前たちの罪状など、反逆罪としていくらでもでっち上げてやる! すぐに王都から正規軍が派遣され、貴様ら全員、処刑台に送られるのだ!」


往生際の悪さに、クロードが険しい表情で眉をひそめる。


「男爵、王都への不正告発はすでにザック殿の手によって届け出の手続きが進められています。あなたの悪行は全て白日の下に晒されるはずです」


「ハハハ! 買い被るなよ若造が! 王都の法など、金と血筋でいくらでも捻じ曲げられるのだ! 私の差し向けた使者が中央の有力者に接触すれば、貴様らの提出した紙切れなど握りつぶされるに決まっている!」


男爵の哄笑が、谷間に響いた。虚勢か、それともこの国の腐敗した構造に対する確信か。


手首のサポーターを確かめるように軽く握り込みながら、俺は男爵を見据え続けた。目の前の脅威は確かに退けた。だが、王都という巨大な権力の影が、この地にどのような裁定を下すのかはまだ定かではない。ザックが託された告発状が届くのが先か、それとも男爵の息のかかった中央の権力者が握りつぶすのが先か。


この手で築き上げてきた場所と、腹いっぱい飯を食わせると誓った家族の平穏。それを完全に守り抜くための本当の決着は、まだこれからだった。

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