第24話
冷え切った冬の風が、乾いた地面の砂煙を巻き上げていく。
「……終わりだ、男爵」
俺が短く告げると、ゴードン男爵の顔は一瞬で蒼白からドス黒い赤へと染め直された。脂汗の浮いた額に青筋が浮き上がり、見開かれた両目が血走る。傲慢に歪んでいた唇が、わなわなと小刻みに震えていた。
「お、終わりだと……? ふざけるな、ふざけるなよ! なぜだ! なぜ貴様のような薄汚い傭兵崩れが、この私を追い詰めるなどという真似ができる!」
男爵は喉を引き裂くような叫び声を上げた。足元に散らばった武器を見下ろし、裏切った部下たちの逃げ去った方角を睨みつける。
「私の金だぞ! 私の地位だ! この土地も、作られた富も、すべて私のものになるはずだったのだ! なのに……あの守銭奴どもめ、揃いも揃って私を裏切りおって!」
取り巻きの私兵たちが震え上がり、後退りをする。だが男爵は腰の佩剣を引き抜くと、手近にいた私兵の肩を柄で殴りつけた。
「退くな! 構えろ! 私の命令が聞けないのか! 貴様らの命など、私のひと言でどうとでもなるのだぞ! 立て、突撃だ! あの男の首を取れええぇっ!」
すでに理性の欠片も残っていなかった。かつて見下していた相手に足元を掬われ、積み上げてきた虚栄を暴かれた男の、見苦しい狂乱だ。残された私兵たちは、男爵の異常な剣幕に気圧され、青ざめた手で再び槍や剣を拾い上げる。
十数人の私兵を従え、男爵自らが抜き身の剣を振り上げながら、がむしゃらに前進を始めた。統制も何もない、ただの自暴自棄な突撃だった。
◆ーーーー◆
「敵の残存数は十五。指揮系統は完全に崩壊していますね」
背後から、手帳をめくる乾いた音が届いた。シオンだ。前髪の隙間から冷徹な視線を走らせ、男爵軍の動きを測っている。
「無計画な突撃です。こちらの防衛ラインを突破する確率は、どれだけ高く見積もっても一割未満ですよ」
「油断は禁物よ、シオン。追い詰められた人間ほど、何をしでかすか分からないわ」
引き締まった声で応じたのはアリアだった。作業着の袖をまくり上げ、防壁の隙間から鋭い眼差しを前方に注いでいる。その手には、緊急時の合図に使う角笛が握られていた。
「迎撃地点の確認は済んでいる? 避難させた小さい子たちの安全は?」
「抜かりありませんよ、アリア姉さん。ミルたち年少組は一番奥の地下室に待機させてあります。工房の大人たちも、バリケードの内側で手伝う準備を終えています」
シオンが淡々と事実を並べる。その横顔には、かつて戦場を彷徨っていた頃の怯えは微塵もなかった。
砦の基礎だった巨大な岩場の周りには、自警団の若者たちだけでなく、後から移住してきた元流民の領民たちも控えている。誰一人として背を向けて逃げ出そうとする者はいなかった。武器の代わりに鍬や頑丈な角材を手にした男たちも、硬い表情の奥に揺るぎない覚悟を滲ませている。
彼らが見つめているのは、男爵の狂態ではなく、最前線に立つ俺の背中だった。
「みんな、持ち場を離れないで!」
アリアが凛とした声で周囲に呼びかける。
「ここまでみんなで守り抜いてきた場所よ。絶対に、あんな横暴な人たちに渡したりしない!」
力強い叫びに、自警団の少年たちが短く応じる。領民たちの間に走っていたわずかな緊張が、ひとつの確かな熱量へと束ねられていくのが分かった。
子どもたちを飢えさせないためだけに買い取った、荒れ果てた土地。固い土を掘り返し、泥にまみれて種を蒔き、ひとつ屋根の下で温かいスープを分け合ってきた月日。その積み重ねが、いまこの場所に確固たる砦を築き上げていた。
◆ーーーー◆
俺は右腕を軽く回した。手首に巻かれた手編みのサポーターが、冬の冷気から古傷を守るように温かくフィットしている。
ズシリとした大剣の柄を握り直す。命を奪うためではない。守るべき日常をこれ以上汚させないための重みだった。
「レオンさん、風向きは変わりません。いつでもいけます」
アリアの声が背中を押す。
「ああ。十分だ」
俺は低く答え、歩幅を広げて前へと出た。
男爵は血走った目を剥き出しにして、喚き散らしながら距離を詰めてくる。
「死ねぇっ! 盗人めが! 私の財産を返せ!」
刃が空を裂く風切り音が響く。がむしゃらに振り下ろされる男爵の剣撃。
俺は半歩だけ身体を引き、その切っ先を紙一重で見切ると、大剣の平で真横から強烈に打ち払った。
けたたましい金属音が炸裂し、火花が散る。力任せの一撃を弾かれた男爵の体勢が、大きく崩れ落ちた。
「ぐっ……おのれ、まだだ! 私は貴族だぞ! こんなところで終わってたまるかぁっ!」
体勢を立て直そうともがく男爵の切っ先が、再び鈍い光を放ちながら迫り来る。守るべき家族の未来を背負った俺の刃と、すべてを失いかけた男の執念が、火花を散らして激突した。




