第九話「壊しに来る女」
ドアのベルが鳴った瞬間、空気が変わった。
いつもの音のはずなのに、少しだけ鋭く響く。
藤村要は無意識に振り返る。
入ってきたのは、一人の女。
ヒールの音が、ゆっくり床を叩く。
背筋が伸びている。
目線はまっすぐ。
迷いがない。
(……なんや、この人)
直感で分かる。
“普通じゃない”
視線が合う。
一瞬。
それだけで、空気が動く。
「久しぶり」
女が言う。
カウンターの奥に向かって。
ようこだ。
「……ほんまに久しぶりやな」
ようこが少しだけ笑う。
でも、その笑いはいつもと違う。
「生きてたんや」
「失礼やな」
女――なおみが軽く返す。
そのまま、カウンターに近づく。
迷わず、要の隣に座る。
距離が、一気に詰まる。
ようことは逆側。
挟まれる形になる。
(……なんでここやねん)
逃げ場がない。
「初めまして、やんな?」
なおみがこちらを見る。
目が強い。
でも、どこか余裕がある。
「……藤村です」
少し遅れて答える。
「なおみ」
短く名乗る。
それだけで、空気を持っていく。
「最近の人?」
ようこに聞く。
「まあ、そんな感じ」
軽く返す。
でも、視線は要から外さない。
「へえ」
なおみが少しだけ笑う。
「ええやん」
その一言に、何か含まれている。
「トラック乗りやろ?」
急に言われる。
「……なんで分かるんですか」
「雰囲気」
即答だった。
適当なのに、外れてない。
「長距離?」
「……はい」
「しんどそうやな」
言いながら、グラスを受け取る。
氷を鳴らす。
その動作一つで、場の空気が変わる。
「でも、そういう人ってさ」
なおみが続ける。
「意外とハマるんよな」
「……何にですか」
「こういうのに」
ちらっと、ようこを見る。
その視線が、まっすぐすぎる。
(……やばい)
直感で分かる。
この人は、止まらない。
ようこが、少しだけグラスを回す。
何も言わない。
でも、静かに見ている。
「藤村さん、やっけ」
なおみがこちらを見る。
「はい」
「どこまで行ってんの?」
距離が近い。
自然に詰めてくる。
「……関東まで」
「へえ、ええやん」
軽く言う。
でも、その目は笑っていない。
「じゃあさ」
少しだけ身を乗り出す。
距離が、さらに近くなる。
「こういうとこ、どこまで来てるん?」
一瞬、言葉の意味が遅れる。
でも、すぐに分かる。
「……」
答えられない。
「ほら」
なおみが笑う。
「顔に出てるで」
完全に見透かされている。
ようこが、そこで初めて口を開く。
「なおみ」
静かな声。
でも、止める感じではない。
「やりすぎ」
「別にええやん」
あっさり返す。
「減るもんちゃうし」
その言い方が、軽い。
でも、重い。
「この人さ」
なおみが続ける。
「まだ途中やろ」
要を見る。
逃げ場がない。
「……」
否定できない。
「ええやん、それで」
ようこが言う。
「途中でも」
その言葉に、なおみが少しだけ笑う。
「甘いな」
一言。
空気が、少しだけ張る。
「途中のままやと、どっちも逃げるで」
なおみが言う。
グラスを置く。
音が、やけに響く。
「はっきりせんやつは、結局何も残らん」
その言葉は、まっすぐだった。
ようことは違う。
優しさはない。
でも、嘘もない。
「……」
要は何も言えない。
どの言葉も、どこか当たっているから。
「なあ」
なおみが、さらに近づく。
肩が、はっきり触れる。
ようこと同じくらい。
でも、違う。
押し方が、強い。
「選べへんのやったら」
低く言う。
「選ばせたろか?」
その一言で、空気が変わる。
ようこの視線が動く。
初めて、はっきりと。
「やめとき」
静かに言う。
でも、その声には少しだけ強さがある。
「なんで?」
なおみが笑う。
「おもろいやん」
楽しんでいる。
完全に。
「藤村さん」
名前を呼ばれる。
真正面から。
「どうする?」
逃げ場はない。
右にようこ。
左になおみ。
頭の中に、れいかの静かな声。
全部が、一気に来る。
「……」
言葉が出ない。
でも――
ここで逃げたら、終わる。
(……)
喉が乾く。
「……まだ」
やっと出た声。
「決められません」
正直だった。
全部含めて。
なおみが一瞬だけ止まる。
それから――
笑う。
「ええやん」
楽しそうに。
「一番おもろいとこやん」
ようこは何も言わない。
ただ、静かに見ている。
その視線が、一番重い。
「ほな」
なおみが立ち上がる。
「もうちょい遊ぼか」
軽く言う。
でも、その一言で――
何かが完全に動き出した。




