【⑪-4/4】【42】三日目 リダイヤル
翌朝。
予定通りの時間に起床。
洗顔、髭剃り、軽く髪を整え、食堂へ。
食堂には、既に朝食の準備ができていた。
女将と挨拶を交わし、早速朝食をいただく。
「確認するのを忘れていましたが、チェックアウトは何時ですか?」
「基本は十時ですが、赤神様以外のお客様は居りませんから……
お好きな時間でよろしいですよ?」
「ありがとうございます。お気遣いは嬉しいのですが、あまり長居しても昼になってしまいますし、十時には出発しますね」
滞りなく朝食を済ませた魁は、女将へ頭を下げて食堂を出た。
部屋に戻り、荷造りを開始。
チェックアウトまでまだ時間があるが、直前で慌てるのは避けたい――
とはいえ、バックパックに着替えやらケーブルやらを適当に詰めるだけなので、すぐに終わってしまった。
窓際の"謎の空間"にあるソファーに座り、窓から川を眺める魁。
窓の外に老婆の姿は無い。
「家まで来られると……面倒だな」
今現在姿を現さないのは喜ばしいことだが、今後の懸念もある。
愚痴めいた呟きを口にする。
――幸い、それからは何事も起きず、チェックアウトの時間となった。
浴衣からライダースーツに着替え、玄関横の部屋へ。
女将へチェックアウトする旨を告げると、見送りに出てきてくれた。
「色々とご迷惑をおかけしまして」
玄関で靴を履いてから、女将へ向き直って、一礼。
「いえいえ、こちらこそ。お気をつけてお帰りください」
女将の方も深々と頭を下げて微笑んだ。
「ありがとうございました。 ――それでは」
魁はもう一度軽く頭を下げ、駐車場へ。
フルフェイスのヘルメットを被ってから周囲を確認。
異変なし。
魁は、バイクのエンジン音を響かせながら、旅館を後にした。
――無人の温泉街を抜けると、左手に"旧道"へ続く道。
魁は"旧道"の方へは左折せず、"本道"を直進した。
"旧道"を通って、この温泉地にやってきたものの、"旧道"はあまりにも路面状況が悪過ぎた。
帰りは"本道"を西に抜けて別のルートから帰ることにした。
――温泉街から少し離れると、遠くに民家と畑が見えてきた。
山間のため、畑はそれ程広くない。
おそらくは、店舗経営との兼業農家だろう。
集落に近付くと、鍬を手にした老人が歩いてくるのが見えた。
額から頭頂部まで禿げ上がった白髪頭で、作業服らしきものを着ている。
バイクの音に気が付いたのか、足を止め、魁に向けて大きく手を振った。
なんだろうか。
老人の前でバイクを止め、ヘルメットのバイザーを上げた。
「何か御用ですか?」
バイクの音を抑え、老人に問う。
「ここ数日、山歩きしてたのは、ニイサンかね?
道路工事のせいでどこも閉まっとるのに、どこに泊まっとったんじゃい?」
田舎特有の部外者を怪しんで監視するような雰囲気――ではなかった。
少々噂になっていた人物を見かけたので話しかけてみた、といった雰囲気だ。
「向こうの、川の傍にある旅館です。
俺が無料宿泊券を使って宿泊しようとしたので、女将さんが無理して営業してくれたみたいで」
魁が簡単に経緯を話すと、老人は目を見開いた。
「なんと、あそこに泊まったんか?
……ニイサン、大丈夫だったんかい?」
「大丈夫・・? って、何か問題のある旅館だったんですか?」
「大ありじゃろ! あの婆さんが……」
老人が言っているのは、おそらくあの老婆のことなのだろう。
老婆と鉢合わせしたのは旅館ではなかったが、魁はあの旅館に泊まる予定だったので、待ち伏せされていたのかもしれない。
それにしても、一般人が認識できる程の"力"を持っていたとは気付かなかった。
噂になっているということは、頻繁に目撃されているのだろう。
もし被害を及ぼす【妖】なのであれば、協会に報告する義務がある。
状況の聞き取りをするため、バイクから降りてヘルメットを脱いだ。
「その話、詳しくお聞かせていただけますか?
ちょっと興味があるもので……」
面白そうな話なので野次馬的に話を聞きたがっている――
的な素振りで老人から情報を引き出すことにした。
バイクを降りた魁を見上げ、老人は驚きの声を上げた。
「ニイサンでっかいねえ! 七尺もあるんじゃなかろか?
しかも、またいい男じゃあ。名前は忘れてしもうたが、三船の映画に出とった、あの役者にそっくりじゃて」
魁は老人に苦笑を返し、聞き取りを継続する。
「はは。ありがとうございます。それで、その老婆の話ですが――
いつ頃から、どの程度の頻度で現れるように?
被害に遭った方は多いのでしょうか?」
「んー? んー。
何年前じゃったかねえ。五年は経っとらんじゃろけどねえ。
頻度ったって、気まぐれに走り回っとるから、ずっとじゃよ、ずっと。
観光客がよく襲われるんで、皆が迷惑しとるよ」
「被害期間は数年単位ですか……
襲われた被害者は怪我をしたり、病院に運ばれたりするようなことも?」
「驚いた拍子に足滑らせて転んじまって。
そんで頭打って運ばれた、とかはあるかねえ」
「昏睡状態になったり、死亡者が出たりということはないですか?」
「そういう話は聞かんねえ。
そこまで危なきゃあ施設にでも放り込めるんじゃろがねえ。
驚かすとか、つきまとうとか、そんな程度じゃしなあ。
逮捕されても、責任能力なしとかで戻されてしもうて」
ここで、魁に違和感。
「あの……今、その老婆がこの一帯に発生して迷惑だ、という話をしていますよね?」
「そうじゃよ? あの旅館に泊まったなら、ニイサンも見た、いや、付き纏われたじゃろ?」
「ええ。何度も現れましたし、脱衣所や食堂まで――」
その時、ガサガサと道脇の林から音がした。
不気味な笑顔の白い老婆が、木陰から覗いていた。
魁の反応に、老人は何かを悟った様子だった。
「――ニイサンみたいに勘違いするお人が、たまに居るんじゃが……」
林の老婆を横目に、老人は呟いた。
「……ありゃあ、人間じゃよ。
女将の――義理の母親じゃて」
――魁は、老人から詳しい話を聞かせてもらった。
老婆はあの旅館の家付き娘で、若い頃は温泉街一番の美人とも噂されていたそうだ。
若いうちに婿を取って早々に息子も生まれたのだが、傍から見ても夫婦関係は冷え切っていたそうだ。
それでも息子は立派に育ち、嫁を取った。
それが、今の女将である。
だが、息子を溺愛していた老婆は、息子と仲睦まじい現女将を憎んだ。
そして、あらゆる手を尽くして苛めに苛め抜いたのである。
現女将はその苛めに耐えて懸命に働いていたのだが、ある日突然、その状況は一変した。
老婆が不倫旅行している間に、息子が死亡したのである。
――その日は温泉街の当主会合だった。
普段は老婆が会合に出席しているのだが、老婆は旅行中で不在。
会合には息子が出席するよう指示していた。
数日前から豪雨に見舞われ、地滑りなどの注意が呼びかけられていた。
そんな折、小規模ながら地震が発生したことで土砂崩れが発生。
会合場所の公民館は土砂崩れに飲み込まれた。
その際、足腰の弱った出席者を背負っていた息子は逃げ遅れてしまったのである。
旅行から戻った老婆は、溺愛する息子を失ったことを知った。
しかも、自分の代わりに出席するよう指示した会合で死亡したのである。
その事実に、老婆は気が狂ってしまった。
老婆の夫は不仲の妻を世話するつもりなどは毛頭無く、旅館を去った。
そして、現女将が旅館を継ぐとともに、"狂った老婆"の存在を意識から消し去った。
それは、ある種の復讐でもある。
"狂った老婆"など存在しないので、老婆を障碍者として申請していない。
義母は旅館のどこかで働いているはずなのだ。
社会的に老婆は健常者なので、全ては老婆の自己責任である。
だが、実際には狂っている。
軽い罪で逮捕されようとも、まともな会話すらできずに自身の責任能力なしで戻される。
現女将は、警察の指導にも、周辺住民からの苦情にも、どこ吹く風。
気が狂った老婆など存在しない、という態度を取り続けた。
犯罪性が薄い場合は、警察も介入が難しい。
やがて、警察も匙を投げた。
老婆だけではない。
女将も既に狂っているのだ。
――老人の話は、そんな内容だった。
老婆は、林の中で相変わらず不気味に笑っている。
疑問点や腑に落ちない点は多々あったが、魁はそれらを無理矢理飲み込んだ。
もう、関わり合いにならない方が身のためだ、と判断したのである。
「なるほど――
興味深いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
では、俺はこれで失礼します」
魁は老人へ丁重にお礼を述べ、何度か頷き、苦笑した。
「うむ。あの婆さんも、遠くまで追っては行かんようじゃ。
早くここから離れた方がええじゃろ。
ニイサン、気を付けて帰りなされ」
魁の苦笑に、老人も苦笑を返してきた。
魁は、去り際にもう一度老人へ頭を下げ、集落を後にした――
◆◆◆
――後日、女将から送られてきた地図が消えていることに気が付いた。
クリアファイルに入れて保管していたのだが、クリアファイルごと紛失していた。
携帯の履歴に残っていた番号をネットで調べたが、ヒットなし。
リダイヤル――
「お客様のおかけになった電話番号は、現在使われて――」
魁は、迷わず旅館の電話番号を削除した。
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