第十四話「逃げないために」
店の前で、足が止まる。
ここに来るのは、もう何度目か。
でも――
今日が一番、重い。
(……ちゃんと決めてから来て)
ようこの言葉が、頭に残っている。
それでも、来た。
決まっていないままじゃない。
逃げないために。
ドアに手をかける。
少しだけ、迷う。
でも、そのまま押す。
ベルが鳴る。
店の空気。
カウンター。
ようこがいる。
一人で、グラスを持っている。
視線が合う。
逸らされない。
「……来たんや」
静かに言う。
「……はい」
短く答える。
前みたいな軽さはない。
でも、逃げていない。
「決めた?」
すぐに聞かれる。
無駄な会話はない。
「……まだ全部じゃないです」
正直に言う。
でも、続ける。
「でも、逃げるのはやめました」
ようこが、少しだけ目を細める。
そのまま、こちらを見る。
「どういうこと?」
「……ちゃんと話したくて」
ゆっくり言う。
「中途半端なまま来るの、やめようと思って」
その言葉に、少しだけ空気が動く。
ようこは何も言わない。
でも、聞いている。
「……俺」
言葉を選ぶ。
でも、逃げない。
「ようこのこと、必要やと思ってます」
前と同じ言葉。
でも、今度は続ける。
「でも、それだけじゃ足りんとも思ってます」
ようこの指が、ほんの少し止まる。
「……」
「ちゃんと、好きって言えるかって言われたら」
一瞬、詰まる。
でも、目を逸らさない。
「まだ分かりません」
はっきり言う。
空気が、静かに張る。
でも――
逃げていない。
ようこはしばらく何も言わない。
グラスを持つ手も動かない。
「……正直やな」
ぽつりと言う。
「はい」
「前よりはマシやな」
少しだけ笑う。
でも、その笑いは優しい。
「……れいかには?」
突然聞かれる。
「……全部話しました」
「なおみは?」
「……関わってます」
隠さない。
全部出す。
ようこは小さく息を吐く。
「ほんまに、めんどくさい男やな」
その言い方が、少しだけ柔らかい。
「……すいません」
「謝らんでええ」
すぐに返される。
「そういう問題ちゃうし」
沈黙が落ちる。
でも、逃げない。
「……どうするん?」
ようこが聞く。
前と同じ問い。
でも、今は違う。
「……決めます」
はっきり言う。
「時間かかっても」
その言葉に、ようこの視線が少しだけ変わる。
「逃げずに」
続ける。
「ちゃんと決めて、また来ます」
その一言で、空気が止まる。
ようこは、じっとこちらを見る。
長い時間。
何も言わない。
「……ほんまに?」
小さく聞く。
「……はい」
迷わず答える。
ようこは、少しだけ目を伏せる。
それから――
小さく笑う。
「そっか」
それだけ。
でも、その一言に色んな感情が混ざっている。
「じゃあ」
グラスを置く。
音が静かに響く。
「それまで、触らんとくわ」
はっきり言う。
その言葉が、少しだけ刺さる。
「……はい」
受け止めるしかない。
「その代わり」
少しだけ顔を上げて、
「ちゃんと戻ってきて」
まっすぐ言う。
逃げ道はない。
「……はい」
もう一度、頷く。
ようこはそれで満足したみたいに、軽く息を吐く。
「今日はそれでええわ」
あっさり言う。
でも、その軽さが救いになる。
「……ありがとうございます」
思わず出る。
ようこが少しだけ笑う。
「まだ早い」
そう言って、グラスに視線を戻す。
会話はそこで終わる。
でも――
前とは違う終わり方だった。
逃げていない。
曖昧なままでもない。
ただ、“途中”として立っている。
店を出る。
ベルが鳴る。
夜の空気。
少しだけ軽い。
「……」
深く息を吐く。
まだ何も終わっていない。
でも――
ちゃんと進んでいる。
そんな感覚があった。




