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【⑩-1/3】【36】里での訓練


 季節は春。


 猫又の里でも桜が咲いた。

 中には花見をする者も居るようだが、そこに雪乃ゆきのの姿はない。


 裸体に赤い首輪だけの雪乃と、全裸の三毛猫獣人女性。

 邪魔の入らない密室で、二人きり。



「さあ、もう一度よ……中で感じて……」

「ああっ……はいっ……!」

「もう少しよ! 我慢して!」

「あっ! あっ! あっ! あっ! もうらめぇぇぇ」


 荒い息で叫び声を上げる雪乃。


 そこで、三毛猫の女性が雪乃の肩を叩いた。


「はい、それまで! 一旦休憩しましょ」


「はぁ~ぃ……」


 雪乃は大きく息を吐き、ぺたりと座り込む。

 二本の太い尻尾も、だらりと力なく広げられている。



 雪乃は今、訓練施設の一角にある小屋で術の訓練中。

 三毛猫獣人の女性は先生で、毛色の通り"ミケ"という名前だ。


 なお、獣人は日常生活で服など着ない。

 これは至って普通の、日常的な訓練風景である。



「体内のイメージが固まるまで、あと一歩ね。いい調子よ?」

「ほんとですか!? やったー! じゃあすぐに、訓練の続き、お願いします!」


 雪乃の訓練は順調のようだが、まだ訓練を続けようと意気込んだ雪乃は、ミケ先生にたしなめられた。


「だーめ。息切れして、ふらついてるじゃないの。

 貴女はまだ若くて妖力の総量が多くないんだから、頑張り過ぎちゃ駄目。

 あんまり無理をすると、逆に術の習得が遅れちゃうわよ?」


 雪乃は、なんとしても早く術を習得しなければならない、という状況ではない。

 頷いて、ミケ先生の指示を素直に受け入れた。


「じゃあ、"妖力抽出"の訓練は終わりね。

 午後の"取込一体化"訓練のためにしっかり食べなさい?

 無料の食堂があるから、そこに行くといいわ。

 解ってると思うけど、里から離れると妖力の回復が遅くなるから、注意してね?」


「はーい。ありがとうございましたー」

 雪乃はミケ先生へ頭を下げ、小屋を後にした。



 今回雪乃が習得に向けて頑張っている術は、"妖力抽出"と"取込一体化"だ。

 共に、獣人にとって初歩的な術である。


 まず"妖力抽出"だが、これは体内に取り込んだ物質から"妖力だけ"を抽出する術である。

 この術は"妖力を抽出"すると共に"妖力を抽出"した物質が体内から消滅するので、雪乃のようにまだ"生きている"若い猫又が有害な物質を食べてしまった場合に"解毒の術"として用いられている。

 つまり、この術があれば、人間用の料理を作るために味見をしたり、たまには人間と同じものを食べたりできるのだ。

 雪乃は魁のお嫁さんとして、お料理を作ってあげたいし同じものを食べたいので、この術の習得に向けて訓練を行っているのである。


 もう一つの術である"取込一体化"は、身に着けているものを取り込んで一体化する術だ。

 首輪をつけてこの術を使うと、首輪が体と一体化し、獣人のときは首輪が大きく、猫のときは首輪が小さくなる。

 この術については「魁から貰った首輪を肌身離さず身に着けていたい」のが習得の動機である。

 なお、冬の間は一日たりとも魁の傍から離れたくなかったので、首輪を貰ってから数か月経った今、ようやく訓練にやってきたのだ。



 ちなみに、今、雪乃が訓練していた場所は、里の住人が戦闘技術の訓練や特殊な術の訓練をする場所である。

 雪乃が使用してして小屋以外にも色々と訓練設備が存在する。


 木の人形がずらりと並んでいる区画では爪による攻撃の訓練が行われているし、木と竹で組まれた大きなジャングルジムのような建造物では、何人かの獣人が激しく飛び回っているようだ。

 遠くには、多くの丸太が立てられた区画も見える。


 里から出稼ぎに出る獣人達は、この場所で様々な訓練を受けてから人間の【特殊調査員】と契約し、里の維持費を稼ぐのである。



 ――訓練場の中を通り抜け、里の住居区画へ向かう雪乃。


 雪乃は里の住人ではないうえに、人間と結婚したような異端である。

 里には何度か来ているので何人か知り合いは居るが、親しい友人となると、ちょっと思いつかない。

 むしろ、男性獣人が雪乃を見て大騒ぎしたため、女性獣人からはやや嫌われている。


 そんな雪乃に、くねくねと体を揺らしながら忍び寄る、黒猫の獣人。


 その黒毛は感動で涙さえ流しそうな様子で両手を掲げ、

「ジーザス! 天使かと思ったら、雪乃ちゃんだったよ!」

 続けて片目を閉じ、ピストルを打つような仕草。

「訓練の休憩中。当たりだろ? バーン!」


「あのさ。

 キミ、前に来た時も同じこと言ってたよね。

 同じ相手に同じセリフで声掛けるの、恥ずかしくない?」


「サッツラァイ! 雪乃ちゃん、俺のこと覚えちゃった?

 興味アリアリってカンジィ?

 雪乃ちゃんには何を知られちゃっても~?

 くるしゅうないさ~なんくるないさ~」


「いや、別に興味は無いけど。

 キミ、いい加減諦めたら?

 私、結婚してるし」


「オーノー! 雪乃ちゃんはミス・スパイスガール!」


「キミ達からしたら、私は子供みたいなものかもだけどさ。

 ミスじゃなくて、ミセスね。

 私、既婚者だから」


「アーウチ!

 まだお声がけの時期が早かったかなあ?

 来月辺りにワンモアトラーイ!」


「時期が早い? 来月辺り?

 ……あー、発情期のこと言ってる?

 私既婚者だから、相手は旦那様だけだよ」


「オー、コンサバティブ……保守的だね!

 でも、お化けは死なないからね~

 百年くらい待っちゃうよ~?

 雪乃ちゃんが独り寝の夜に体を火照らせるまで、ネバギバ!」


「キミ、好みじゃないから。

 何年経ってもお断り。

 あと、キミいい加減うざったいから、もう声かけてこないで?」


 まともに相手をするのも面倒だが、あまり強く当たると角が立つ。

 のらりくらりと適当に対応していたのだが、いい加減苛ついてきた。

 不快感を露わにする雪乃。


「ハッハー! 女心と秋の空ってね!

 いつかはフロストクイーン雪乃ちゃんのハートにもカモンスプリングさ!

 じゃ、今日のところはグッバーイ! また明日さ!」


 雪乃のヘイトにも全く動じない。

 へらへら笑いながら、ふらふらくねくねと去っていく黒毛。


 彼は以前、長が"里一番の伊達猫"、と評した獣人である。

 彼はきっと、単に"みゃあみゃあ"騒がれるのに飽きてしまったのだろう。

 人気者は、案外孤独なのだ。多分。


「私、今が人生で一番幸せな春、なんだよねえ~

 頭の中がお花畑にでもならなきゃ――

 あ、もしかして、春が来るって、アイツみたいに頭くるくるぱーになるまで、って意味!?

 ……まあいいや。早くご飯食べに行こ……」


 食堂に向かう途中にある桜並木。

 不意に、黒毛の放った一言が脳裏をよぎった。


「百年、かあ……」


 その呟きは桜に紛れ、誰にも届くことはなかった。



 ――道なりに里内を移動し、ミケ先生から教えられた無料食堂にやってきた雪乃。


 暖簾のれんのかかっている入り口はとても小さく、獣人状態では入れない。

 この入り口は、どうやら猫用の入り口らしい。


 裏に獣人サイズの入り口があったので、そこから入って声をかけてみる。


「すみませーん。

 ミケ先生から、ここでご飯食べさせてくれるって聞いたんですけども~」


 入った先は厨房で、とても恰幅かっぷくのいい茶錆ちゃさび猫の獣人女性が炭で肉を焼きながら、鍋で何か煮込んでいた。


「なんだい、あんた?

 ここは、まだ生きてる猫又専用の食堂だよ!

 獣人は出ていきな!」


 どうやら忙しい時間帯らしく、ぞんざいな扱いで追い払われそうになる。


「あっ、私まだ生きてます!

 猫状態で食べますから、ご飯食べさせて貰えませんか?」


「はあ? 獣人が何言って――

 ああ、あんたが噂の。

 生きたまま獣人になって人間と結婚したっていう子かい?」


「噂は知りませんけど……多分、私だと思います」


「なるほど? 確かに、里の男共が騒ぐだけあるねえ」


 雪乃の顔、毛並み、体つきなどを、じっくり観察。

 その視線は、あまり好意的なものではなかった。


「あのー……それで、ご飯は……?」

 じっくり観察されてちょっと恥ずかしいが、ご飯のために我慢。


「ああ、そうだったね。

 ここは猫用の食堂だからテーブルも小さいんだよ。

 食べるときは猫になっとくれ」


 やや、ぞんざいな扱いながら、食事の提供を拒否されたりはしなかった。


「はーい」


 返事をしてから台所を抜け、小さなテーブルが並ぶ隣の広い部屋へ。

 食堂内の席は食事をする猫又達で八割方埋まっていたが、部屋の隅にあるテーブルが空いていた。

 雪乃は身を縮め、部屋の隅にうずくまって赤い首輪を外した。


「なんだい。あんた、まだ"取込一体化"できないのかい?」

 厨房の窓から雪乃の様子を見たおばちゃんが、あきれたような声を出す。


「はい。今回、それを習得するために来たんです。

 あと、"妖力抽出"も――」


 何気なく答える雪乃。


「両方とも基礎の基礎じゃないの!

 今まで何してたのさ!

 訓練サボっちゃダメじゃないか!」


 食堂のおばちゃんは、宿題しないで遊んでいた子供に雷を落とすような口調で雪乃を叱った。


 ――おばちゃんは、雪乃が"男をたぶらかす子"のような噂を耳にしていた。

 実際に見ると印象とは違っていたが、どうやら基礎の術もできていないらしい。

 嫌い、憎い、のような感情より、そんな、だらしない子を叩き直そうという意思を感じる。


「ええぇ……

 私、獣人になってから、まだ半年くらいしか経ってないんですよ?

 そんなに怒らなくたって……」


 初歩の術はたくさんあるので、すぐには全部覚えられない。

 雪乃、しょんぼり。


「ああ、そういや、あっという間に獣人化したって話だったねえ。

 あんた外見は立派な獣人なのにねえ!

 特に胸の辺りとかさ!」


 不真面目な子ならムキになって発奮するかと、やや皮肉を口にした。


「すみません……

 私、異常な存在らしいので……

 仕方ないですね……」


 雪乃、しょんぼりしたまま、ぺこり。


 雪乃の反応は、噂や第一印象からのイメージとは掛け離れたものだった。

 おばちゃんは拍子抜け。


 そして、気が付いた。

 長年、多くの猫又達を見てきた自分が、下らない噂に踊らされて見誤ったらしい、と。


「……その首輪、旦那から貰ったのかい?」


 おばちゃんは、一転して穏やかな口調。

 壁の食事供給窓から、雪乃の前に、肉と木の実を盛った平皿と、山菜汁の入った浅い皿を置いた。


「はい。猫用の首輪も貰ったんですけど、どっちも外したくないので……」

 外した首輪を、名残惜しそうに、傍らへ置いた。


「……なるほどねえ。

 一途なのはいいことだよ!

 しっかり頑張りな!」


 おばちゃんの表情は、満面の笑みに変わっていた。


「はーい、頑張りまーす!

 じゃ、いただきまーす!」


 雪乃も、おばちゃんの対応が何やら軟化したことに気付く。

 いただきますをしてから猫状態に変化し、食事を始める。


「ふしだらなメスネコだって噂だったけど、そんなの当てにならないもんだね。

 本当だったのは、お姫様みたいな美人ってとこだけじゃないかい。

 スタイルも抜群って話だったけど、胸はあたしの方が大きいね!

 ま、腰と尻まであたしの方が太いけどさ! あっはは!」



 ――この日、食堂のおばちゃんは、雪乃と親しい交流を持つ住人の一人となった。



「まだ何日か訓練あるんだろ? 腹一杯食わしたげるから、明日も来なよ!」

 そういって笑いながら、おばちゃんは厨房へ引っ込んだ。


「ニャーン!」

 前足を挙げ、おばちゃんに返答する猫姿の雪乃。


 雪乃の返事を機に、二人の様子をうかがっていた食堂の猫又達も雪乃に話しかけ始めた。

 騒いでいる男性は専ら獣人なので、まだ獣人になれない若い猫又は、雪乃に対する負の感情も薄いらしい。


 ――やがて、猫の鳴き声で満ちあふれる食堂。


 我々には何を話しているか理解できないが、雪乃は、世にも珍しい、人間と結婚した猫又である。



 おそらくは、女性達の主食である、恋バナがメインなのではなかろうか。



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