第五話
金曜日の朝、封筒は中段の右端になかった。
財布はもう引き取られていた。
上段は空いている。
中段には、折り畳み傘と、子ども用の手袋が一つ。
下段には、紺色のエコバッグ。
白い封筒だけが、局長の机の上に置かれていた。
透明な袋のまま。
赤いテープのまま。
「警察へ出す前に、確認しておく」
局長はそう言って、遺失物の控えを一枚出した。
私は三番窓口の準備をした。
釣銭トレー。
料金表。
ボールペン。
量り。
二十五グラムの線。
九時に自動ドアが開いた。
番号札の音が鳴る。
窓口の一日が始まった。
封筒は、奥の机にあった。
十時半、局長が私を呼んだ。
「保管分類、これでいいと思うか」
控えには、拾得物、と印字されていた。
品名。
白い封筒。
特徴。
宛名・差出人なし。
現金等。
不明。
局長のボールペンは、その不明の横で止まっていた。
「中身を確認しないと、現金かどうかはわからない」
「開けますか」
局長はペンを置いた。
「開ける理由がいる」
私は封筒を見た。
袋の中で、角の折れ目がこちらを向いている。
「理由はありますか」
局長は答えなかった。
電話が鳴った。
局長は受話器を取った。
私は控えの紙を見た。
拾得物。
郵便物。
遺失物。
どの欄にも、ぴったり入らなかった。
昼前、佐野さんが奥へ来た。
「まだある」
「あります」
佐野さんは封筒の袋を持ち上げなかった。
机に置いたまま、赤いテープの端を見た。
「ここ、浮いてる」
私は指で押さえた。
昨日も押さえた場所だった。
「貼り替える?」
佐野さんが言った。
「貼り替えると、開けたみたいになります」
「そうか」
佐野さんはテープから手を離した。
赤い端は、また少し浮いた。
午後一時、警察へ渡す拾得物の袋が三つ並んだ。
財布。
エコバッグ。
折り畳み傘。
封筒は入れなかった。
局長は一覧表にチェックを入れた。
「これは、もう少し局で保管する」
誰も理由を聞かなかった。
私は封筒を遺失物棚に戻した。
上段。
右端。
透明な袋の赤いテープを、棚の奥へ向けた。
客からは見えない向き。
三時前、時計店の店主が店の前のシャッターを半分下ろした。
雨が降り始めていた。
細い雨。
薬局の幟が濡れて、色が濃くなっている。
二時五十八分。
私は上段の封筒を見た。
見えない向きに置いたはずなのに、白い紙の端だけが棚のガラスに映っていた。
三時。
自動ドアは開かなかった。
代わりに、電話が鳴った。
佐野さんが取った。
「はい、駅前郵便局です」
私は封筒の映り込みを見ていた。
佐野さんの声が少し低くなった。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
私は振り向いた。
佐野さんはメモ用紙を取った。
「はい。白い封筒、ですか」
局長が奥から出てきた。
佐野さんは電話を肩に挟み、メモに何かを書いた。
「宛名は、ありません」
受話器の向こうの声は聞こえない。
佐野さんは私を見た。
「差出人も、ありません」
局長が手を出した。
佐野さんは受話器を渡した。
「局長の高村です」
私は上段から封筒を出した。
透明な袋の中。
白い紙。
赤いテープ。
局長は電話を聞いていた。
「中身は確認しておりません」
少し間があった。
「はい。確認できません」
局長はメモ用紙を引き寄せた。
「お心当たりがある場合は、窓口で確認をお願いします」
また間。
「本日ですか」
私は封筒を机に置いた。
佐野さんが、メモの端を指で押さえていた。
局長は時計を見た。
三時六分。
「承知しました」
電話は切れた。
メモには、名前が書かれていなかった。
ただ、時間だけがあった。
十五時二十分。
局長は受話器を戻した。
「来るそうだ」
「誰がですか」
「封筒に心当たりがある人」
佐野さんがメモを見た。
「名前は」
「言わなかった」
私は封筒を持った。
遺失物棚に戻そうとして、やめた。
局長の机に置く。
そこでもなかった。
三番窓口のカウンターに置いた。
客側ではない。
職員側。
量りの横。
二十五グラムの線のそば。
三時二十分。
自動ドアが開いた。
入ってきたのは、黒い傘を畳む女性だった。
年は、私の母より少し上くらい。
濡れた傘の先から、床に水が落ちた。
女性は番号札を取らなかった。
三番窓口の前で止まった。
床の「お」の字を避けて。
私は封筒を見た。
女性も、封筒を見た。
手は出さなかった。
「これですか」
私が言うと、女性は首を横に振った。
それから、もう一度封筒を見た。
「わかりません」
雨の音が、自動ドアの向こうで続いていた。
女性の傘から、水がもう一滴落ちた。
封筒は、量りの横にあった。




