第22話
弾かれた投石の破片が、足元の乾いた土を跳ね上げる。
軌道を逸らされた敵の剣先は、俺の胸元をかすめ、咄嗟に庇うように上げた左前腕へと滑り落ちた。鋭利な切っ先が布地へ食い込む。
だが、刃はそこで止まった。
革を断ち切るはずの鋼が、ぎしりと軋む音を立てて絡め取られる。腕に幾重にも巻き付けられた、ごわごわとした手触りの分厚い布地。荒れ地の頑強な繊維を何本も撚り合わせ、カイトが指先を赤く腫らしながら編み上げてくれた手作りのサポーターだった。
「……なっ!?」
敵のリーダーが目を見開く。浅く刃が食い込んだものの、何層にも織り込まれた強固な繊維の束が、肉へと至る牙を完璧に受け止めていた。魔法のような奇跡ではない。泥臭く、時間をかけて編み込まれたただの布の塊が、歴戦の傭兵が振るった凶刃の威力を殺し尽くしたのだ。
それだけではなかった。
じんわりとした熱が、腕の内側から皮膚へと染み渡っていく。油分を落としきらずに織られた繊維は風を通さず、俺の体温を逃さず閉じ込めていた。冷え切った大気の中で凍りつき、悲鳴を上げていた古傷の筋肉が、解き放たれるように熱を取り戻していく。
「親父に……怪我させんじゃねえぞッ!」
岩棚の上から、カイトの怒声が吹き抜ける。見上げずとも分かった。投石具を構え直す長男の手には、まだいくつもの小石が握られているはずだ。
痛みが引いていく。固まっていた右腕の強張りが解け、指先まで確かな感覚が戻ってきた。
あいつらがくれたのは、ただの防具じゃない。
「無茶しないで、レオンさん!」
砦の遺構の奥から、アリアの張り詰めた声が届いた。震えを堪えながら、それでも背筋を伸ばして子どもたちを庇い、状況を見極めようとしている姿が目に浮かぶ。
「おにいちゃん、やっつけちゃえーっ!」
続けて、ミルの甲高い、何の疑いもない純粋な声援が響き渡った。戦場の狂気すら吹き飛ばすような無邪気な声だ。
守るべきものがある。俺を信じて、ここで生きることを選んでくれた家族がいる。それだけの事実が、冷えきりかけていた血潮を一気に沸騰させた。
「……悪ぃな。ここから先は通せねえ」
息を深く吸い込み、固く握り直した剣の柄を握り締める。
左腕のサポーターに絡みついたままの敵刃を、俺は力任せに外側へと振り払った。予想外の抵抗に、相手の体勢が大きく前のめりに崩れる。
「小細工を……ッ!」
精鋭部隊の男は即座に刃を引き抜き、怒りに任せて横薙ぎの一閃を放ってきた。歴戦の傭兵らしい素早い立ち直りだが、見え透いている。足腰の重心が浮き、刃筋に焦りが滲んでいた。
俺は半歩だけ後ろへ引き、切っ先が鼻先をかすめるのを見送る。風を裂く鋭い音が耳朶を打つと同時に、踏み込み直した。
体重を乗せた右足が、荒れ地の土を深く抉る。
「がっ……!?」
振るったのは剣の刃ではない。鍛え上げた分厚い柄頭を、がら空きになった男の鳩尾へと正確に叩き込んだ。
鈍い衝撃音が骨を伝わり、男の肺から全ての空気が吐き出される。くぐもった呻き声を上げて折れ曲がる相手の首筋へ、電光石火の早さで刃の腹を叩き落とした。
巨体が地面へと崩れ落ち、もう動かない。
一瞬の静寂が、煙幕の立ち込める岩場を支配した。
「た、隊長が……!?」
背後に控えていた残りの精鋭たちが、青ざめた顔で立ち尽くす。煙幕の混乱を突いて俺の命を奪うはずだった作戦は、完全に瓦解していた。
「次に来るのはどいつだ」
低く喉を鳴らし、俺は切っ先をわずかに持ち上げた。殺意ではなく、ただ退路を断つ冷徹な威圧を込めて見据える。かつて幾多の修羅場を潜り抜けてきた男たちの目が、恐怖に揺れた。
「ひ、引け! 一旦陣形を立て直すんだ!」
誰かが悲鳴混じりに叫ぶと、残った傭兵たちは倒れたリーダーの身体を引きずり、蜘蛛の子を散らすように岩陰の向こうへと逃げ出していった。
重苦しい足音が遠ざかり、黄色い煙が風に流れて薄れていく。
俺は深く息を吐き出し、剣を収めた。左腕に巻かれたサポーターに触れると、ざらついた布地がまだ温かい。切れ込みの入った繊維を見つめていると、後ろから駆け寄ってくる足音がいくつも重なって聞こえてきた。
「レオンさん!」
真っ先に駆け寄ってきたのはアリアだった。普段の落ち着きをかなぐり捨て、肩で息をしながら俺の全身を確かめるように見回す。
「怪我は!? 腕、切られたんじゃないの!?」
「かすり傷だ。皮一枚も切れてねえよ」
俺が左腕を上げて見せると、アリアはほっと胸を撫で下ろし、それから眉をきゅっと寄せて怒ったような顔をした。
「もう……いつも無茶ばかりして。心臓が止まるかと思ったわ」
「悪かった。だが、カイトの作ったこれのおかげで助かった」
そう言ってサポーターを指差すと、岩棚から滑り降りてきたカイトが、気恥ずかしそうに鼻の頭を擦った。
「へへっ、役に立っただろ! 頑丈さだけは自信があったんだ。親父の腕、冬になるといつも痛そうだったからさ」
「ああ。完璧な防具だった。助かったぞ、カイト」
ぶっきらぼうに頭を撫でてやると、カイトは誇らしげに胸を張った。
「わーい! やっつけたー!」
ミルが小さな身体で俺の足元に飛びついてくる。受け止めて抱き上げると、小さな両手が俺の頬をぺたぺたと触ってきた。
「おにいちゃん、すっごくかっこよかった! どーんってした!」
「ミルも、よく声を出してくれたな」
幼い笑顔を見ていると、胸の奥底にあった戦いの熱がすっと引いていくのが分かった。子どもたちを守りきれた安堵感が、疲労とともに全身を満たしていく。
砦の基礎となっていた巨石の陰から、避難していた流民や自警団の面々が恐る恐る顔を覗かせた。やがて敵が本当に退却したことを悟ると、わっと大きな歓声が沸き起こった。
「勝ったぞ……! 男爵の精鋭を追い払ったんだ!」
「領主様が、あいつらを叩き出してくれた!」
歓喜の声が谷間に響き渡る。自警団の若者たちが肩を抱き合い、流民の大人たちも涙を浮かべて手を取り合っていた。煙幕と巨石の配置、そして一人ひとりの持ち場を守り抜いた結果が、この勝利を手繰り寄せたのだ。
だが、俺は歓声に湧く広場を見渡しながら、静かに気を引き締め直した。
追い払ったのは、あくまで先遣隊と精鋭の部隊に過ぎない。敵の主力を率いるゴードン男爵の本隊は、まだこの谷の入り口の向こうに控えているはずだ。手痛い損害を受けた男爵が、このまま引き下がる男ではないことは百も承知だった。
「浮かれるなよ、みんな。まだ終わっちゃいない」
俺の声に、歓声が少しだけ落ち着きを取り戻す。領民たちが真剣な眼差しをこちらへ向けた。
「だが、俺たちの戦い方は通用した。この土地は、誰にも渡さない」
力強く言い切ると、今度は静かで揺るぎない頷きが周囲から返ってきた。怯えの色はもう誰の目にもない。自分たちの手で暮らしを守るという意志が、全員の表情に宿っていた。
冷たい冬の風が吹き抜ける中、俺は谷の向こう、男爵軍が陣を敷く方角を鋭く見据えた。




