第8章 SAKIOTTE①
音環の家には何度か行ったが、家に入るのは初めてだった。
宿題をやろう、と約束して結局そのままになっていたな……ふと、門亜は思い出した。
「余分に焼いていたシャケ、ばあちゃんがレンジで温めてくれるって」
門亜はリビングの椅子に座らされると、音環は薬がいくつか入ったプラスチックのケースを持ってきた。
そして、門亜の服の袖を少しまくると、軟膏のチューブから少し薬をだして、丁寧に塗り始めた。
「よくここまで蚊にやられたよね……痒くなかった?」
あ、ここもだ、と音環は言いながら門亜の反対側の腕から首まで人差し指で塗りこんだ。
……くすぐったい。でも、丁寧に塗りこむ指の動きが、ささくれていた気持ちまで薬を塗り込んでくれたような気がした。
「外に痒いところない?多分、ズボンの中まで刺されていると思うけど……薬渡すから塗っておいでよ」
門亜はそっとズボンのすそを持ち上げた。……音環の言う通り、ふくらはぎも蚊に食われていた。太ももも……痒いからきっと刺されているはず。
門亜は顔を真っ赤にしながら、音環から薬を受け取ると、トイレに駆け込んだ。そして、ズボンをおろすと、まるで足が赤の水玉模様のように蚊に刺されていた。
カイ兄ちゃんは薬塗ってもらえたのかな……門亜は赤く盛り上がった一つ一つに薬を塗っていった。
かゆみはすぐ取れなかったが……薬を塗った安心感で、気持ちが柔らかくなっていくのを感じた。
薬を塗り終わると、ズボンをはいてトイレから出た。すると、音環の門亜を呼ぶ声がした。
「手を洗っておいでよ。ご飯できたって」
温かくなったシャケの香りが、ほんのり漂ってきた。再び、門亜のお腹がぐぅ、と鳴った。
リビングに戻ると、2人分のご飯が並んでいた。あれ?と言う顔をする音環に
「少し早いけど、音環もご飯を一緒に食べちゃいなさい」
とキッチンから女性の声がした。そして、みそ汁をお盆に乗せてリビングにやってきた。
……なんて優しい顔をしているんだろう!門亜は思った。
すべっタローのおばあさんも柔和そうな顔をしていたけど、音環のおばあさんは、目が優しい。音環を見るまなざしが、とても温かく感じた。
「あっ!たらこだ!こっちのたらこって大きいよね。東京のって小指くらいの太さしかないんだよ。しかも赤いし」
音環がやった!と言う顔をした。
たらこ……久しく食べていないなぁ。おかずは大体火の通っているものばかりだから。生ものってずいぶん食べてない。
門亜がたらこ最後に食べたのいつだっけ?と考えていると、門亜の前に置いてあるシャケの皿にたらこがとん、とん、と重ねて乗っかった。
「門亜も食べなよ。いただきます!」
音環は箸を持ちながら手を合わせると、ご飯の上にたらこを乗せて崩しだした。そして、箸を使って、皮でくるっとご飯を巻くとばくり、とほおばった。
門亜も、手を合わせてお辞儀をすると、音環の真似をしてご飯の上でたらこを崩し始めた。そして、箸で皮を広げてくるっとご飯に巻くとそのまま口に運んだ。
……おいしい!目を丸くした門亜は、ニコニコしながらたらこご飯を食べている音環と目が合った。つい、恥ずかしくなり、笑みで返した。
「ちょっと買い物に行ってくるから、食べ終わったら流しに食器を置いておいて頂戴ね」
おばあさんの声が聞こえた。何を買いに行くの?と音環が聞くと、バターをね、と返事を返す声が聞こえた。
がらがら、と玄関の扉の音がすると、急にシンと静まったような気がした。
「じいちゃん、集まりで出かけちゃってたんだ」
だから、こんなに部屋があるのに僕たち2人。ぼそっと音環が言った。
門亜は周りを見渡してみた。玄関から入ったとき、階段と反対側に部屋があった。
うん。ここまではボクのうちと同じ。リビングの前に廊下があって、部屋と反対側に伸びている。ボクのうちはそこまではない。
外から見た音環の家は大きいと感じたけど……実際に上がってみると、門亜はより、その広さを感じた。
おばあさんは優しいけど……こんなに大きい家に少ない人数じゃ、寂しいよね……。
「早く食べて、2階の防音室に行こう!」
そう言うと、音環はご飯をかけ込みだした。
……音環の家も防音室があるんだ。大河の家に行った時も防音室があった。本格的だな、と門亜は口にご飯を運びながら思った。
ご飯を食べ終えると、流しの前で音環と門亜は並んで食器を洗い始めた。
「布巾で拭いてもらっていい?」
音環はそう言うと、門亜に乾いた布巾を渡した。
「ご飯……おいしかった。」
ぼそりと、門亜は言った。おにぎりだけでもいいから、音環と一緒にご飯、毎日食べたいな。
「ありがとう」
気持ちはこっそり隠して門亜は続けた。
拭いた食器を、カゴに重ねて行った。
しまう順番にルールがあるんだ、と音環は言った。そして、覚えられないんだけど、と恥ずかしそうに音環は続けた。
防音室に行こう、と2人が階段を上がろうとした時、玄関の扉がガラガラ、と開いて、音環の祖母が帰ってきた。
「おかえりなさい!ばあちゃん、2階の防音室にいるね!」
音環は祖母に声をかけると、とん、とん、と軽い足取りで2階に上がっていった。
防音室は、階段を上った正面にあった。
「キッチンとリビングの真上にあるんだ。だから、たまに魚の焼く匂いが入ってくるよ」
笑いながら音環は言うと、防音室の扉を開いた。
扉の向こうには、6台ほどのギターと、2人掛けのソファが置いてあった。そして、窓際に近いところにある、アコースティックギターが目を引いた。
「アコースティックギターはね、じいちゃんの。ボクが使っているのはこの赤いギター。門亜は……どれがいいんだろう。初めてだから、ネックがあまり太くない方がいいよね……」
そう言いながら音環はギターを一つ一つ持ち上げては重さとネックの細さを確認していた。そして「うーん、これかなぁ」と言うと音環は「持ってみて」と門亜に渡した。
白い、エナメルのように光るギターだった。門亜はその重みにびっくりした。
「父さんと母さんが置いて行ったギターだから、子ども用のはないんだよ。多分、それが一番軽いやつ。座って練習すれば、重さも大分感じなくなると思う」
赤と白……何かの組み合わせみたいだ。門亜は少し嬉しくなった。
読んでくださりありがとうございます。
今日は第8章を投稿する予定です。
これを載せると残り2章。
感慨深いです。
お付き合いくださりありがとうございます。




