【⑪-2/4】【40】一日目 声
昼食を待つ間、荷物を解いて浴衣に着替えることにした。
部屋のクローゼットから浴衣を出したが、案の定、浴衣のサイズは小さかった。
魁はかなりの長身なので、外泊した場合はいつものことである。
とりあえず、今着るだけなら問題ない。
昼食の際、女将に交換を頼むことにした。
着替えを済ますと指定の時間になった。
食堂へ。
廊下の突き当りにある食堂へ入ると、二人分の"ざるそば"が用意されていた。
旅館だけあって、雰囲気のある食器が使われている。
「赤神様、食事の準備は整って――」
食堂にやってきた魁の姿を見て女将が奥から出てきた。
「あら!」
そして、浴衣のサイズが合っていないのを見て、声を上げた。
「ご覧の通りでして…… 昼食の後で結構ですので、できるだけ大きいサイズに交換してもらえますか?」
女将の反応に苦笑しながら、手足共に七分丈程度の浴衣を見せる魁。
また、長さに加えて幅も足りていない。
鎖骨から引き締まった胸元にかけて、大きく開いたままになっていた。
「これは大変失礼しました。食事の後でお部屋にお持ちしますね」
丁寧に頭を下げる女将。
女将に頷き返す魁。
食事の準備はできているので、浴衣の話はそこまでだ。
「わたくしも、お昼ご一緒してもよろしいですか?」
魁へ微笑みかける女将。
女将の人柄か、やや媚びた仕草にも不快感は無かった。
「ええ、構いませんよ」
魁の承諾を得て、女将は向かいの席へ。
二人はすぐに昼食をとり始めた。
「――美味しい蕎麦ですね」
「ありがとうございます。
こちら、お土産用に仕入れたお蕎麦なんですよ」
賞味期限が近くなってきたので、売店から下げたものだそうだ。
元々、女将が昼に食べるつもりだったらしい。
「事情が事情なので、明日の昼食もご用意致しますね?」
「ああ、昼食を用意していただけるのであれば、お願いがあります。
明日は散策に出る予定なので、携帯できる"おにぎり"にしてもらえないでしょうか?」
「承知しました。お出かけの際に、お声掛けください。
それにしても、散策ですか?
何か目的の場所がおありで?」
「特に行く当てはないので、何となく歩き回るつもりでした。
もしお勧めの場所があるなら教えていただけますか?」
「そうですねえ……
観光スポットとしてある程度整備されているものですと――
まず、あまり大きくはありませんが、滝がありますね。
案内板がありますので、それに従って山を登っていけば滝まで行けますよ。
それと、樹齢数百年と言われるヒノキの御神木ですね。
パワースポットと銘打ってご案内しております。
……あまり派手なものが無くて申し訳ありませんが、精々こんなものでしょうか」
言葉通り申し訳なさそうな表情を浮かべる女将。
しかし、魁は興味深そうに頷いていた。
「滝も御神木も、是非行ってみたいですね。
それに、当てもなく歩き回るより、目的地があった方がメリハリがあって楽しめますよ。
俺にとっては、とても有益な情報でした。ありがとうございます」
確かに女将の挙げた場所は観光スポットとして魅力的とは言い難いのだろう。
だが、目的もなくのんびり散策するつもりだった魁にとっては目的地があるだけでも有用な情報だった。
「それと、観光スポットのような場所ではなく、岩場や岩壁が露出しているような場所は無いでしょうか? 俺は、そういった岩なんかを観察するのも好きなんです」
ただの岩でも、興味のある者からすれば観察対象となるのだ。
「岩場ですか……? 岩場なら近くにありますが…… ただ岩がたくさんあるだけの場所ですよ?」
戸惑い気味の女将。
「あるんですか?
是非、場所を教えてください。そういう場所を探していたんです!」
岩場があると聞き、やや魁のテンションが上がった。
「そうですか…… お役に立てたようで、なによりですが……
お若いのに随分と渋いご趣味で……」
女将は、ややぎこちなく笑った。
「ははは。世の中には、俺のような人間も居る、ということですよ」
見れば、既に魁は昼食を食べ終わっていた。
「ごちそうさまでした。
それでは浴衣の方、お願いしますね。
今日は温泉に浸かってのんびりする予定ですので」
昼食を終えた魁は、女将に一言告げて食堂を後にした。
――部屋に戻ると、すぐに女将が浴衣を交換しに来た。
まずは温泉に入ろうと思っていたので、早く来てくれて助かった。
魁は、女将が去ってすぐ大浴場へ向かう。
大浴場は、廊下を曲がった先にあった。
男女で分かれておらず、看板に男女の切替時間が記載されている。
「よし。男湯の時間だな」
他には誰も居ないらしいが、一応時間を確認してから脱衣所へ入り、服を脱いで浴室へ。
魁の髪は短く、すぐに洗い終わるため、初めに頭を洗ってしまうタイプである。
備え付けのシャンプーが泡立ってきたので、目を閉じる。
誰も居ない浴室は、何やら背中に冷気を感じるような――
「 お背中 お流し しましょう か?」
シャンプーが目に入らないよう、うっすらと目を開ける。
鏡越しに、浴衣のような薄手の白い着物と裸足の足が見えた。
昼食では紫の柄物だったので、先程までとは違う着物だ。
「いえ、結構です」
手短に申し出を断った。
返答はないが、背中に熱い視線を感じる。
魁は黙って頭を洗い続けた。
次の言葉は無かった。
ひっそりと浴室から出て行ったようだ。
魁は、頭と体をしっかりと洗い直し、湯船に浸かる。
「本当は雪乃と一緒に来たかったんだがなあ。
長様は、人間が来ない秘湯とか知らないだろうか?
ああ、でも、今度は俺が行ってもいい場所なのかって問題があるか……」
ぼんやりと呟いてから目を閉じ、薬指の指輪にキスをした。
◆◆◆
――大浴場から戻った魁は、夕食までの間、"何もしないこと"を満喫した。
夕食は、いかにも"ひなびた温泉旅館"といった内容だった。
小鍋のすき焼きと刺身がメインで、その他には茶碗蒸しや酢の物など一品料理が並ぶ。
女将は、濃紺の着物に着替えていた。
◆◆◆
――夕食の後も"何もしない"作業に勤しむ魁。
寝る前にもう一度温泉に入っておこうと大浴場へ。
ゆっくり温泉に浸かってから部屋に戻ると、布団が敷いてあった。
「さすがプロだな。ナイスタイミング」
少々涼んでから布団に入り、明かりを消そうと手を伸ばしたとき――
「赤神 さま マッサージ いかが です か?」
部屋の外から声がした。
「……いえ、もう寝るところですので。結構です」
魁は天井を見つめ、布団の中から冷静に答えた。
衣擦れのような音と、喘ぐような声。
「とってモ きもチ イイッ です ヨ?」
魁は布団から動かない。
「サービスはありがたいですが、もう遅いですから」
一度、扉に触れたような音がしたものの、扉は開かれなかった。
「――シイ――ホシイノ――」
何か声がしたようだが、それ以降物音はせず、静かになった。
魁は部屋の明かりを消し、目を閉じた。




