【③-1/3】【09】蒐さんに相談
運転席から降りると、八月の日差しが容赦なく魁達を照り付けた。
「にゃあ?」
思った程は暑くはなかったようで、猫状態の雪乃が意外そうな声を上げる。
「東北で、しかも山の中だからな。
もう少し経って八月下旬になると大分涼しいし、夜なんか肌寒いくらいだぞ。
むしろ、都会の暑さの方が異常なんだ」
ここは真夏でも涼しく、まるで荘厳な冷気が漂っているかのようにさえ感じる。
「にゃ~」
雪乃は、なるほど、といった様子で、頭と太い尻尾を同時に上下させた。
猫状態でも雪乃の尻尾は二本なのだが、正体がばれないように、くっつけて一本のように見せている。
猫又の長の助言に従って叔母の蒐に連絡を取ったところ、
「アタシはここんとこ暇なんで、日付はアンタの都合で決めな。場所は、実家がいいね。色々と都合がいい」
とのことで、魁の実家にやってきた。
年始には雪乃と一緒に帰省したが、夏に帰省するのは久々だった。
魁の実家は、奥羽山脈の山中にある【赤神神社】である。
山奥にあるとは思えない程、広い敷地と大きな本殿がある神社だ。
交通の便が悪い立地であるにも関わらず、お祓いなのか祈祷なのか、客人は多い。
ただ、魁の部屋は母屋ではなく、家に幾つかある"離れ"の一つだったので、魁自身が客人と会うことは、殆ど無かった。
「ただいまー」
ガラガラと派手な音を立てて母屋の玄関にある引き戸を開け、魁が広い玄関へと足を踏み入れると、
「来たね」
腕を組んだ蒐が、玄関の中央で待ち受けていた。
「……一番奥の座敷に来な。
"チビ達"には、まだ聞かせらんない話だからね」
魁へそう告げると、雪乃に向けて探るような視線を投げ、腕組みをしたまま家の奥へ入っていった。
"チビ達"とは、魁の兄の子供達のことだ。
赤神 蒐 五四歳、独身。
魁の叔母で、魁の父親の妹だ。
身長一八〇㎝弱、鍛え上げられた細身の体で、艶のある長い黒髪を後ろで束ねている。
シャープで凛々しい顔立ちは男性よりも女性に好かれるタイプ。
"魁の姉"と説明されてもそれ程違和感がなく、張りがあって若々しい容姿だ。
赤神家伝統の合気道と杖術はもちろん、他にも色々な格闘技などを体得している。
魁はこの叔母と幾度となく手合わせをしてきたが、未だに一度も勝ったことがない。
「にゃあ……」
首をすくめ、魁の首にしがみつく雪乃。
「わざわざ長様が会えって言ったんだから、大丈夫だろう」
魁は奥の方へ目を向けたまま、肩の上に座った雪乃の背を静かに撫でる。
駐車場からの距離が短かったので、今日は魁の肩に腰かける"すわり式"である。
ちなみに、いつもの首に巻き付く方式は"くるり式"だ。
「……にゃん!」
雪乃は一つ頷き、肩の上で背筋を伸ばしてから身を震わせた。
「ああ。シャキッとして行こう。
おどおどしてると、庭の端まで投げ飛ばされるぞ」
そんな話をしながら、荷物を手に家の奥へと向かう。
いつもなら母が出迎えてくれて、まずは居間に行くところだ。
母が出て来なかったことを考えると、叔母のところへ直行しろ、という事なのだろう。
父母や兄夫婦が生活するのは、奥座敷とは反対側である。
今は空き部屋が並ぶ奥座敷側に向かっているので、聞こえてくるのは蝉の声くらいのものだ。
魁と雪乃は、玄関から続く長い廊下を進む。
右へ左へと何度か角を曲がった先の一番奥にある部屋が、目的の奥座敷である。
魁は目的の部屋の近くまで来たところで足を止め、
「場を中座するより、初めから獣人の姿で入った方がいいな」
と、近くの座敷へ入る。
「にゃあー」
返事を返した雪乃は魁の肩から降りる。
部屋に入った魁は、鞄からデニム生地のワンピースを取り出し、畳の上に座る雪乃へ被せるように上から垂らした。
淡い青色で、袖は無い。
腰の上にはリボンがあり、ウエストを絞れるようになっている。
「いいぞ、雪乃」
声を掛けると、垂らした服の内側が膨らみ始める。
初めに、腕を通す穴から前足が現れた。
まだ"手"に変化しきれていない。
服の内側では、バンザイの体勢で変化しているのだろう。
蒼く美しい瞳が首を通す穴から覗く。
頭が通ると耳がぴょこりと立ち、体全体が徐々に膨張し始める。
本来は一瞬で変化できるのだが、頭や腕を服に通しながらゆっくりと変化しているのだ。
服の背中側にある腰の上の穴から二本の尻尾を出して、獣人への変化が終わった。
当然、既製品の服には尻尾の穴など無いので、魁がちくちくと手縫いで加工したのだ。
被毛を硬く変化させることで体の各部位を固定できるため、下着は付けなくてもいいらしい。
最後に、魁が腰のリボンを結んであげれば、雪乃の着替えは完了だ。
魁は一歩離れ、獣人への変化を終えた雪乃の全身を眺める。
「よし。世界一かわいいぞ」
魁の口調は普段と何一つ変わりない。
自然に発せられた言葉である。
雪乃は一時表情を明るくするも、少し表情が硬い。
「にゃー……でも、やっぱりドキドキするよー……」
蒐とは今年の正月に猫の姿で会っている。
だが、魁以外の人間に獣人の姿を見せるのは初めてだ。
しかもそれが魁の親族とあっては、緊張するのも無理はない。
「心配するな。大丈夫だ。大丈夫」
落ち着きなく腰のリボンを触っていた雪乃の手を、そっと握る魁。
「何があっても、ずっと一緒だ。行こう」
「うんっ、がんばるっ!」
部屋を出て奥座敷へ向かう魁。
魁に続いて歩む雪乃は、小声で何かを繰り返し呟いていた。
目指す一番奥の座敷は、廊下側の障子が開かれていた。
魁が腰を屈めて部屋に入ると、腕組みした蒐が床の間を背にして正座しており、魁が現れた廊下側へ顔を向けていた。
「いきなり呼び出してすみません」
軽く頭を下げながら蒐の前へ進む魁。
「ん」
魁へと一声返す蒐。
魁のすぐ後から、ワンピース姿の雪乃が姿を見せる。
雪乃は、先程からずっと、俯き加減で何か呟き続けている。
「アンタ。雪乃がいきなり"それ"で来たら、話は終わったようなもんじゃないのかい?」
蒐は特に驚くでもなく、苦笑交じりだった。
「服を着るために中座するより、最初から着替えて行った方がいいかな、と思いまして」
魁も苦笑で返しながら鞄を置き、蒐の前へ正座する。
「ま、いいさ。どういう段取りで話すかは、アンタの自由だしね」
蒐が、まだ立ったままの雪乃へ視線を移した。
雪乃はいつの間にか呟きを止め、緊張の面持ちで背筋をピンと伸ばしていたが、
「雪乃、座――」
魁が座るよう促そうとしたのと同時だった。
流れるような動作でしゃがみ込みながら両手を前に伸ばし、上半身を倒す雪乃。
猫がよくやる、"伸び"の姿勢だ。
雪乃の視線は、その姿勢のまま蒐へと向けられている。
突き上げた腰から伸びる二本の極太尻尾。
真っ直ぐ天井を指し、僅かに震えている。
何事かと、呆気にとられた表情の蒐と魁。
雪乃は"伸び"の姿勢のまま、呪文のような口上を述べた。
「フツツカモノデスガナニトゾヨロシクオネガイイタシマス!」
奥座敷に訪れる沈黙。
(ふつつかものですが なにとぞ―― はっ!)
数秒後、魁は口上の内容を理解した。
だが、魁が雪乃へ声を掛けようとしたところで、苦笑しながら蒐が先に口を開いた。
「そりゃ、嫁入りの口上だよ。
それを言うのは今じゃないし、言う相手はアタシじゃないね。
魁の両親に言うもんだよ」
蒐に指摘され、無言で衝撃を受ける雪乃。
大きく目を見開き、全身の毛を逆立てた状態で固まった。
蒐は苦笑したまま、"伸び"についても言及する。
「それに、それじゃ"伸び"だろう? そういう時は"礼"だよ」
雪乃は、"伸び"の体勢のまま動けずに震え、蒼い瞳は潤んでいた。
「か、魁の実家に行くって長様に報告したら、あいさつを教えてくれて……
その時、両手を突いて、頭を下げるって聞いたんですが……
これ、ちがうんです? ちがうんですね? ごめんなさい……」
逆立っていた被毛が萎んでいき、同時に耳や尻尾までも力なく下がり始める。
「長殿も、抜けたところあんだね。
挨拶の内容を教えても、所作を教えなきゃ片手落ちじゃないか。
……いや、むしろ"礼"を知らないとは思ってなかったのか」
謝りながら萎んでいく雪乃の様子を見て、蒐は目を閉じて肩を揺らす。
「あー、もう、後で教えたげるから。普通に座り直しな?
ちょっと失敗した程度で怒りゃしないよ。
それに、誰も教えてくれなかったんだろ?
知らなくても仕方ないじゃないか」
蒐は少々困ったような表情で、雪乃を介抱するよう魁を促す。
「雪乃、落ち着け。足を折って座ってから、体を起こすんだ」
魁は、雪乃に指示を出しながら正座の形へと導く。
獣人の足は猫と同じような構造で人間とは少し違うため、少々手間取った。
「勘違いだったんだから、気にするな。
蒐さんも、後でちゃんと教えてくれる、って言ってるだろ?」
雪乃の肩を抱き、ぺったりと萎んだ耳に囁く。
「うん……ごめん……」
雪乃はしょんぼりしたままだが、ひとまず落ち着いたようだ。
改めて蒐へ向き直る魁。
「雪乃が大丈夫そうなら、アンタの話を聞こうか」
蒐は、魁と雪乃を交互に見てから頷いた。
「では前置き無しで進めます。
ご覧の通り雪乃が猫又獣人になりました。
それで――」
雪乃と会話できるようになった辺りから、猫又になるまでの経緯を説明した。
蒐は時折頷きながら魁の話を聞いていたが、驚く様子はない。
ただし、"かいちゅ~る"の件は伏せておいた。
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