【①-6/6】【06】大きくなったら何をする?
夢を見ていた。
数日前【特殊調査】で家から出た。
何の連絡もなく一か月間が過ぎていた。
市内で聞き込みをした。事故があったらしい。
事故に遭ったのは……誰だったか。
雨が降った日、家で読書をして過ごした。
梅雨が明けたら海に行ってみたいと、誰かが言っていた気がする。
誰だったかは思い出せない。
休みに城跡公園へ行った。
ベンチで昼食を取り、犬を連れた女性と話した。
展望台から街を眺め、帰宅した。
花見に行った。
賑やかな場所はあまり好きではない。
なぜ、花見になんか行ったのか。
年末年始。
実家に帰り、家族と過ごした。
今年は蒐さんも来ていた。
クリスマスはいつも独りだ。
去年は何をしていた?
裏路地。雨。
仕事の記憶だ。
ふと気づくと、真っ暗な空間だった。
浮いているようにも感じる。
何も見えない。
目を開けているのか閉じているのか、それさえよくわからない。
何度かまばたきをすると、いつの間にか、人間大の白い塊が現れていた。
少なくとも、今は眼を開けているらしい。
「さよなら」
感情のない、冷たい声が聞こえた。白い塊は小さくなった。
「にゃあ」
猫の鳴き声が聞こえた。
そして、白い塊は、煙のように掻き消えた。
「んん……」
目が覚めると、汗だくになっていた。
起き抜けで、まだ頭がはっきりしていない。
「おかしな夢だったな……」
気付けば、昨日帰ってきた時の服装のままだ。
カーテンの隙間から漏れる光が眩しい。
夢の内容を思い出しながらゆっくりとソファーから立ち上がり、窓へと向かう。
(猫又になって襲ってきた雪乃をベッドに押し倒して……
まったく我ながら突拍子もない夢を見たもんだ……
そのうえ、雪乃の存在が消えた世界の夢か……
――諦めるな! 戻って来ないと決まったワケじゃないだろ!)
魁は、弱気になりかけている自分に気づき、窓の前に立って苦笑した。
「雪乃が行方不明になって……もう、一か月以上経ったのか……」
カーテンを開け、朝の光で明るく照らされるリビング。
眩しさに目を細めながら、緑が濃い山に、目を向ける。
遠くに城跡公園が見えた。
もう八月に入ったのだ。
起き上がってカーテンを開けた際、魁の動きに、滞留していた室内の空気が動いた。
同時に、どこからか、ふわりと雪乃の匂いが流れてきた。
その瞬間、魁は現状を理解した。
猫又になって雪乃が襲ってきた。
長とも話した。
試練の"忘れ薬"を飲んだ。
何を忘れるのか聞いのだが、それは忘れた!
夢ではない!
全部昨日の夜だった!
ならば、することはひとつ。
「ゆううううううう
きいいいいいいい
のおおおおおおおおおおおおおおお!」
試練を突破したことを伝える全身全霊の咆哮。
間髪入れず、
「魁いいいいいいいいいいい!!」
二足歩行の巨大な猫、すなわち獣人状態の雪乃がどこからか飛び出してきて、魁をソファーに押し倒した。
「すきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすきすき!」
絶叫しながら、摩擦で火が付くのではないかという程、激しく擦りつく雪乃。
「雪乃!!」
魁も叫び、雪乃を強く抱きしめた。
お互いの存在を確かめるように、しばらくの間抱き合った後、落ち着いた声で、魁が囁く。
「雪乃……」
ぴたり雪乃は動きを止め、魁を見る。
見つめ合う二人。
どちらからともなく目を閉じ、昨日の"約束"通り、いっぱい、した。
約束を果たしてから再び見つめ合うと、雪乃の目に涙が溢れていた。
「かい……かぁぁぁぁぁいぃぃぃぃぃ……みゃあああああああああ」
魁は、泣き続ける雪乃を優しく抱き、落ち着くまで背中を撫でていた。
「――おほん! そろそろ、よろしいですかな」
いつの間にか横のソファーに腰掛けていた長が、存在をアピールした。
魁は、長が居るであろうことを、すっかり忘れていた。
それはもう思う存分ディープに"約束"を果たし、長々と見せつけてしまっていた。
名残惜しいが、今は一旦離れる。
汚れた口元を拭い、姿勢を正して畏まる二人。
「魁殿。まずは、おめでとうございます。
想定外の事態が幾つかありましたが、無事試練を乗り越えられましたな。
これで、魁殿が雪乃と共に暮らすに差し支えはございませぬ」
頷きながら祝辞を述べる長に、頭を下げて応える魁。
「しかし、薬の効果を確認するため、密かに様子を見に来たのですがな。
"忘れ薬"は殆ど……というより、全く効果が無かったようですな。
これは、前代未聞ですぞ。 ――さすがは――」
何度も頷き、顎髭を撫でながら、まじまじと魁を見、ふうむと唸る長。
なにやら感心されているようだが、黙っていても少々居心地が悪い。
自分の身に起きたことが薬の効果なのか、思い当たる節を聞いてみる。
「そういえば、夢を見ました。
雪乃と過ごした日々から、雪乃の存在が消されていて……
最後に何か白いものが何か言って、猫の鳴き声もしました。
その夢を見ながらも、なぜ雪乃が消える夢なんか見るんだ、と思いましたね。
あまりに鮮明な夢だったので、起きてから少しの間は昨日の夜のことも夢と錯覚していましたよ」
「本来、その夢が元の記憶を覆い隠し、元の記憶を思い出せなくなるのですがな……」
長の癖なのか、また、しきりに顎髭を撫でていたが、
「ともあれ、試練を突破したことには違いないですからな。
試練を乗り越えた証をお渡ししましょう」
長が魁の手の甲に触れると、ぼんやりと光が浮かんだ。
よく見ると、その形は、猫の足跡だった。
かわいらしいスタンプだ。
「これは、猫又の試練を突破した証でしてな。
これがあれば、雪乃と暮らしても掟破りとして追われたりはしませぬ。
ま、他にも役立つ事がありましょうが」
説明しながら、雪乃にも証を与えた。
程なく光は消えたが、強く念じると、また光が現れるようだ。
「理解しているとは思いますが、雪乃の事……
ひいては猫又の事を、みだりに話してはなりませんぞ。
雪乃も、わかっておろうな」
魁と雪乃は共に頷き、承諾の意を告げた。
「その証を受けたからには、魁殿の人生は、これまでと違った道を歩むこととなりましょう。
差し当たり、まずは蒐殿とお会いになるのが、よろしいでしょうな」
長が突然、魁の叔母である"赤神 蒐"の名を口にした。
「叔母をご存じなのですか?
……では、叔母も猫又を?」
驚きと共に長へと問いかけるが、長は首を振る。
「そうではありませぬが、関係はありましてな。
蒐殿には、雪乃のことを伝えてもよろしいですぞ。
もっとも、伝えずとも察するか、既に察しておると思いますがな。
蒐殿に会えば、魁殿の疑問も解けましょう」
蒐について触れてから、長は笑って締めくくった。
「では、私は退散致します。
そちらから用がある場合は、雪乃を我々の里へ使いに出してくだされ。
その証があれば魁殿も里に入ることはできますが、人間を嫌う者も居ります。
止むを得ない場合でない限り、魁殿は極力近づかない方がよろしいでしょうな」
長はソファーから立ち上がり、魁へ注意を促した。
「はい、わかりました。ご足労いただき、ありがとうございました」
素直に感謝を述べる魁。
長は何度か頷いて応えてから出口に向かいかけるが、ふと思いついたように向き直った。
「そうそう、そういえば。
魁殿にはまだ、獣人の姿をお見せしておりませんでしたな」
そう口にした次の瞬間、長は老人の姿から獣人の姿へと変化した。
雪乃と同じくらいの体長で、毛並みはクリーム色と茶色の虎毛。
衣服も被毛を変化させて作り出していたのか、獣人姿の長は服を着ていなかった。
「藁という名前は、毛色から思いついたと。
まだ私が猫だった頃、主が言っておりましたな」
人間に化けている間は顎髭の立派な仙人のような老人だったので、獣人の姿も老猫なのだろうと思っていた。
だがその姿は、凛々しくも威厳があり、長と呼ぶに相応しいものだったので、正直なところ少々意外だった。
そして、魁は改めて思った。
やはり猫は美しい、と。
「人間の目に触れる場所では移動に差し支えるので、人間の姿に化けておりましてな。これが本当の姿です」
「しかし、猫の方の姿なら人間に怪しまれることも無いのでは?」
魁の問いに、長は苦笑を漏らす。
「短距離移動なら猫の姿が便利なのですが、長距離の移動には向きませぬ。
猫では、電車やバスに乗れませぬからな。
獣人の姿だと早いことは早いのですが、やはり疲れます。
それに、人目については事ですしな。
座っているだけで目的地まで行けるなら、楽な方がよろしいでしょう?」
そう言って、長は笑った。
「ははは、なるほど」
長につられて、魁も笑う。
人間には存在を秘密にしているのに、楽だからと人間の交通機関を使うという。
それが妙に人間臭くて、おかしかった。
「常識的に考えれば、雪乃はまだしばらく人間には化けられませぬ。
ですが、魁殿と雪乃は常識から外れておりますからな。
突然人間に化けられるようになるやもしれませぬ。
こればかりは、最早私にも、確かなことはわかりませぬ」
言い終えて、今度は猫の姿になった。
穏やかだが貫禄のある、とても立派な猫だ。
獣人姿だけでなく、猫の姿も凛々しくて非常に美しい。
長は一度こちらに顔を向けて二本の尻尾を振った。
そして、その尻尾を一本に纏め、猫用のドアから部屋を出て行った。
きっと駅までは猫の姿で行って、人間の姿に化けてから電車で帰るのだろう。
少しの間、ぼんやりと長の出て行ったドアの方を眺める二人。
「魁……」
雪乃は、更なる隠し玉があるのではと少々緊張していたが、何事もなく試練が終了したので安心したようだ。
魁へ寄りかかり、その腕をぎゅっと抱き込む雪乃。
「ずっと……ずっと一緒なんだよね? 居ていいんだよね?」
「長殿の許可が出たんだ。問題ないだろう」
「んもぅ~ そうじゃなくてぇ~ いじわるぅ~!」
腕を抱き込んだまま、覗き込むような上目遣い。
魁は長と話していたので、思考が試練に向いていた。
では、改めて。
「ずっと俺の傍に居てくれ。
――いや、傍に居ろ。
二度と離れるな」
魁の言葉に目を細め、
「はい。もう二度と、貴方の傍から離れません。 …………うにゃ~」
幸せそうに腕に擦りつく雪乃。
その様子をまじまじと凝視する魁。
魁に見られていることに気付き魁を伺い見ると、魁は慌てて目を逸らした。
「な、なあに……?
どうしたの……?
いま、誓ったばっかりなのに……
なんで、目、逸らすの……?」
少々不安そうな声で、目を逸らした魁の行動について問い詰める。
「改めて雪乃を見たら、その、かなり刺激的な体……いや、姿……なことに気づいてな……思わず、まじまじと見てしまったんだが……雪乃が俺の視線に気づいた瞬間、こう……覗き見がバレたような気になって、思わず目を……」
魁は、照れたような、慌てたような様子で、しどろもどろに答えた。
常人の感覚で言うと、"童貞を殺すセーター"を着た女性を、何気ない素振りを装いつつガン見していたら、相手の女性に気づかれたので慌てて目を逸らした。
といったところか。
「えっ……あっ……」
試練の間は長も居たのであまり気にならなかったが、魁が自分の体を"そういう目"で見ていることに気づいた途端、なんだか恥ずかしくなってきた。
「綺麗で、かわいくて、しかも、刺激的なんて、反則だ……」
雪乃は魁の呟きにびくりと反応し、体を隠すように慌てて魁の体と自分の体を密着させ、魁の胸に顔を埋めた。
「ちょっと恥ずかしくなってきた……でも、嬉しい……うにゃ~」
そして、何度か魁に顔を擦り付けてから、呟いた。
「あのね、答え聞くの怖いから言わなかったけど……
あんまり気に入ってくれないかも~って、ちょっと、思ってた。
体が人間っぽくなったから……」
自分の顔を見られないよう、ぎゅっと魁を抱きしめると、たわわ過ぎる果実が、魁を圧迫する。
「そんな訳ないだろ。どっちも愛しい俺の雪乃だ」
魁の言葉を聞き、抱きついた状態のまま、雪乃は魁を見上げた。
大きな青い瞳は潤み、緊張のためか、耳はぴんと立っている。
「じゃ、じゃあさ、あのさ、体、おっきくなったからさ……」
「その……魁と、ぜんぶ、できる、よね?」
魁の答えを待つ間も、雪乃は魁から視線を外さず見つめ続ける。
「……そう、だな」
魁が、ぎこちなく言葉を返す。
雪乃は大きく目を見開き、その後、柔らかく細められた。
そして雪乃は、最愛の旦那様へ、愛を囁く。
「今夜は、魁に―― ぜーんぶ あげる ねっ?」
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