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【⑪-1/4】【39】一日目 あか しろ


 五月上旬の長野県山中。

 空は灰色の雲に覆われており、森は薄暗い。


 その森を通る荒れた道から、オフロードバイクのエンジン音。

 ライダースーツにフルフェイスヘルメット姿のかいである。



 魁は今、一人で山中の温泉旅館へと向かっていた。


 "探偵業"の依頼でも【特殊調査】の依頼でもない。

 地元商店街の福引で、温泉旅館の二泊三日宿泊券が当たったのである。


 とはいえ、普通の温泉旅館では雪乃と楽しく旅行というワケにもいかない。


 仕方ないので誰かに譲渡しようとも思ったのだが、

「たまには一人で行ってみたら?

 私は里に行って術の訓練するから、気にしなくていいよ?」

 という雪乃の一声で、一人旅が決定した。


 こまめに訓練を受けないと、いつまでも一人前の"猫又獣人"になれないのだそうだ。

 雪乃が覚えるべき術は、まだまだ沢山あるらしい。



 ――旅館に連絡を取ると、旅館の女将から交通アクセスについて説明があった。


「つい最近始まった道路工事のせいで、東京方面からの"本道"が通行止めになっておりまして。

 南側のバイパス道路から岐阜方面に抜けて、反対側からお越しいただくか、或いは……

 東京側から本道の脇道に入る、今は使われていない"旧道"を通っていただくしか――」


 一人旅なら荷物が少ないので、車である必要はない。

 オフロードバイクならば、路面状況があまり良くないことが予想される"山中の旧道"でも問題ないはずだ。

 むしろ、多少悪路の方が冒険感があって楽しめそうだという考え方もある。

 そんなワケで、バイクで"旧道"から行くことにしたのであった。


 旅館へ日程の連絡をしてから数日後、古い地図のコピーが送られてきた。

 "旧道"はもう地図に載っていないらしいので、女将に地図を送って貰うよう頼んだのだ。


◆◆◆


 ――話は長野山中へ戻る


 地図に従い"旧道"に入った魁を待ち受けていたのは、ひび割れたアスファルトの路面と、伸び放題の雑草であった。

 路面には折れた木の枝や落ち葉も放置されており、この"旧道"が全く使われていないことがうかがえる。


 また、この"旧道"は山の斜面を削って作られた道路らしかった。


 道の左側は下り斜面。

 一度道を踏み外せば暗い森の中へと転がり落ち消えてゆくだろう。


 逆の右側は上り斜面で、掘削した岩肌が露出している。


 落石を防ぐ金網が張られてはいるが、大部分はびて破れたまま放置されており、落石自体がそのままになっている箇所さえある。


 路面状況や斜面の様子に注意を払いつつ、低速で進む。


「酷い道だな……道が崩れたりしてないといいが……」


 ある程度荒れていることを期待して"旧道"を選んだのだが、予想以上の荒れ方だった。


 だが、この危険な"旧道"を引き返そうという気も起きなかった。

 そもそも、引き返すという選択肢が抜け落ちていたような気もする。


 しばらく進むと、山肌に沿って大きく右に折れた道に差し掛かった。

 カーブでは周囲の見通しが全く利かず、暗い森に閉じ込められたような閉塞感に襲われた。


 しかし、物事には必ず終わりが来るものだ。

 カーブの先で、不意に視界が開けた。



 その先には、無数の"赤"が点在する斜面が広がっていた。



 それが何なのか、すぐには判別できなかった。

 ――紅葉には時期が早く、花にしては枝葉の緑が見えない。


 徐々に"赤"の群れへと接近していくと、"赤"の下に暗い灰色の物体が並んでいることに気付く。


 魁は、唐突に理解した。



 首無し地蔵


 赤い前掛けが、流れる血を想起させる




 キャキャキャキャキャキャキャキャキャッ――――

 キャキャキャキャキャキャキャキャキャッ――――

 キャキャキャキャキャキャキャキャキャッ――――




 その時、ヘルメットを貫く甲高い音の群れが、辺りを蹂躙じゅうりんした。


 それは鳥の声のようでもあり、何百もの子供が一斉に笑っているようでもあった。


 魁はバイクに乗ったまま音の出所を探すように辺りを見回したが、その場に留まることはしなかった。

 


 ――首無し地蔵の前を抜けると、道は山の斜面から徐々に離れ始めた。


 気付けば道の両側には小さな畑。

 更に進んで視界が開けると、遠くに広い河原が見えた。


「やっと、温泉地の近くまで来たか……」


 畑があるということは、旅館がある温泉地も近いということだ。


 低速で道なりに進むと、道端に大きめの"お堂"が見えてきた。

 正面は道路側に向いており、扉は木の格子。

 手入れがされていないのか、かなり荒れているようだ。


 道祖神どうそじんか何かまつられているのかと、通りすがりに何気なく"お堂"の中を覗き込むと――



 白い老婆



 乱れた髪

 着崩れた着物

 肋骨の浮いた胸元



 目が合った


 ニタリ――



「っ!?」

 魁は驚きで仰け反り、体を固くした。


 "お堂"から気配を感じなかったため、中に何かが潜んでいるとは思わなかったのだ。


 この、"気配を感じなかった"という事実に直面したところで、ようやく気が付いた。

 どうやら、旅館がある温泉地を含む付近の山林一帯から、"力"が流れ出ているらしい。

 おそらく"旧道"を走っている間も"力"の影響を受けていたのだろうが、劣悪な路面状況に注意が向いて気が付かなかった。


 これは、試験の前にとどろきと行った"訓練場"のようなものだ。

 こういった土地の"力"に紛れると、低級の【あやかし】を感知できなくなってしまう。


 低級の【妖】は、本能的に"自分の姿が見えている"と認識した相手や、自分の欲求に合致した対象に取りく。

 つまり、見えないふりをしていれば寄ってきたりはしないのだが、しっかり目が合ったということは――



「あれは、多分来るな……」



 単に"力"をぶつけても一時的に散るだけであり、正しい手順を踏まないと"消滅"はさせられない。

 視覚的に不快なだけで基本的に害は無いのだが、低級の【妖】は無尽蔵に湧いてくるので、なるべく避けたかった。


 ため息を一つ。

 仕方がない、と割り切った。


◆◆◆


 ――"お堂"の前から更に進むと、広い舗装道路に突き当たった。

 これが工事中で通行禁止になっているという、"本道"だろう。


 地図に従い、右折。


 すぐに、人の気配がしない温泉街に差し掛かった。


 シャッターが下りた飲食店。

 色褪せたカーテンが引かれた土産物の店。

 明かりのついていない宿泊施設。



 全ての店舗が営業していない。



 温泉街の状態に奇妙な違和感を感じつつ、そのまま道なりに進む魁。

 すぐに目的の旅館に到着した。


 旅館は、"本道"よりやや高い場所に立っていた。

 建物の向こう側には川が流れており、広い河原を挟んだ向こう岸は斜面になっている。


 旅館は十数部屋。

 温泉地にある小規模な旅館としては一般的な大きさである。

 外観は和風。少々古びてはいるが、目立った破損や汚れもない。


「案外、普通の旅館だな……」

 付近の店舗が営業していなかったので、旅館も廃業寸前のような建物かと予想していたのだが。


 魁が建物内に入ると、センサーが反応してチャイムが鳴り、玄関横の部屋から女将が姿を現した。


「赤神様ですね?

 ようこそいらっしゃいました。

 当館の女将でございます」


 女将を名乗った女性は、魁へ向けて深々と頭を下げた。



 女将は、身長一六〇cm程で着物は紫の柄物に紺色の帯。

 年齢は三十代半ばといったところか。

 長い黒髪を凝った細工の髪留めを使って後ろでまとめていた。

 側面にも同じデザインの小さな髪留めが光っている。

 色白で、明るい雰囲気の美人女将だった。



 靴を履き替え、女将の案内で部屋へ向かう。


 案内された部屋は一階の角部屋で"桐の間"だった。

 この部屋の入口には、半畳程の脱いだスリッパを置く空間があった。

 入口の奥は三畳程度の空間があり、そこには奥に続くふすま、トイレの扉、洗面所の扉がある。

 奥に入った先は八畳の部屋。

 女将が部屋の明かりを点けると、蛍光灯の無機質な光が部屋の壁と畳を照らし出した。

 テーブルの上には茶菓子と急須。座椅子が四つ。テレビもある。

 部屋の奥には窓があり、カーテンは閉まっていた。

 奥の窓の前には、旅館によくある"謎の空間"。

 その"謎の空間"には、小さなテーブルと、竹の骨組に木の皮で編み込まれた椅子が二つ。



「わたくし、一旦外しますが、すぐに戻りますので。

 少々、お部屋でお待ちくださいね」


 一通り部屋を案内した女将は、一旦部屋を出ていった。



 女将は、やや砕けた口調で接客しているような印象だった。

 旅館の女将というよりも、民宿の主人のような雰囲気だ。

 規模的にも高級旅館というワケでもないので、特に違和感はない。


 魁は部屋の隅に大きめのバックパックを置いた。

 男一人の荷物など、この程度だ。


 荷物を置いてから窓に向かい、カーテンを開けた。

 窓から見下ろす景色は、石の転がった河原と水量の少ない谷川。


 そして、川の向こう岸。




 あの老婆だ




 先程と同じく不気味な笑みを浮かべて、こちらを見上げていた。


「やっぱり、来たか……」


 老婆を直視しないように視線をずらす。

 面倒なことになった。

 窓から外を眺めて今後の対応について思案していると――


「――赤神様!」

 突然、声を掛けられた。


 振り向くと、後ろには女将が立っていた。


「申し訳ありません。

 何度か呼んだのですが、返事が無かったものですから」


「いえ、構いませんよ。考え事をしていたもので」


 再び窓の外へ目を向けると、老婆の姿は消えていた。


「夕食は午後六時ですが、よろしいですか?」

「はい。それでお願いします」

「では、時間になりましたら、廊下の突き当りにある食堂にお越しください」


 魁は、夕食について女将へ頷いてから、

「……この辺でどこか、営業している店は無いでしょうか?

 昼を食べたいのですが……

 ここに来る途中に見かけた店は全部閉まっていたようでして」

 女将へと、困り顔を向けた。


「閉まって……?

 ああ! そうでした!

 殆どの店舗が一時休業中でしたわね!」


 女将は、うっかりしていた、といった仕草で、ぽん、と両手を合わせた。


「ああ、一時的な休業でしたか。

 さすがに、おかしいと思いましたよ」


「ええ。本道の東側が通行止めだと、東京側からのお客様が見込めませんでしょ?

 本当に付近の店舗が全て閉店していたら、さすがに当館も廃業ですわよ。

 うふふふふ……」


 口元を隠して笑う女将。


 それを聞いて、湧き上がる疑問。

 

「この旅館は、休業しなかったんですね?」


「当館も休業予定でしたが、赤神様がご予約をされたので……ね?」


「ということは、もしかして客は俺だけですか?

 なんだか申し訳ないですね」


「ええ。お客様は赤神様お一人になります。

 ですが、補助金の給付期限等々、こちらも色々と事情がございまして。

 お気になさることはありませんよ?」


 今度は、営業スマイル的な定型の笑顔を作る女将。


 経営的に色々あるのだろうと、深くは追求せず。


「温泉街全体が休業中なのはわかりましたが、肝心の昼食はどうすれば?」

 話の方向性を戻した。


「そうですね……お蕎麦はお好きですか?

 それくらいなら、お出しできます。

 まだ板前が来ておりませんので、わたくしがでたものになりますが……」


「蕎麦は好きです。もちろん、いただきます!」


「承知しました。

 では急いて用意します。

 三十分後に食堂へお越しください?」


 そう言って一礼すると、女将は足早に魁の部屋を出て行った。

 

 特殊な状況だからなのか、想定外であろう昼食の用意をしてくれるとは、ありがたいことである。


 昼食の件が片付き一安心。


 何気なく窓から外を見る。

 川の向こう岸から老婆の姿は消えていた。


 代わりに――




 こちらの岸に 渡って来ていた



 徐々に接近してくるのは、よくある行動である。

 次はおそらく、ごく近い場所に現れるだろう。



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