あくま
「ファーデルラントの精神的指導者である、エミリオ王太子が暗殺されました」
廷臣たちに動揺が走る中、だが、女王は落ち着いたものだった。
「イスパニアの仕業か……」
「エミリオ王太子にはイスパニアから賞金がかけられておりましたからな。
去年は陛下の暗殺をはかり、無論失敗に終わりましたが、こちらは成功した模様です」
となれば、とジャンは続ける。
「ファーデルラントが陥ちれば、我が国とイスパニアを隔てるのはあの狭い妖精海峡のみ」
廷臣達の顔色は悪い。
「なお、イスパニア王には、対スパイスバザール帝国のイージス沖海戦で一躍イスパニアの英雄となったカサノバ侯より、大艦隊を差し向けるレジーナ王国本土上陸作戦が上申されていたと聞き及びます」
イスパニアは、レジーナ本土に乗り込もうという作戦を考えていた?
「莫大な予算、そして我が国との正面衝突を避けるため、イスパニア王は一度は『それには及ばぬ』と退けたそうですが、もはや彼の王の我慢の限界に達しているのに間違いはないでしょうな」
予算上の問題で、一度は取りやめたものの――
「ファーデルラントは王太子暗殺により、これより政治的な混乱、そして魔王の脅威に動けないでしょう。
我が国以外の頭痛の種が取り除かれ、後顧の憂いを絶った今、カサノバ候めの発案を退ける理由はないでしょう」
女王は厳しげな視線で廷臣たちを見渡す。
「近々イスパニアと正式に交戦することとなろう。野蛮なるイスパニアに備えよ」
「「「「「「はっ」」」」」」
廷臣たちは彼らの女王に膝まづいた。私も右に倣えでとにかく膝をつく。
追いつけない、考えて。
イスパニアは、ファーデルラントの精神的指導者であるエミリオ王太子を暗殺したから、次は背後で暗躍していたレジーナにその穂先を向けたと。
つまり――戦争だ。
「『盾』よ、念の為、そなたにも対イスパニア戦において備えてもらおう」
恐らく働くことはあるまいが、とようやく女王は私に声をかけた。
私は脅えるままに裏返った声で返事した。
女王は失笑まがいに、「そう緊張するな」と声をかけ、矢継ぎ早に廷臣たちに指示を飛ばす。
「我が国の艦隊は、海洋王国イスパニアに比して心もとない。急ぎ、民間船籍を募り、艦隊を編成せよ」
予兆のとおり、イスパニアは恐るべき速さでレジーナに進撃した。
青。それとも黒。
現在、私は激しい砲撃音の下にいた。
「てええええええええぇぇぇえええええええ!!!!!」
闇色の暗い海に、爆音すら引き裂くような砲撃を指示する声。
レジーナ側は、海軍提督がサーベルを振り下ろし、自軍の長距離大砲に一斉射撃を命じて、大艦隊を攻撃させている。
時はファーデルラントのエミリオ王太子暗殺より一ヶ月後。
正面衝突を先延ばしにしてきたレジーナ王国とイスパニアは、正式な戦争へと突入し、ついに長年の不和に雌雄を決する時を迎えた。
レジーナ艦隊対イスパニア艦隊の海戦。
イスパニアに比して木の葉のような弱小の艦隊しか持たぬレジーナ王国と、海の覇者イスパニアの大艦隊戦が、今まさに私の前で始まったのであった。
腹に響く爆音とともに、放物線を描いて発射される砲弾。
それが何発も何発も間断なく繰り返される。
耳がおかしくなりそうだ。
「各グループは散開し、距離をとって攻撃せよ!」
その大音響にも負けず、朗々と力強い声が混迷を引き裂いた。
「長距離射程軽砲は低い弾道で撃て! イスパニア艦の土手っ腹に弾をぶち込んでやれ!」
指示どおり、レジーナ王国小型艦はイスパニアの大型鑑に近づいては大砲を打ち込み、さっと引き返す戦法で相手を翻弄している。続けてレジーナ側提督は声を張り上げた。
「恐れるな、敵艦は見掛け倒しののろまのガレー船戦術だ! ここは奴らお得意の穏やかな温海ではない! イスパニアの間抜けどもに、北海の荒波の恐ろしさを教えてやるがいい!」
士気を鼓舞して矢継ぎ早に指示を下している。
だが、見るからにイスパニアの艦隊は巨大である。
1000トン級、800トン級といった大型船を水月陣形に密集させた上、重砲で武装しているが、レジーナ王国側は同程度の大型艦は数える程度、そのほとんどが小型艦であった。
イスパニア艦の重量級に比べると、まるでただの木の葉の「寄せ集め」にしか見えない。
私は不安だった。
イスパニアの陣形は強固に堅く、レジーナ王国の木の葉は壁にぶち当たって手をこまねいているようにも見える。
しかし、総司令官、副司令官の元帥並びに各猛将は連携して獅子イスパニアを翻弄している。
総司令官は部下から「準備が整いました」という報告を受けてうなずくと、敵艦を見据え次の指示を飛ばした。
「よし、風上から火船を放て! 敵艦を炎上させ、沈めるのだ! 恐れるな、敵艦はカサノバ提督を失い、海戦経験のない素人のシドニア公の指揮である!」
イージス沖の海戦で、ルサーカ大陸中央部を制するスパイスバザール帝国を破ったイスパニア側の海の英雄カサノバ侯。
彼はレジーナ王国侵攻を待たずして、半月前に死亡していたのだった。
代わりを務めたのがシドニア公。これはイスパニア側の士気を大いに下げ、レジーナ王国側に有利に働いた。
やがてレジーナの指示どおり、可燃物を満載したあまりにも大規模の火船が、風上より水月陣形に密集したイスパニア艦隊に突っ込んで行った。
その船に、何かが蠢く。
大艦隊に接するや、飛び出す人影は――桐島聖涙。
何故、彼女がここに、そう驚く傍ら、
彼女は、吼えた。
その咆哮は、北海を揺るがす。
イスパニア側も、レジーナ側も、関係なく凍りつき、そして。
一方的な蹂躙が始まった。
大艦隊が少女を殺したのではない。艦隊が、少女に蹂躙されたのだ。
一人の少女が、その怒りが、悲しみが、戦局を左右する。
彼女は、泣いていた。
エミリオ、エミリオ、と声が聞こえる。
私は、知った。推測した。
彼女には彼女の物語があったのだろうと。
もしかすると、きっかけはなんであれ、彼女は本当に普通にエミリオ王太子と愛し合ったのかもしれない。
私にはどうでもいいことのはずだが、その悲鳴のような咆哮を耳にするたび、がりがりと精神値が削られていくような気がしてならなかった。
「震えてるんですかね」
にやつく男が背後に立つ。
炎に照り映える北海は金色に瞬き、男の顔も奇妙な陰影を刻んでいる。
「だから言ったでしょう、異世界人なんざぁ、化け物だってね」
私は否定できなかった。
イスパニア側も火攻めは想定してバリケードを築いてはいたのだろうが、レジーナ王国側、いやレジーナとファーデルラントの連合が用意した火船、むしろ勇者の特攻はその予想をはるかに上回る火力だった。
空中を飛び回る人影が咆哮するたびに、仕掛け火薬が炸裂し、大爆音を轟かせる。
それは規模から言えば、猫対鼠だった。
だが、鼠は巨大な猫を一匹一匹火達磨にしていく。
イスパニアの陣形は完全に崩れた。
「神よ、我が女王を護りたまえ……!」
レジーナ総司令官が剣を天高く衝き、振り下ろすとともに総攻撃を叫んだ。
「大砲、撃てええええええええええええええええぇぇええええええええええええええ!!!!!」
陣形を崩し、混乱によってばらばらに足並みを乱したイスパニア艦隊に、雨と集中砲火が浴びせられる。
指揮系統をでたらめにしたイスパニア大艦隊に、それに抗する余力はなかった。
あたり一面は火の海。人魚達がぎぃぎぃと悲鳴なのかそれとも船から落ちる男達を我先にと争って掻っ攫う嬌声なのか、判別のつきかねる奇声を上げている。
轟音とともに、赤い光を受けてレジーナの影が甲板に踊る。
遠くで桐島聖涙はまだ戦っている。
まるで自分も死にたいとばかりに、そんな風に見える。
そして、彼女は、唐突に燃料が切れたみたいに、堕ちた。落下した。
イスパニア側は、自分たちを蹂躙した恐るべき異能者を許さなかった。
群がる黒い塊は、砂糖に群がる蟻のようでもあり、私は何故こんなにはっきり見えてしまうのかと口元を押さえた。
いまさらですが。
桐島聖涙には何の恨みもない。
わけでもないが、これはない。
やめてほしい。
誰か、彼女を助けて。
彼女も、私も、何も知らなかったんだ。
知らなくて、そして、そのことをもって、こんな風に蹂躙されていいはずがない。
もう充分。
指先まで震えが広がり、私は立っていられなくなった。
他の連中はどうしたのだろう。
他力本願で恐縮ですが、なんで出てこない。
嘔吐する寸前、私は何事か不穏な様子を感じて、いぶかしげに黒い塊を見やり、目を見開いた。
ごめんね、私は舐めていた。
異能というものを。
「……、く、は。はははははは!」
笑い声が聴こえた。
「……――っははははははっっっ!!!!!!」
突然の異変に、私の内を戦慄が走る。
炎上するイスパニア艦隊。
桐島聖涙を押しつぶしていた最後の寡兵も、文字通り吹き飛ばされ、爆発した。
彼女は、笑っていた。
壊滅的被害状況が拡大するにつれ、イスパニア側の戦意喪失は明らかになりつつあった。
爆風に煽られながら、桐島聖涙の哄笑が喉も裂けよとばかりに暗い海に響き渡っていた。
『悪魔』
イスパニア海兵たちは、そう口々に叫んでいる。
今夜の桐島聖涙ほどその異名がふさわしく似つかわしいことはなかっただろう。
レジーナ側も指をくわえてほうけていたわけではない。
便乗する分には何の問題もないのだ。
「殺せ。尽く殺せ。再起を許すな」
この言葉どおり、イスパニア側は最終的に三万人中二万人の戦死者を出し、三人に二人は死亡した計算となる。特にファーデルラントは、妖精海峡を通って敗走するイスパニア船を執拗に掃討した。
報復戦であった。
このレジーナの海戦における明暗により、大国イスパニアは衰退を予兆し、世界の海上覇権は、レジーナ及びファーデルラントへと移ろおうとしていた。
スパイスバザール帝国:大陸ルサーカの中央部に広がる帝国




