表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アラフォードライバー、夜の街で恋を知る 第一章 何もない日々  作者: こうた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/16

第六話「言えない距離」

店のドアを開けたとき、少しだけ躊躇した。

理由は分かっている。

でも、来ない理由もなかった。

藤村要は、いつもよりゆっくりと中に入る。

カウンターの端。

自然と、同じ席に座る。

「いらっしゃい」

マスターの声は変わらない。

その変わらなさが、逆に落ち着かない。

グラスが置かれる。

氷の音。

(……いつもと同じやのに)

中身だけが違う。

数日前とは、確実に。

ようこのことを考えないわけがない。

あの夜のことも。

触れた感覚も。

「……」

無意識に、手を見る。

少しだけ、力が入る。

そのとき――

「こんばんは」

静かな声。

横を見る。

れいかだった。

前と同じ場所。

でも、前とは違う空気。

「……こんばんは」

要は少しだけ遅れて返す。

れいかは軽く頭を下げて、隣に座る。

距離は、少しだけある。

ようことは違う。

でも――

その距離が、逆に意識に残る。

「よく来るんですね」

れいかが言う。

「……最近は」

曖昧に答える。

それ以上は言わない。

言えない。

「そうなんですね」

それだけ。

深く聞かない。

でも、何も気にしていないわけでもない。

沈黙が落ちる。

静か。

でも、前とは違う。

どこか、探るような空気。

「この前は、すみませんでした」

れいかが小さく言う。

「え?」

「途中で帰ってしまって」

「ああ……」

何て返していいか分からない。

「……大丈夫です」

それしか言えない。

れいかは少しだけ頷く。

グラスに視線を落とす。

その横顔が、やけに静かで。

「……あの人、来てないんですね」

ぽつりと言う。

ようこのことだと、すぐ分かる。

「……今日は」

言葉を濁す。

嘘はついていない。

でも、全部は言っていない。

れいかはそれ以上聞かない。

ただ、小さく「そうですか」と言う。

その距離が、少しだけ痛い。

(……なんやこれ)

落ち着かない。

ようこといるときとは違う。

触れていないのに、

こっちの方が、意識する。

「藤村さんって」

れいかがゆっくり言う。

「優しい人ですね」

「……いや」

すぐに否定する。

「そんなことないです」

「そうですか?」

少しだけ、こちらを見る。

真っ直ぐな視線。

逸らしたくなる。

でも、逸らせない。

「優しい人って、ちゃんと迷うと思うんです」

静かな声。

でも、芯がある。

「……」

何も言えない。

言われていることが、分かるから。

「無理しなくていいと思います」

れいかはそう言って、視線を外す。

「こういう場所って、いろんな人いますし」

軽く笑う。

でも、その笑いはどこか寂しい。

「……」

要はグラスを持つ。

手が少しだけ冷たい。

でも――

さっきとは違う意味で。

「私、人見知りなんです」

れいかが言う。

「だから、こういう場所もあんまり来ないんですけど」

少しだけ間を置く。

「藤村さんとは、話しやすいです」

その言葉に、少しだけ胸が動く。

「……そうですか」

それしか言えない。

でも、その一言で、何かが揺れる。

ようこといるときとは違う感覚。

静かで、

ゆっくりと入ってくる。

そのとき――

ドアのベルが鳴る。

空気が変わる。

振り返らなくても分かる。

「来てたんだ」

ようこの声。

一瞬で、全部が繋がる。

「……」

何も言えない。

れいかも、ゆっくりと顔を上げる。

ようこがカウンターに近づく。

視線が、二人をなぞる。

一瞬だけ。

でも、十分すぎる。

「隣、いい?」

前と同じ言葉。

でも、前より重い。

「……どうぞ」

要は答える。

ようこが座る。

距離が、一気に近くなる。

さっきまでの空気が、崩れる。

れいかは何も言わない。

でも、グラスを持つ手が、少しだけ強くなる。

「今日は、賑やかやね」

ようこが軽く言う。

その声が、やけに静かに響く。

(……やばいな)

分かる。

これは――

ただの会話じゃ終わらない。

グラスの氷が、またひとつ鳴る。

その音が、やけに大きく聞こえた。

ようこは、何もなかったみたいに座っている。

でも、何もないわけがない。

距離が、近い。

腕が触れるか触れないか――

いや、少しだけ触れている。

避けようと思えば、避けられる距離。

でも、避けない。

(……)

れいかは、少しだけ視線を落としている。

グラスを見ている。

でも、意識はここにある。

分かる。

「藤村さん」

先に口を開いたのは、れいかだった。

静かに、でもはっきりと。

「この前の話、覚えてますか」

「……」

一瞬、言葉に詰まる。

「……少しは」

曖昧に答える。

ようこが、そのやり取りを見ている。

何も言わずに。

「慣れって、怖いっていう話」

れいかは続ける。

「私、あれからちょっと考えてたんです」

グラスに指を添える。

「慣れる前に、やめた方がいいこともあるのかなって」

その言葉に、空気がわずかに変わる。

ようこの指が、ほんの少し動く。

要の手に、触れる。

軽く。

でも、はっきりと。

「例えば?」

ようこが、静かに割って入る。

声は穏やか。

でも、逃げ場はない。

れいかは少しだけ顔を上げる。

ようこを見る。

視線が、ぶつかる。

「……曖昧な関係、とか」

そのまま言う。

はっきりと。

ようこは一瞬だけ黙る。

ほんの、短い間。

でも、その沈黙が一番重い。

「曖昧かな」

ようこがゆっくり言う。

軽く、グラスを回す。

「私は、そんなつもりないけど」

その言葉と同時に――

指が、少しだけ強く絡む。

要の手に。

逃がさないように。

(……)

心臓の音が、やけに大きい。

どっちも、間違っていない。

でも、どっちにも行けない。

「藤村さんは?」

れいかが、こちらを見る。

まっすぐ。

逃げられない視線。

「……」

答えないといけない。

でも、言葉が出ない。

ようこの手の温度。

れいかの視線の静けさ。

両方が、同時に来る。

「……まだ」

やっと出た言葉。

「よく分からないです」

正直だった。

誤魔化していない。

でも――

それが一番、中途半端だった。

ようこの指が、一瞬だけ止まる。

でも、離さない。

「そっか」

短く言う。

感情は見せない。

でも、さっきより少しだけ距離が近くなる。

「じゃあ、分かるまで側におる」

静かに言う。

逃げ道を塞ぐように。

れいかは、そのやり取りを見ている。

何も言わない。

でも、その目が少しだけ揺れる。

「……私は」

れいかが口を開く。

声は小さい。

でも、はっきりしている。

「無理に選ばなくていいと思います」

ようこが、ほんの少しだけ視線を動かす。

「ただ――」

れいかは続ける。

「自分で決めないと、ずっとそのままになりますよ」

静かな言葉。

でも、刺さる。

要は、何も言えない。

どちらの言葉も、分かるから。

「……今日は帰ります」

れいかが立ち上がる。

グラスを置く。

音が、やけに響く。

「お疲れ様です」

要に向けて、小さく言う。

「……はい」

それしか返せない。

れいかは一瞬だけようこを見る。

何も言わない。

でも、その一瞬に全部入っている。

そのまま、店を出る。

ドアのベルが鳴る。

静かになる。

残るのは――

近すぎる距離と、言葉にならない空気。

「……困ってるやん」

ようこが小さく笑う。

でも、その声は少しだけ低い。

「……はい」

正直に言う。

「分かりやすいな」

そう言って、指がゆっくり離れる。

今度は、完全に。

さっきまであった温度が、急に消える。

「でも」

ようこが続ける。

グラスを持ちながら。

「逃げるのは、あかんで」

その言葉が、静かに残る。

「中途半端、一番嫌いやから」

視線が合う。

逸らせない。

「……はい」

短く答える。

ようこは小さく頷いて、

「今日は帰るわ」

とだけ言った。

あっさりしている。

でも、その軽さが逆に重い。

立ち上がる。

「またね」

振り返らずに言う。

ドアが開く。

閉まる。

完全に、一人になる。

要はグラスを見る。

氷が、ゆっくり溶けている。

(……どうするんやろな)

答えは、まだ出ていない。

でも――

出さないままでは、いられない。

そんな気がした。

第6話終了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ