【①-4/6】【04】ちょっと育った
「ただいま……」
【特殊調査】が終わり、数日振りの自宅。
出迎えは無い。
ほのかに期待していたものの、雪乃はやはりまだ帰っていないようで、僅かに肩を落とす。
だが、玄関からリビングに移動して上着を椅子に掛け、フライドポテトをテーブルに置いたとき、雪乃の匂いがした。
「雪乃……? 雪乃!」
やや興奮しながら、三階の、リビング、風呂場、クローゼット、トイレ、と調べたが、雪乃は見つからない。
雪乃が帰っているなら出迎えてくれるはずだが、それも無かった。
(やはり帰っていないのか……?
なら、なぜ雪乃の匂いが?
驚かすにしたって、隠れる必要は無いだろう。
家に居るだけでも驚きなんだからな。
予め帰る日を告げていて一日早い場合なんかには、ビックリさせようとして突然飛び出してきそうだが……
雪乃は、一か月も無断で家を空けてから、その上で悪戯なんかしない)
四階に上がり、現状に疑問を持ちつつ部屋を確認していくが、雪乃の姿は無い。
寝室のドアノブに手を掛け、
(あとは、ここだけか……)
祈るように寝室の扉を開けたが……見たところ、雪乃の姿は無かった。
だが、寝室からは、雪乃が、強く、強く、匂った。
「居るのか? 居るんだろ? 雪乃!」
明かりも付けずにベッドの前まで来た瞬間。
背後に、何か大きな生物の気配を感じた。
素早く振り向くと、魁に向け、ナイフのように長く鋭い爪が振り下ろされようとしているところだった。
反射的に体を沈めて爪を避け、相手の懐へ潜り込む。
突き出された腕を掴み、巻き込むようにベッドへと叩きつけ、すかさず反対の腕も掴んで拘束する。
襲ってきたのは大きな獣のようだが、この獣が何なのか、魁は既に確信していた。
白い毛並み。
薄暗い室内でも輝く、蒼い瞳。
懐かしささえ感じる芳香。
よく見ると、後から雪乃と思える特徴が判明していく。
だがそれは、ただの猫ではななかった。
「お帰り、雪乃。心配したぞ……それに、寂しかった」
両腕を拘束したまま微笑み、随分と様子の変わった雪乃に口づけた。
少しの間きょとんとしていたが、魁に強く抱き締められると、強く抱き返して泣き出す雪乃。
「かい、いきてる……雪乃って……
ふぇぇ……かいぃぃぃ……
みゃあああああああああああああああああ」
それは、猫の鳴き声に混じった言葉ではなく、人間の言葉だった。
「いきてる……?
それに、雪乃、喋れるように……?
あと、なんだかちょっと育ったみたいだな……」
極太の尻尾が二本。
"ちょっと育った雪乃"は、"人間のような体格の猫"になっていた。
つまり昔話などにある、妖怪の猫又、それも獣人になっていたのだ。
あの尻尾の膨らみは、尾が割れ始める予兆だったということか。
――改めて見ると、雪乃は"ちょっと"どころではなく、随分育っていた。
体長は一六五㎝程で、体格は人間に近くなったが、全身の白く美しい毛並みはそのままだ。
体前面の毛が長くなっているのは色々と隠すためなのだろうが、八つあるうち一番上にある二つの胸は長い被毛でもはっきりわかる程にたゆたっており “ちょっと育った” どころの話ではない。
顔は"猫そのもの"だが、頭の大きさは小学生くらいで、かなり小顔だ。
猫は見た目のイメージより頭が小さいので、バランス的に頷ける。
もちろん、蒼くて大きな瞳は、相も変わらず美しい。
前足と後足はかなり伸びていた。
後足の構造は猫の頃と大きく変わらないようだが、前足は人間の手のようになって指が伸びていた。
これはもう手といっていいだろう。
ただ肉球はそのままなので、物は握れても人間ほど手先が器用ではないだろう。
そして、爪はある程度伸縮自在のようだ。
さっきまで長かった爪は、もう短くなっている。
しばらく泣いて落ち着いたと思われる頃、雪乃を抱いたまま起き上がり、並んでベッドに座り問いかけた。
「無事で何よりだが……一体、一か月もどこに行ってたんだ?」
「――それは、私から説明致しましょうかな」
魁の問いに答えたのは、いつの間にかベッドの横に立っていた老人だった。
魁は一瞬驚くが、一連の流れを考えると、突然現れたこの老人も関係者なのだろうと推測できる。
そして、この老人とは、どこかで会ったことがあるような気がしていた。
「あなたは?」
「猫又の里で長をしておる、藁と申します。以後、お見知りおきを」
長は魁に向けて一礼。
魁も立ち上がって礼を返す。
「雪乃から聞いているとは思いますが、"赤神 魁"と申します。
――ところで、説明して頂けるのはありがたいのですが、ここは寝室でして……リビングにお越し頂けますか」
長は頷いて同意を示す。
魁は頷き返し、雪乃を促してリビングへ向かった。
◆◆◆
皆でリビングへ移動し、リビングのソファーに腰掛けた長。
早速、向かいに座る魁と雪乃に向けて話し始めた。
「人間は、基本的に異質なものを排除する生き物であることを、魁殿も身に染みて理解しておられることでしょう。
ですから、我々の存在が人間に対して公にならないよう、"猫又になりそうな猫"を調査しておりましてな」
同じソファーに座る雪乃を見てから、魁が頷く。
長は説明を続けた。
「半年程前でしょうかな。
猫又になりそうな猫が突然現れたと連絡がありまして。
それが雪乃でした。
それから雪乃の動向を注視しておったのですがな。
雪乃の"力"は、考えられない程早く強まっていったのですよ。
このままでは、すぐにも猫又になってしまいそうでしたので、取り急ぎ魁殿達に会ってみることと相なりまして。
こちらの正体を隠したまま城跡公園の展望台でお目にかかったわけですが、覚えておりますかな?」
魁は、徐に頷いた。
この人物とは、どこかで会った気がする、と思っていた。
気のせいではなかったのだ。
「おそらく人間には明確に知ることができますまいが……
魁殿は、とても、とても、強い力を秘めておるようです。
魁殿と共に居れば、かなり早い段階で猫又になりましょう。
ですが、それでも早すぎる。
腑に落ちぬのはそこなのです」
長は自らの顎髭を撫でながら、猫又について語り始める。
「猫又というのは、基本的に主や土地から漏れ出た力を吸収し続けることで妖怪に変化するものでしてな。
地方によって変わりますが、十年生きると猫又になる、という話を聞いたことはありませぬかな?」
魁は頷いた。
猫又になると尾が二本になり、行燈の油を舐めたり人間のような行動を取ったりすると、何かで読んだ記憶がある。
「一般的には、素質のある猫が条件の整った環境で長い年月を経ると、やっと妖怪化し始めるものでしてな。
徐々に知能や行動に変化が現れ始め、そのうち尾が割れて猫又となるのです。
ただ、なりたての猫又は、まだ赤子のようなものでしてな」
魁は雪乃の状態と照らし合わせながら、長の説明に聞き入る。
尻尾こそまだ一本だったが、雪乃と意思疎通ができるようになり、明らかに行動が変化し始めた頃を思い返す。
「それから更に、百年近い時を重ねて"力"を蓄えることで、今の雪乃のような獣人となることができるのですがな……
聞けば、雪乃は魁殿と暮らして半年もせず妖怪化し始め、一年と経たず猫又になるだけの"力"を得たとのこと。
しかも、初期の猫又状態を飛び越え、いきなり猫又獣人になれるだけの"力"を、ですぞ。
雪乃の力は、既にそれ程の域に達しておったのです。
この速さが異常であることは、ご理解いただけますな?」
長の説明に頷く魁。
大雑把に言って百倍速である。
異常でないはずがない。
「そこで、なぜそれ程の速さで猫又になったのか、要因を明らかにする必要がありましてな。
雪乃に術を使ったり、血を飲ませたりしてはおりませぬか?」
「術がどういうものかは存じませんが…… "血は" 飲ませていません」
長は、魁と雪乃を探るように見つめる。
「危険な術を使っているとすれば魁殿にも害が及びかねませぬし、血を大量に飲ませると血に飢えて人間を襲うような妖怪になってしまうため、非常に危険なのですが……どうも、違うようですな」
魁からそういった危険な意思は感じられなかったのか、また考え込む長。
そこで、雪乃が閃いた。
耳をぴこりと立て、満面の笑みで、その内容を口にする。
「かいちゅ~る!」
叫んでから、ぴょんと立ち上がり、たゆんと揺らして、長へと考えを述べる。
「きっと、"かいちゅ~る"だよ! あれを食べたら、突然魁と話せるようになったんです!」
「なんと? 突然とな? それは凄まじい……
して、雪乃よ。"かいちゅ~る"とは、どのようなものだ?」
「魁が"出して"くれる、白い、どろっとした、美味しいやつです!
ちょっと塩っ気があって、魚の内臓みたいな味の……
あと、魁が私を好きだから"出して"くれるんです……
うにゃ~……
おいしくってびりびりしてからふぁ~ってなるんです~」
食べる際の状況を思い出したのか、へなへなとソファーに座り込み、恍惚とした表情で横の魁に寄り掛かる雪乃。
更に、味も思い出してか、しきりに舌なめずりも繰り返し、二本の太い尻尾を揺らしていた。
「霊薬の類……ですかな。
効果の強い薬は副作用も大きいもの。
そのような薬を使っては、雪乃自身にも悪影響が出てしまいます。
雪乃を見なされ。思い出しただけで、何やら酩酊したようになっておりますぞ。
痺れを生じ、酩酊状態になり、中毒性までありそうではないですか!?」
魁に擦りつく雪乃。
確かに、酔っ払っているように見えなくもない。
「いえ、薬の知識はありませんが、薬ではない……と思います。
それに、猫に害はないと思います。
科学的な主成分は果糖とミネラル、あとは動物性タンパク質ですし……」
少々気まずいため、やや俯いて受け答えをする。
実際、雪乃に表れている諸症状は、科学的でない方の"主成分"が原因なのである。
その主成分は "愛"
これらの諸症状に、敢えて名前を付けるならば――
"幸せにゃんにゃん症候群"
「いやいや、魁殿は薬の知識が乏しいとお見受けしました。
思わぬ物が原因かもしれませぬ。
雪乃の今後のためにも、その “かいちゅ~る” なるもの……
見分させていただきたい!
安全なものかどうか、危険を冒してでも!
私も実際に "食して" みます故!
今すぐ! ここで! "出して" くだされ!
さあ! さあ! さあ!」
"出した"、を、"調合して与えた"、と解釈したのだろう。
雪乃に何か薬を使ったと思い込んだ長。
"かいちゅ~る"を、ここで今すぐ"出せ"と。
そしてそれを"食わせろ"と。
魁へ迫る。
(さて、どうするか…… まあ、出すのはいい。出すのはいいが……)
神妙な顔つきで悩む魁。
すると雪乃が、魁の腰周りを覆うように膝の上へ寝そべり、長に抗議した。
「だめええぇっ!
"かいちゅ~る"は魁が私だけに"出して"くれるものなの!
たとえ長様にだってあげないから!」
一見この行為は、猫が膝の上に乗る行動をそのまま実行しているように見えるが、雪乃の意図は全く異なる。
長から"かいちゅ~る"の源を守っているのだ。
「むむ……"かいちゅ~る"とは、これ程に依存性が……
これは増々"かいちゅ~る"がいかなるものか、突き止めねばなりませぬな!」
唸る長。
前にも増して、真剣な眼差しを魁に向ける。
――と、ついに決心した魁が顔を上げた。
「わかりました。
"かいちゅ~る"が何なのかはお伝えします。
必要であれば、今ここで"出し"ましょう。
ですが、本当に、"食べる"おつもりですか?」
「実際に食す必要があるかは、"かいちゅ~る"が如何なるものなのかお聞きしてから判断すると致します。
まずは、"かいちゅ~る"の正体を、お聞かせ願いたい!」
魁の問いに、難しい顔で答える長。
その表情に応え、神妙に頷く魁。
「……では、お答えします。雪乃が"かいちゅ~る"と呼んでいるのは……」
「――俺の精液です」
魁の言葉に、長は虚を突かれた。
「今ここで"出した"ものを食べたい、とのことで――」
「いやそれは結構」
魁の言葉を遮る長。
素早く虚脱から抜け出していた。
そうですか、と、ベルトに掛けていた手を下げる魁。
「……それにしても、そこまで"致して"おりましたとは。いやはや」
再び顎髭を撫で始めた長に、魁は続けた。
「私は雪乃を愛しています。雪乃との行為には後悔も罪悪感もありません。
ただ、猫又の掟というか……禁止事項に抵触していないかが気がかりで、打ち明けるのを躊躇っていました。
……とはいえ、人間と猫では体格差があります。
誓って、挿入はしていません」
そこで、雪乃が不満気に呟く。
「して欲しかったのに……」
魁の膝の上に寝そべったまま二本の極太尻尾を交互に操り、魁を、てしてしっ、と叩いた。
「俺の指でさえ、裂けないか心配だったくらいなんだ。
無理だって言っただろ。
俺は、雪乃が苦しむことで得られる快楽なんか欲しくない」
「う~……う~~……
体、ちっちゃくてごめんね……
魁、だいすきっ!」
献身、いたわり、不甲斐なさ、そして愛。
雪乃が抱きついてきたので、優しく抱き返して背を撫でていたが、やがて、長を窺うように目を向けた。
「まあ……猫と睦み合った人間というのは、あまり聞きませぬが。
それについて問題はありませぬよ。
我々も元は猫ですから、性事情は人間よりもずっと寛容でしてな」
長の言葉に、魁は安堵した。
「精液は、西洋で錬金術の材料に使われたこともありましてな。
明確な意思を持って放出される分、血よりも強い力を秘めている場合もあるのです。
それに、お二人は強い絆で結ばれている様子。
それも、猫又になるのを早めた要因の一つでしょうな」
変化の要因に一応は納得したらしく、長は雪乃の失踪についての説明に戻る。
そして雪乃も、魁の膝の上に寝そべる作業に戻った。




