第15話
俺は力強く頷き、小屋の扉を開け放つと、広場で待つクロードとセリアの元へ向かった。
かつてない規模の脅威が、すぐそこまで迫っている。
だが、俺たちにはまだ手札がある。この巨石群の地形、子どもたちの才能、そして領民たちの結束。
迫り来る三百の傭兵団に対し、どう立ち向かうか。
俺の頭の中では、すでに迎撃のための戦術が組み上がり始めていた。
夜明け前の冷たい風が、頬を撫でる。
空はまだ暗く、星々が瞬いている。
俺は静まり返った領地を見渡した。
かつては固い土に覆われただけの荒れ地だったこの場所も、今では多くの流民たちが移り住み、百人規模の活気ある集落へと成長した。
子どもたちが笑い声を上げながら駆け回り、夕暮れには各家から温かい食事の匂いが漂う。
俺が傭兵時代の全財産を投じて手に入れた、ささやかな、しかし何よりも尊い居場所。
それを、強欲な貴族の気まぐれで奪わせるわけにはいかない。
小屋の中を振り返ると、幼い子どもたちが身を寄せ合って眠っていた。
規則正しい寝息が、静かな部屋に響いている。
俺の手に染み付いた血の匂いは、一生消えることはないだろう。
人殺しのくせに父親ぶるなと、誰かに罵られるかもしれない。
それでも、この寝顔を守るためなら、俺は何度でも修羅になる。
自分がかつて戦場で見てきたような飢餓や暴力に、この子たちを再び巻き込むことだけは、絶対に許さない。
手足の古傷が、冬の寒さで微かに痛んだ。
だが、特産品の丈夫な素材で編み上げられた手作りのサポーターが、その痛みを和らげてくれている。
長男のカイトが、俺のために夜なべして作ってくれた防具だ。
家族の温もりが、俺に戦う力を与えてくれる。
広場には、すでに数人の影があった。
クロードと、王都の密偵であるセリアだ。彼女の手には、分厚い羊皮紙の束が握られている。
「工作員の尋問記録と、私の報告書よ。男爵の不正な資金操作、私兵の違法な動員、そしてこの地への不当な侵略計画。すべて詳細に書き記したわ」
セリアは静かに告げ、封蝋が施された書類を差し出した。
「ご苦労だったな」
俺はそれを受け取る。ずっしりとした重みがあった。
「クロードが捕らえた工作員の証言も裏付けになる。これで、奴を法的に完全に追い詰める決定的な証拠が完成した」
これを王都の裁定機関へ届け、正式な介入を引き出す。それが、この辺境の領地を恒久的に守るための唯一の道だった。
力で敵を退けたとしても、法的な後ろ盾がなければ、男爵は何度でも新たな軍を差し向けてくる。子どもたちが安心して眠れる夜を取り戻すためには、奴の権力を根元から断ち切る必要があった。
「だが、王都までは距離がある。通常の使者では、裁定が下る前にここが火の海になるぞ」
クロードが、厳しい表情で指摘した。
「なら、俺の商会の特急便を使いな」
背後から、恰幅の良い男が歩み出てきた。常に頭に手ぬぐいを巻いている行商人、ザックだ。
彼は夜明け前から荷車の点検をしていたらしい。
「ザック。あんたを巻き込むわけにはいかない」
「水臭いこと言うなよ、お客さん。あんたたちには、特産品の取引でたっぷり儲けさせてもらってるんだ。ここで商売相手に死なれちゃ、俺の懐が寒くなる」
ザックは人懐っこい笑顔を浮かべながらも、その目は真剣そのものだった。
「俺の商会が持つ最速の流通ルート、早馬の乗り継ぎ網をフル活用してやる。これなら、通常の半分の時間で王都の裁定機関に書類を叩き込めるぜ」
その申し出は、今の俺たちにとって何よりもありがたかった。
「恩に着る」
俺が頭を下げようとすると、横からアリアが進み出た。
彼女は長い髪を実用的に後ろで束ね、いつもの作業着姿だった。
「ザック。私たちの未来を、あなたに託します。どうか、無事に届けて」
ハキハキとした彼女の声には、一切の迷いがなかった。
「任せときな、お嬢ちゃん。あんたたちの作るあの香油がなくなったら、俺の商売もあがったりだからな。必ず届けてみせるさ」
ザックは書類の束を受け取ると、油紙で丁寧に包み、懐の奥深くへしまい込んだ。
「それじゃあ、行ってくる。あんたたちも、無茶だけはするなよ」
ザックは身軽な動作で馬に跨り、手綱を引いた。
蹄の音が夜明けの静寂を破り、遠ざかっていく。
アリアはその後ろ姿を、祈るように見送っていた。
◆ーーーー◆
証拠が王都へ向かった。
だが、裁定が下り、王都からの使者が到着するまでには、どんなに急いでも数日はかかる。
その間に、男爵が全財産を投じて雇い入れた三百の傭兵団が、この地に到達する。
俺たちは、その猛攻を自力で耐え凌がなくてはならない。
日が昇り始めると、領地はにわかに慌ただしくなった。
流民たちは自発的に集まり、防衛のためのバリケード構築や、武器の点検を始めている。
誰一人として、逃げ出そうとする者はいなかった。
彼らもまた、この地を自分たちの家だと認識し、守り抜く覚悟を決めているのだ。
「あなた。物資と防衛資金の計算、終わったわ」
アリアが、分厚い帳簿を抱えて俺の元へ戻ってきた。彼女の隣には、青白い肌をした次男のシオンが立っている。
アリアは帳簿を開き、几帳面な文字で埋め尽くされたページを指でなぞった。
「僕の計算も合致しているよ。籠城戦になった場合、現在の備蓄と流民たちの持ち寄った食料を合わせれば、十日は持つ」
シオンは少し長めの前髪を払いながら、淡々と報告を始めた。
「ただし、負傷者の治療費や、罠の修復にかかる資材を考慮すると、資金の余裕はほとんどない。無駄な消耗は避けるべきだ」
「十日か。十分だ」
俺は頷き、腕に巻かれたサポーターを軽く撫でた。
「敵は三百。まともに平地でぶつかれば、一瞬で押し潰される。だが、この地にはかつての砦の基礎だった、巨大な岩の群れがある」
開墾の邪魔だったあの岩群は、軍事的に計算し尽くされた配置になっている。
「これを防衛陣地として使えば、少人数でも大軍の足を止められる。シオン、罠の配置はどうなっている?」
「抜かりはないよ。地形の死角を利用した巡回ルートと、侵入者を誘導する罠の配置は、すでに僕が最適化しておいた」
シオンは地面に広げた地図を指差し、羽ペンで素早く印を書き加えていく。
「大軍が展開できるのは南の街道沿いだけだ。そこに戦力を集中させ、敵を狭い通路に誘い込む。数の暴力を無効化するんだ」
「無駄遣いは絶対に許さないわよ。資材も、食料も、そして……命も」
アリアが、帳簿をパタンと閉じ、強い口調で言った。
彼女の目は、家計を守る長女としての責任感と、家族を失うことへの恐れが入り混じっていた。
「分かっている。誰一人欠けることなく、全員で生き残る」
俺は静かに、だが確かな決意を込めて答えた。
「お前たちの作ったこの居場所は、俺が必ず守り抜く」
その頃、王都へ向けてザックの手配した早馬が駆け抜けていく。
だが、それと時を同じくして。
隣領の男爵領から、地響きを立てて大規模な軍勢が進発していた。
三百の傭兵団。金で雇われた歴戦の荒くれ者たちが、俺たちの家を焼き払うべく、容赦のない行軍を開始したのだ。
裁定が下るまでの間、俺たちはこの猛攻を耐え凌ぐことができるのか。
決戦の時は、目前に迫っていた。




