第五話「帰らない夜」
店を出たあとも、手は離れなかった。
指が絡んだまま、歩く。
夜の空気は少しだけ冷えているのに、触れている部分だけが妙に熱い。
「車、どっち?」
ようこが聞く。
「……あっちです」
少し歩いた先の駐車場を指す。
歩き出す。
ゆっくりと。
会話はない。
でも、沈黙は重くない。
むしろ――
言葉にしない方が、はっきりしている。
(……戻られへんな)
頭のどこかで思う。
でも、足は止まらない。
車の前で立ち止まる。
鍵を出す。
でも、開ける前に――
「ねえ」
ようこが呼ぶ。
振り返る。
距離が、近い。
さっきよりも、はっきりと。
「今日、帰る?」
同じ言葉。
でも、前とは意味が違う。
「……」
答えは、分かっている。
でも、すぐには出せない。
ようこは急かさない。
ただ、待つ。
その待ち方が、逃げ場をなくす。
「……帰りません」
ゆっくりと答える。
ようこが小さく息を吐く。
「そっか」
そのまま、一歩近づく。
背中が、車に当たる。
完全に、逃げ場がなくなる。
「ちゃんと、決めてる?」
静かに聞かれる。
「……はい」
嘘はない。
迷いも、ほとんどない。
ようこは少しだけ目を細めて――
そのまま、唇を重ねる。
今度は、止まらない。
短くない。
さっきより、深い。
息が重なる。
指が、さらに強く絡む。
身体が、自然と引き寄せられる。
(……やばい)
頭がうまく回らない。
でも、離れる気はない。
むしろ――
離したくないと思っている。
唇が離れる。
ほんの少しだけ。
でも、距離はそのまま。
「……ほんまに、いいんやね」
確認する声。
低くて、近い。
「……いいです」
はっきりと言う。
ようこは一瞬だけ目を伏せて、
「じゃあ」
と小さく言う。
そのまま、手を引く。
車のドアが開く。
自然な流れ。
止める理由が、もうない。
二人で乗り込む。
ドアが閉まる。
外の音が、遮断される。
急に、静かになる。
狭い空間。
逃げ場はない。
隣にいる。
さっきよりも、ずっと近い。
「……狭いね」
ようこが小さく言う。
「……はい」
それしか言えない。
距離が、近すぎる。
意識しない方が無理だった。
「でも」
ようこが、少しだけ顔を寄せる。
「嫌じゃないでしょ」
「……はい」
正直に答える。
その瞬間――
また唇が重なる。
今度は、ゆっくりと。
逃げる隙を与えない。
手が、肩に触れる。
力は強くない。
でも、はっきりとした意思がある。
要も、自然に手を伸ばす。
どこまで触れていいのか分からない。
でも、止まらない。
触れる。
そのたびに、距離が消えていく。
(……こんなん、久しぶりや)
思考が、途切れ途切れになる。
ようこが少しだけ笑う。
「ほんまに慣れてないね」
からかうような声。
でも、優しさがある。
「……すいません」
「謝らんでいい」
そのまま、額が触れる。
呼吸が重なる距離。
「そのままでいい」
静かに言う。
その言葉で、力が抜ける。
無理に何かしようとしなくていい。
ただ、近くにいるだけでいい。
でも――
それだけじゃ、終わらない。
時間が、ゆっくりと進む。
言葉はほとんどない。
でも、距離は確実に縮まっていく。
外の夜は、そのまま続いている。
中の時間だけが、少しだけ違う流れになっていた。
どれくらい時間が経ったのか分からない。
気づけば、要はシートにもたれていた。
呼吸が、少しだけ乱れている。
隣に、ようこがいる。
距離は、まだ近いまま。
「……変わったね」
ようこがぽつりと言う。
「え?」
「最初に会ったときより」
少しだけ笑う。
「ちゃんと、踏み込んできた」
その言葉に、少しだけ胸が動く。
「……分からないままです」
正直に言う。
「それでいいよ」
ようこは軽く言う。
「分かってる人の方が、つまらんし」
そのまま、視線を外す。
「ただ――」
少しだけ間を置いて、
「中途半端は、やめてね」
静かに言う。
その意味は、分かる。
「……はい」
短く答える。
ようこは頷いて、
「じゃあ、今日はここまで」
とだけ言った。
あっさりしている。
でも、それが逆に残る。
ドアを開ける。
夜の空気が戻ってくる。
さっきまでの熱が、少しだけ引く。
「またね」
ようこが言う。
「……はい」
要は答える。
その一言で、
もう戻れないことが、はっきりした。
ここで第5話終了。




