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1)初恋を彩るローズピンク ...3

外に出る度に、息が白く凍る。

そんな朝にドレスは出来あがった。

朝日の白々とした光を浴びて、生まれ変わった夜のドレスが輝いている。

刺繍自体は単純な物ばかりだったが、日数が足りなかった。

既に請け負っていた仕事と同時進行する事になったこともあって、終盤はほとんど徹夜続きになってしまったが、手を抜いた所はない。

眠気に落ちそうになる瞼を冷水で冷やして叱咤する。

これから、ドレスを届けに行かなくてはならない。

何度かスージーはドレスの進捗状況を見に、それだけではなくお喋りをしに尋ねて来た。

もし、使えるのならと提供してくれたビーズやリボンはとても役に立った。

今回のドレスにも勿論使われている。

出来あがったばかりのドレスは、既に熨を当て終わったので包むばかりだ。

スージーはトランクに入れて運んで来ていたが、預かった品物を雑には扱えない。

畳んで仕舞ってあった薄紙を取り出して、ドレス用の箱に敷く。

既にドレスは丁寧に畳んである。

皺がなるべくつかないように厚紙を挟んだ専用の畳み方だ。

箱にしまって薄紙をかけて、蓋を閉じる。

最後に大きなリボンをかけて完成だ。

いくつもの色を揃えているが、今回使うリボンは既に決めてある。

可愛らしいピンクの薔薇の色。

リボンを結ぶと茶色の蝋燭を溶かしてリボンの上に解けかける。

最後にエルバット刺繍工房の封蝋の印を押して完成だ。

「良し、お疲れ様」

滑らかな箱を撫でて、自分を労う。

まだ、朝も早いが今から準備をして出ればアルトバーグ家に着く頃には不作法ではない時間になるだろう。

ドレスの箱の横には、同じ様に包装された丸い箱が置かれている。

こちらは、別口だ。

両手で持ち上げられる程度の大きさでリボンの色も同じだが、これはアルトバーグ家ではなく別に取りに来る人が決まっている。

丁寧に箱を揃えると、今度は自分の仕度だ。

顔を洗ったとは言え、顧客に会うのだから身だしなみは重要だ。

工房から続いている扉は二つ。

一つは、刺繍糸などの資材を保管している備品庫。

もう一つは、普段ジーナが生活する家へと続いている。

工房と生活空間は分けるのが、祖母のポリシーだった。

だらだらとするのが仕事でも私生活でも一番いけないと常々言っていた。

休む時は休む。

働く時は働く。

何事もメリハリが大事なのだ。

祖母亡き後もジーナの胸にしまってある言葉だ。

たまに、仕舞い過ぎて忘れてしまう事もあるのだが、今回の様に。

生活スペースに戻るとふっと気が抜ける。

纏めていた髪を下ろして、糸くずのついた作業着から外出着に着替える。

あまり裕福ではない生活なので外出着もせいぜい2着しかない。

その内の、冬用の外出着を手に取る。

厚手の生地で出来ており、その分ずっしりと重さがある。

オレンジがかった茶色と褪せた水色のストライプ。

裾には月桂樹を模した刺繍が施されている。

これは、祖母がジーナの為に刺してくれた物だ。

大事な思い出の品の一つだ。

さらに上からビスケット色のエプロンを付ける。

ほとんどスカート状態の大きさのエプロンはもうずいぶんと前に実用的な意味はなくなっているが、今も装飾の一つとして付ける者が多い。

冬場は特に防寒着としても役立つからだ。

腰の後ろで綺麗に結べているかを確認して、着替えは終わりだ。

後は細々とした物を用意して、厚手の靴下も忘れずに履いておく。

毛糸の靴下は、ジーナが自分で編んだ物だ。

所々不格好だが、靴を履いてしまえば見えないので、あまり気にせず使っている。

「良し、後は髪を綺麗にしないと」

ドレッサーの前に座って、櫛で髪を梳いて行く。

茶色の髪はほどくと長く椅子に座ると床にまで届きそうなほどだ。

朝日があたるとキラキラと金色に輝く。

所々に金色が混ざっている髪は、ジーナの数少ない自分の気に入っている個所だ。

今までずっと纏めていたせいでくるくると髪先が波打っている。

櫛で梳いただけでは、癖までは直せない。

ため息を吐きつつも、どうせ一つに纏めてしまうのだと諦める。

髪をまとめて一つに編むとぐるりと回してお団子にする。

ピンとリボンで固定すれば、よそゆきのジーナが出来あがる。

細々とした家の片付けをしている間に、時間が経って行く。

慌ててボンネットを被って、ケープを羽織る。

仕度を終えた所で工房に戻るとドレスの箱を丁寧に持ち上げた。

最後に壁に飾ってある鏡で最後の身嗜みをチェックして、玄関の扉を開けた。



冷たい風に身体を縮こまらせながら流しの馬車を捕まえた。

二人乗りの馬車は小さくて、風を防いではくれない。

冷える指先を擦り合わせながら、石畳の町並みを眺める。

もちろん、箱は落とさないようにしっかりと膝の上で抱えている。

石畳の町並みは、まだ人の姿も少ない。

淡い冬の日差しに町の様子が白く滲んでいる。

しばらく揺られていると街並みが徐々に変わって行く。

小さな店が立ち並んでいた区画から、自然が多くなって家々の間隔が広くなって行く。

背の高い門扉が目立つようになったそこは、貴族たちが住む中級住宅街だ。

クリーム色の外壁やヒヤシンスブルーの屋根など。

可愛らしい建物が多い場所だ。

ジーナも思わず身を乗り出して見てしまう。

そんな家々の中でも、アンティークグリーンの外壁に白の出窓が目を引く屋敷の前で馬車は止まった。

鉄柵の門扉からは、美しい前庭が覗いている。

ちょうど近くを通りかかった庭師に声をかけて玄関口まで進むと呼び鈴の紐を引いた。

ジーナの所からは音らしき音は聞こえなかったが、すぐに扉は開いた。

現れたのは、お仕着せの給仕服を来た少女だ。

ジーナよりも年下だろう。

ウルトラマリンとアイボリーの二色使いの服は落ち着いたデザインで、屋敷の雰囲気に溶け込んでいる。

「エルバット刺繍工房の者です。お嬢様へ、ご依頼の品をお届けにあがりました」

「伺っております。どうぞ、こちらへ」

待たされる事無く通される。

貴族の家であれば、長々と待たされることも多いので対応の滑らかさに少々驚く。

連絡系統が行き届いているのだろう。

きっと良い働き先なのだろう。

ジーナの立場だと、どうしても働いている方の目線で見てしまう。

通されたのは、応接室と言う程ではないがそこそこに良い部屋だった。

深緑の絨毯には、冬の野山の風景が織り込まれており、火が入れられた暖炉の上には編み物をする女性の絵姿が飾られている。

促されるままケープとボンネットを手渡して、ほうっと息を吐いた。

外に比べるとだいぶ温かい。

冷え切っていた指先に血が通って行くじんわりとした痺れを感じる。

綺麗な部屋に落ち着かず、椅子にも座らずにただ箱を抱きしめて立って待つ。

「ジーナさん!」

さほど待たずに、扉が開け放たれた。

温かさにぼんやりとしていた所で、ビクッと身体が跳ねる。

「スージー様」

胸を押さえて、飛び込んで来た少女と向き合う。

今日のスージーは、爽やかなアップルグリーンの短い丈のジャケットをパウダーピンクのリノンのドレスに合わせている。

冬と言うよりは春先に似合いそうな色の組み合わせだ。

「わざわざ届けてくれたんですか?取りに伺ったのに」

「いえ、いつも来て貰うばかりでは申し訳ありませんから」

「お茶の用意をさせているので、少し待ってくださいね。あ、先にドレスを見ても良いですか?」

午前中の時間では、まだ寝ている貴婦人も多いと言うのにスージーは元気いっぱいだ。

彼女らしさに笑って抱きしめていた箱を渡す。

そっと繊細な仕草でスージーは箱を受け取った。

近くのテーブルに置くと封蝋に手を掛けて丁寧にはがす。

あまり乱暴にやっては蝋燭が飛び散ってしまう。

後は、もどかしげにリボンを外してしまうと息を詰めて箱を開けた。

わずかに黄色が混じった薄紙を払いのけるとミッドナイトブルーのドレスが現れる。

襟元の刺繍がまず目に入って、声にならない感嘆の声が漏れる。

スージーの手が伸びてドレスを箱から取り出した。

箱から滑り落ちた裾が床に着く前にふわりと宙を舞う。

裾に刺繍された花びらが本物の様にひらめいた。

「……これ、今着ても良いですか?」

「え?」

しばらく眺めていたスージーがドレスを握り締めて振り返る。

驚いたジーナだったが、断る理由はない。

むしろ、落ち着いたら試着はして貰うつもりだった。

お茶もまだ運ばれて来ていない間にスージーは部屋を飛び出す。

何とも慌ただしい。

入れ違うように、ティーカートを引いたメイドが現れる。

駆け足の令嬢を呆れたように見送って、ジーナには詫びる視線が送られる。

どうやら元気の良さは屋敷でも知られる所らしい。

「更にお待たせしてしまうようで、申し訳ありませんね」

ジーナが職人でもあるからか、メイドの態度も丁寧ではあるが砕けた物だ。

あまり畏まられても居心地が悪いだけなので、ジーナにはありがたい。

「もうすぐご婚約も整われると言うのに」

困った物だと頬に手を当てる女性は、それでも言葉ほど負の感情は伺えない。

むしろ、娘を見る様な優しい表情をしている。

スージーが屋敷の全員に愛されているのだろうと分かるものだった。

そんなスージーが戻って来たのは、ジーナが二杯目のお茶を頂いている時だった。

さすがに子爵家で扱われている茶葉だ。

ジーナが普段飲んでいるものよりも香りが強くえぐみも少ない。

一緒に供されたカップケーキも絶品だった。

バターをたっぷり使っているのか、しっとりとしていて卵の甘みまで感じ取れる。

贅沢な美味しさに浸っていると、今度はノックと共にスージーが現れた。

ジーナが持って来たミッドナイトブルーのドレスを着て、髪も簡単にではあるが夜会に相応しいように整えている。

「どうかしら?」

ほのかに頬を染めるスージーに、ジーナは束の間見惚れてから、力強く頷いた。

「とても、お似合いです」

世辞でもなく、心からの言葉として出て来た。

スージーにはミッドナイトブルーは肌色を暗くしてしまう。

だが、襟元に施したビーズが光を添えて、暗くなりがちな肌色を補正する。

更にオーガンジーのピンクのリボンが色を添えている。

これは縫い付けられている訳ではないので、場合に寄っては取り外す事も可能だ。

絞られたウエスト部分はそのままに、クリノリンでスカート部分はふわりと広がっている。

少しだけ裾が短くなり過ぎているので、ここは調節が必要かも知れない。

けれど、苦労して摘まみあげた裾のドレープは綺麗に仕上がっている。

絹のリボンで作った薔薇の造花もワンポイントで可愛らしく配置出来ている。

当初のデザインでは、造花のみだったが、どうしても花が浮いて見えてしまう為、中心に藍色の硝子石をあしらった。

華やかさも増して却って良かったかも知れない。

そんな造花の薔薇から落ちるように花びらの刺繍が裾を彩る。

単色の刺繍だったが、ドレープの陰影のせいか光の当たり具合で淡くも濃くも見える。

「私、ペチコートを見せるドレスって初めてだわ」

「とても綺麗なレースでしたので、少しだけ見せてみました」

「実はちょっとだけ憧れてたの。大人の女性って感じがするから」

ペチコートは補正のためのアンダーウェアだ。

基本的に見せる物ではないが、デザインとして取り入れられているドレスは珍しくない。

ただ、やり過ぎると下品になるので、匙加減と着こなしが難しいともされるデザインだ。

今回はドレープで摘まみあげた極一部から覗かせる形にしたので、デビュタントに参加する令嬢のしとやかさは守れている筈だ。

「少しだけ補正をしても良いですか?」

持って来ていた鞄から針と糸を取りだす。

やはり、実際に来てみると気になる所が幾つか出て来る。

背後にも回って修正を加えて行った。

後襟は開いた形のドレスなので、白い首筋と背中にかけてのラインが美しく眺められる。

「首回りには、真珠のアクセサリが良いかもしれませんね」

「ありがとう!参考にするわ。髪はどうかしら、纏め髪にはなるんだけど」

下げ髪が許されるのは子どもまでだ。

デビュタントに出てからは大人と同じ様に髪はまとめ上げる様にする。

「今の髪型も似合っていますが、少しボリュームを落としてタイトに纏めると良いかと思います」

「そう?地味にならないかしら?」

デビュタントでは、どの家もこぞって華やかな装いで令嬢を参加させる。

令息たちもそれなりに力は入れているのだろうが、娘のいる家には遠く及ばない。

心配するスージーに、ジーナは力強く請け負った。

「ぜひ、そうなさって下さい」

「分かったわ。お母様にも相談してみる。ドレスでは我がままを言ってしまったから、聞いてくれるかしら?

言いながらもクスクスと笑っている。

「こちらのドレスで納得して下さるでしょうか?」

自分では上手く行ったと言える出来だったが、流行の場で目の肥えた子爵夫人に合格点を貰えるのかは自信がない。

「大丈夫よ。このドレスならお母様だって反対なんて出来ないから」

自信満々のスージーに押されるように微笑んだ。

一通りの手直しを終えるとスージーが改めて正面に立つと、ぎゅうっと抱きついて来た。

「ありがとう、ジーナさん。これで、私は勇気が貰えたわ」

「スージー様。どうぞデビュタントを楽しまれて下さい」

「えぇ、楽しんで来るわ」

蜂蜜色の瞳が悪戯っぽく微笑む。

少しだけ、その中に怯えが混じっていた事にも気付く。

「大丈夫です。スージー様。とっておきの魔法を掛けておきましたから」

「魔法?ジーナさん、魔法が使えるの?」

「えぇ、刺繍に込めておきました。スージー様が幸せになれますようにって」

「本当に?ありがとう!」

今度こそ曇りのない笑顔だった。

スージーの笑顔に見送られてジーナは子爵邸を後にした。

既に昼を過ぎる時間だったが、心は晴れやかで足取りまで軽い。

馬車に乗ったジーナは最後にお屋敷を振り返って、スージーの幸福を心から願った。



デビュタントの日。

その日は、関係のない庶民までも何処となく浮き足立つ日だった。

豪勢な馬車が大通りを何台も通り過ぎて行く。

町の酒場は早くから店を開け、ここぞとばかりに酒が振る舞われ、広場では陽気な音楽と共に老若男女が踊りだす。

ジーナも浮かれる町の人たちを見ながら、立ち寄った店でパンとワインを買って帰った。

普段はワインなんて飲まないが、今日だけの特別だ。

ホットワインにして飲めば、寒い夜も少しは温かくなるだろう。

遠くに見えるお城では、何千もの蝋燭に火が灯されて沈まぬ太陽の様だ。

黄金の広間に、黄金のシャンデリア。

きっと夢のような世界が広がっている事だろう。

煌びやかな世界で、ジーナの刺繍が花を添えるのだ。

想像するだけで空恐ろしい様な、誇らしい様な複雑な気持ちになる。

「ジーナ!今日は店に寄って行かないかい?」

通りを歩いていると顔見知りの食堂の女将が声をかけてくれる。

夜には酒場になる店は、そうそうと酒盛りの呈を様している。

ジーナには少々敷居の高い喧騒だ。

「ごめんなさい、またにするわ」

「そうだね。また、おいで。今度、新作の味見を頼みたいんだ」

「えぇ、近いうちに行くわ」

女将は背後の酔っ払いたちを呆れた風に一瞥するとジーナと手を振って別れる。

腕にかけた籠に入ったワインの小瓶が揺れる。

工房ではなく、自宅の方の玄関を通って家に戻る。

人のいない家の中は冷え切っている。

まずは、暖炉に薪を入れると鉄鍋で炒っていたオレンジの皮に火をつけて放り込む。

かすかにオレンジの香りが立って、ゆっくりと火が回り始める。

買い物籠を下ろして、ケープを脱ぐ。

防寒を重視しているケープはその分重量もあって、脱ぐとホッと息が出る。

ボンネットも取ると、ようやく身体がリラックスする。

小さいながら片付けられた屋内は、使い込まれた家具が並び、全ての棚には手作りのレースや刺繍が飾られている。

ジーナが作った物や祖母が作った物もあった。

カーテンを閉めようと近づいた窓辺には林檎が数個並べてあり、近づけばほのかに甘い香りが漂う。

そろそろ食べごろかもしれない。

一つを手にとって台所に向かう。

台所もこざっぱりと片付いている。

あまり使われる事がないせいもあるだろう。

仕事が詰まると食事も外食が多くなる。

ナイフを取り出すと林檎を向いて、食べ易いサイズにカットする。

「ん、甘い」

酸味の強い林檎が一般的だが、ジーナは熟した甘い林檎が好きだった。

今日の夕食は、丸パンに焼いた芋とソーセージを添えたものと、とうもろこしのスープ。

デザートに林檎とホットワインもつける。

一仕事終わった後の、ちょっとだけ贅沢な食卓になる。

食前の祈りを捧げると一人きりの夕食だ。

「今頃、どんな舞踏会が開かれているかしら」

窓は既にカーテンで塞がれていて、外を見る事は叶わない。

それでもジーナは煌びやかなお城を想像する。

磨き上げられた大階段。

シャンデリアで輝く銀食器。

天井には、極彩色の神話が描かれている。

若い少年、少女たちが思い思いに着飾って大廊下に並ぶ。

誰もがこれからに希望を抱いた輝く笑顔だ。

その中にスージーとアランが手を取って並んでいる。

やがて、列が動き出して大広間へと向かう。

開かれた扉からは楽団が奏でるワルツが聞こえて来る。

玉座の前で一組ずつ膝を折って国王陛下と王妃殿下に挨拶する。

そこまでを想像して、おろそかになっていた手元からスプーンが落ちる。

「あ、あぶない」

もう少しで床に落とす所だった。

スプーンを持ちなおして、今度は手を止めずに食事を平らげた。



デビュタントが開かれて数日が経った。

ジーナは、スージーのデビューが無事に終わったのか気にかけつつも日々の仕事をこなしていた。

今、扱っているのはごく薄いオーガンジーの布だ。

ラベンダー色の糸で小花を全体に散らしている。

薄い緑のストライプの線に添うように花を縫い取って行く。

基本的に同じ作業の繰り返しなので、色々と考え事をしながらでも手は動く。

今もぼんやりとデビュタントについて思いを馳せていると、工房の玄関のノッカーがジーナを物想いから呼び戻した。

「はい、いらっしゃいませ」

慌てて立ち上がるとお客を出迎えた。

「ジーナさん!」

「スージー様!?」

今、まさに思い浮かべていた相手が満面の笑みで立っていた。

初めて来た時のような下げ髪ではなく、綺麗に編み込んだ髪をまとめ上げている。

髪型一つで、スージーはすっかり少女ではなく初々しい貴婦人となっていた。

身に纏っているピンク色のドレスもコルセットを必要とする物だ。

物腰までもが、どこか落ち着いて見える。

「お久しぶりです」

驚いて目を瞬いていると遅れて、背の高い人物がやって玄関前の数段の階段を駆けあがって来る。

ごく自然にスージーの隣に立って、その背中に手を回す。

「アラン、早かったのね」

「すぐに停留所が見つかったからね」

隣立つアランを見上げるスージーは、輝くような笑顔だ。

その二人の姿だけで、全てが分かったような気がする。

スージーも微笑んで二人を招き入れた。

「これ、お礼です。私たちから」

そう言って差し出されたのは、リボンがかけられた箱だった。

「もう礼金も頂いているのに」

驚いて断ろうとするが、どうしてもと押されて受け取る。

ジーナも知っている高級香水店の刻印が箱には押されていた。

開けてみると、淡いオレンジ色の香水瓶が横たわっている。

蝋燭の炎のような蓋がまるいボトルに収まっている。

「良い香り」

蓋を開けると優しい柑橘系の香りが漂う。

「ジーナさんにぴったりだと思って選んだんです」

「ありがとうございます。大事に使わせて貰います」

お茶を用意して、三人が席に落ち着くとジーナは悪戯っぽくアランに目を向けた。

「お手伝い、上手く出来ましたか?」

アランは苦笑混じりながらジーナに頷き返した。

「小さいなんてとんでもない、立派な切り札に出来ました」

「あ、やっぱりアレはジーナさんが作ったんですね」

「えぇ、途中で思いついて合間に作っていたんです。どうせなら、相応しい方から渡して貰えた方が良いでしょうから」

「とっても可愛かったです、あのヘッドドレス」

ジーナがアランに渡した、小さな手助け。

それは、ドレスに合わせたヘッドドレスだった。

藍色の絹にドレスの襟元と同じ様にビーズと刺繍を施して土台にして、ピンクの薔薇の花をあしらった物だ。

そのままでは地味になってしまうので、短いベールとリボンも足してブーケの様な華やかさを演出した。

揃いのドレスと合わせてスージーには、良く似合っただろう。

「良く似合ってました。ソフィア、彼女の姉とは全く違った雰囲気でしたが」

「デビュタントに行く馬車の中で、色んな話をしたんです」

スージーは頬を染めながら話してくれる。

どうして、告白をした時に断ったのか。

なのに、その後の家からの婚約を受けたのは何故なのか。

今までずっと聞きたくても聞けなかったスージーの疑問だ。

「妹の様に思っていたのは本当です。彼女といる時だけが、煩わしい事を忘れられる時間だった。だからこそ、結婚話のような家や将来にまつわる事とは結び付けたくなかった」

改めて話し出したアランに、スージーはそっと手を重ねて寄り添う。

アランの方も、そんな彼女に優しく微笑みかけて手を握り締めた。

「だから、スージーから気持ちを告げられて慌てました。ソフィアの事は、それなりに区切りを付けたとは言っても、一度は本当に義妹として受け入れた存在を妻にするなんて、とんでもない不義理に思えました」

だからこそ、妹としか見えないからとその場では断りを入れた。

でも、それからスージーはアランを避けるようになった。

「最初は仕方がないとも思いました。でも、気持ちは沈みましたね。落ち着かなくて、何度も会いに行こうとして、その度に考えなおしたり」

振った相手に会いに行く様な残酷で愚かな行動は取れなかった。

「次第に、周りにも変な心配をされるようになって、自分の気持ちに気付きました。そして、自分がとんでもない愚か者だとも気付きましたね」

恋焦がれた女性は、既に自分の手で切り離してしまっている。

スージーは今後、色々な相手と出会い、恋をするだろう。

アランではない、他の誰かと。

一度、交際を断ってしまった自分だけは選ばれる事はないと。

「アルトバーグ子爵から話があった時。最初は断ろうかと思いました。でも、これは最後のチャンスかもしれない。そう思った瞬間、頷いてしまった」

「肯いてくれて良かったわ。今は、そう思ってる」

自嘲するアランに、スージーが強く肯く。

「それでも、婚約の話をした当初は、後悔もしたよ。これで、完全に嫌われただろうとね」

「……だって、私も驚いたし」

「あぁ、俺が悪い。ちゃんと逃げずに話せば良かったんだ」

甘い空気を醸し出す二人に、意図的に咳払いで水を差す。

さすがに、ここで恋人同士のあれやこれやは勘弁して欲しい。

パッと離れたスージー

は、頬を染めつつ謝る。

それからしばらく他愛もないお喋りで時間は経ち、二人が帰り支度を始める。

最後の別れの挨拶をするばかりとなった時。

「あ、そうだ。あと、これだけはジーナさんに教えておきたかったんです!」

意気込むスージーは身を乗り出してジーナの方を見る。

蜂蜜色の目がキラキラと輝いていて、キャンディの様だ。

「あのドレス、デビュタントで色んな人に声をかけて貰ったんです」

流行を過ぎたドレスだ、悪目立ちする可能性もあった。

スージーの言葉に、ホッと安堵する。

「それで、親しい方の何人かにはジーナさんのお店を教えたんです」

「え?!」

驚きのあまり大きな声が出る。

デビュタントに出られるのは貴族と決まっている。

スージーの友人と言うからには、男爵や子爵と言った令嬢たちだろう。

ジーナの工房は、庶民に向けた下請けのような事をやる小さな刺繍工房だ。

貴族の依頼を受ける様な立派な店ではない。

「あ、大丈夫です。最初は、私を通して貰うようにって話はしているので。ジーナさんのお仕事が大変ではない時に、お願いできたらなって」

「えぇ、もちろん、お仕事の話は助かりますけど」

少し不安になりながらも、良い機会だと自分を納得させる。

今はジーナ一人の小さい店だが、祖母が生きていた頃には職人が何人も居た活気のある工房だった。

いつか、あの頃のような店にしたいと言うのは密かな願いでもある。

スージーの好意はありがたく受け取る。

「……小さな店ですから、それでもよろしければいつでもどうぞ」

「私も、まだ頼みたいものがあるので、その時はお願いしますね」

「はい、お待ちしております」

最後に、スージーが抱きついて頬に柔らかなキスが降る。

驚くジーナに、スージーは悪戯っぽい笑みを浮かべてアランの方へ駆け寄った。

幸せそうに歩き出す初々しい婚約者たちを見送る。

明るい日差しの中で、スージーのローズピンクのドレスがキラキラと輝いた。



― fin ―


一先ず、最初のエピソードは完結です。

次のエピソードは、もうちょっと庶民寄りのお話になる予定です。


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