第二話
翌朝、記録簿の品名欄には、白い封筒、と書かれていた。
宛名のない、は書かなかった。
拾得場所は三番窓口内側。
拾得時刻は十七時二十一分。
拾得者の欄に、私の名前。
封筒は透明な袋に入れられ、遺失物棚の上段に置かれていた。袋の口は赤いテープで留めてある。テープの端が少し浮いていた。
私はそれを押さえた。
押さえただけだった。
九時に窓口が開いた。
最初の客は年金の書類を持った女性だった。次に、切手を一枚買う男性。十時前には、小包の宛名を間違えた人が来た。
三番窓口の下に、昨日の布巾の湿り気は残っていなかった。
床のシールだけがあった。
お待ちください。
青い「お」の字。
老人の右足の跡はない。
昼休み、私は奥の端末で過去の窓口履歴を開いた。
郵便物を受け付けた記録。
切手販売の記録。
現金書留。
ゆうパック。
普通郵便の料金計算。
検索欄に、三番窓口。曜日を火曜と金曜。時間を十四時五十分から十五時十分。
画面に、同じ行が並んだ。
三月三日、十五時〇一分。料金照会。
三月六日、十五時〇〇分。料金照会。
三月十日、十五時〇二分。料金照会。
三月十三日、十五時〇一分。料金照会。
受付番号はない。
引受番号もない。
郵便物の種類も確定していない。
ただ、重さだけが残っていた。
二十五グラム。
二十五グラム。
二十六グラム。
二十五グラム。
画面の右端には、取消、の文字が続いていた。
私はスクロールした。
去年の秋まで遡っても、同じだった。
火曜。金曜。午後三時。
料金照会。
取消。
料金照会。
取消。
「何見てるの」
佐野さんが弁当の包みを持って、私の後ろに立っていた。
「昨日の封筒です」
「開けた?」
「開けてません」
佐野さんは小さくうなずいた。それから画面をのぞいた。
「あの人、いつもそうだったよ」
「佐野さんも覚えてますか」
「覚えるよ。毎回、同じ時間だったから」
佐野さんは弁当の包みを机に置いた。水色の布。結び目が少し固そうだった。
「最初は、書き方がわからないのかと思った」
「宛名ですか」
「ううん。出し方」
佐野さんは、割り箸の袋を破らずに持っていた。
「でも、料金はちゃんと聞くの。何円ですって言うと、小銭も出す。そこまでやって、やめる」
「いつからですか」
「私が貯金に移る前から」
「何年前ですか」
佐野さんは、天井のほうを見た。
「四年、かな」
端末の画面は、去年の秋で止まっていた。
四年。
記録の保存期間より前。
「名前は」
「聞いたことない」
「住所も」
「ない」
「誰かと来たことは」
佐野さんは首を横に振った。
「いつも一人」
奥で電子レンジが鳴った。休憩室から、誰かの笑い声が少しだけ漏れた。
佐野さんは割り箸の袋を机に置いた。
「でも一度だけ、手を振ったことがある」
私は画面から目を離した。
「誰にですか」
「外」
佐野さんは窓口のほうを指した。
「ガラス越しに。あそこから」
三番窓口の向こうには、駅前通りがある。薬局の幟。パン屋。古い時計店。横断歩道の信号。
「相手は見ましたか」
「見てない。私、その時は通帳返してたから」
佐野さんは言ってから、弁当の包みを開いた。
「でも、その日は出したのかなって思った」
「何を」
「封筒」
私は端末の履歴を、その日のあたりまで戻した。
月初めの金曜。
十五時〇〇分。
料金照会。
取消。
その下に、十五時三分。
切手販売。
八十四円。
私は画面に指を近づけた。
触れなかった。
「切手を買ってます」
佐野さんが箸を止めた。
「貼った?」
「記録には残りません」
「そうか」
その日の引受記録を検索した。
十五時から十五時半。
三番窓口。
該当なし。
私は別の画面を開いた。日報。現金差異。販売内訳。
八十四円切手一枚。
それだけだった。
午後、局長にも聞いた。
局長は認印を押す手を止めた。
「あの人が何か出した記録はないはずだ」
「確認しました」
「ないだろ」
「はい」
局長は朱肉のふたを閉めた。
「でも、来ていた」
「はい」
「それも記録か」
局長は窓口のほうを見た。
三時になった。
自動ドアは開かなかった。
番号札の機械が一度鳴った。若い男性が封筒を持って入ってきた。履歴書在中、と赤い字で書かれている。
私は重さを量った。
料金を伝えた。
男性は財布を出した。
その動作の途中で、私は遺失物棚を見た。
透明な袋。
白い封筒。
赤いテープ。
若い男性は料金を払った。
私は切手を貼った。日付印を押し、受け取り箱に入れた。
音がした。
確かに受け取った音。
三時十二分。
私は端末の履歴をもう一度開いた。
昨日の日付。
十四時五十分から十五時十分。
何もなかった。
料金照会もない。
取消もない。
空白。
その空白の下に、五時二十一分の遺失物記録だけがあった。
白い封筒。
拾得場所、三番窓口内側。
私は画面を閉じた。
遺失物棚の透明な袋は、蛍光灯の下で少し光っていた。
出されなかった日の記録だけが、残っていなかった。




