第12話
広場の中心で笑い合う家族たちを見守っていた俺の背後に、微かな足音が近づいてきた。
振り返ると、クロードが険しい表情で立っていた。その手には、封が切られた小さな羊皮紙が握られている。
「貴殿に、急ぎ知らせたいことがある」
周囲に子どもたちがいないことを確認し、クロードは声を潜めた。生真面目な騎士の顔に、かつてないほどの焦燥が浮かんでいる。
「王都にいるかつての同僚から、密告の報せが届いた。ゴードン男爵が動いたそうだ」
「討伐隊を編成したのか」
「いや。正規の兵ではない」
クロードは羊皮紙を握りつぶすように力を込めた。
「裏社会の工作員や、暗殺者を雇い入れたらしい。すでに数組が、このアッシュバレーに向けて放たれたとのことだ。金に糸目をつけず、腕利きの連中ばかりを集めたと聞く」
俺は眉をひそめた。
法的な手段で領地を奪えなかった男爵は、なりふり構わず実力行使に出るだろうとは予測していた。だが、軍を動かすには王都の目がある。だからこそ、非合法な輩を使って、俺たちを闇に葬ろうという腹か。
「情報に感謝する、クロード」
「私とて、この領地の平穏を壊されたくはない。……だが、相手は闇に生きる者たちだ。正面からの戦いにはならないぞ。夜陰に乗じて火を放ち、毒を盛り、確実に命を狙ってくる」
「分かっている。すぐに警戒態勢を引き上げる」
俺は広場にいるカイトとアリアを呼び寄せ、子どもたちを頑丈な倉庫へ避難させるよう指示を出した。
◆ーーーー◆
日が傾き始めた頃、俺は領地の境界線に広がる森の入り口に立っていた。
「バルガス、進み具合はどうだ」
声をかけると、茂みの奥から革のエプロンを揺らして大柄な男が姿を現した。バルガスは無精髭を撫でながら、手元にある細い革紐を引いてみせる。
「あらかた終わった。あんたの指示通り、要所には鳴子を仕掛けてある。少しでも引っかかれば、派手な音が鳴る仕組みだ」
バルガスが指差した先には、枯れ葉や下草に巧妙に隠された仕掛けがあった。素人の目には全く見えない。
「助かる。仕事が早いな」
「俺は俺の仕事をしただけだ」
バルガスは短く答え、足元に置かれた木箱を顎でしゃくった。
「例の搾りかすを使った罠も、改良して設置しておいた。踏み抜けば、あの強烈な催涙煙幕が周囲に吹き出す。いくら裏社会の連中だろうと、あれをまともに食らえば目は開けられねえはずだ」
木箱からは、鼻を突くような独特の刺激臭が微かに漏れ出している。特産品作りの副産物であるこの搾りかすが、まさか防衛の要になるとは思わなかった。
職人としての妥協を許さないその手つきには、彼なりの家族を守る意志が込められていた。過去に裏切られ、他人を避けてきたこの男が、今では俺たちの防衛網の重要な一翼を担ってくれている。
「頼りにしてるぞ、バルガス」
「……ふん。せいぜい、俺の作った罠を無駄にしないでくれよ」
バルガスは照れ隠しのように鼻を鳴らし、次の設置場所へと歩き出していった。
◆ーーーー◆
夜の帳が下りる前、俺は拠点としている小屋の裏手に足を運んだ。
そこには、人の力では到底動かせない巨大な岩がいくつも点在している。開墾の際には邪魔なだけだったこの巨石群の前に、シオンが羊皮紙の束を抱えて立っていた。
「親父、待っていたよ」
シオンは青白い顔に少しだけ得意げな笑みを浮かべ、手書きの地図を広げた。
「この岩の配置図を改めて計算してみたんだ。やっぱり、ただの自然の産物じゃない。かつてこの地にあった砦の基礎部分だ。軍事的に、完璧な計算のもとに配置されている」
俺は地図を覗き込んだ。巨石の位置と、森から続く獣道が線で結ばれている。
「つまり、これを防衛陣地として使えるということか」
「その通り。岩の死角を利用すれば、敵からは見えずに、こちらからは一方的に監視できるルートが作れる。僕が計算した夜間の巡回ルートをなぞれば、どんな工作員が侵入してきても必ず捕捉できるはずだ」
シオンは細い指で地図上のポイントを次々と指し示していく。
体力がないことを気にしていた次男は、今やその明晰な頭脳で、この領地を鉄壁の要塞へと変貌させようとしていた。
「よくやった、シオン。お前の計算があれば、夜の警備も万全だ」
「当然さ。僕の頭脳を甘く見ないでよね」
シオンは少し照れたように前髪をいじった。
俺は腰の剣帯を確かめ、カイトが編んでくれた手作りのサポーターに触れた。冷え込む夜風が吹き抜けても、古傷の痛みは全く感じない。子どもたちが俺に与えてくれた力が、今の俺を支えている。
「よし。俺はこれから巡回に出る。お前は子どもたちのところへ戻れ」
「気をつけてね、親父」
シオンの言葉を背に受け、俺は闇に包まれた巨石群の影へと足を踏み入れた。
バルガスの罠と、シオンの計算し尽くした防衛陣地。
迎撃の準備は整った。確かな手応えが、俺の胸の奥にある。これなら、どんな連中が来ようと家族を守り抜ける。
だが、油断は禁物だ。
深夜。
雲が月を隠し、完全な闇がアッシュバレーを覆い尽くしたその時だった。
領地の境界線、森の奥深くから、微かな葉擦れの音が響いた。
風の音ではない。
訓練された足運び。それも、一つや二つではない。
闇夜に紛れ、音もなく接近してくる複数の不審な影。
男爵の放った工作員たちの侵入が、ついに始まったのだ。
俺は息を殺し、巨石の陰で剣の柄に手をかけた。




