せんそう
「はい、おじいちゃん、お茶どうぞ」
私は妖精のお爺さんに茶を出した。
日差しは明るく、大通りに構えた生薬商は、今日も割りとのんびりだ。
知識層から海軍兵隊まで色々な人が利用してくれるが、大体薬を買いに来たのか、雑談しに来たのか、分からない。多分後者だろうということが多い。
この店の本来の主は「めんどいのう」と言って、店の奥で、艶消しパイプをふかしながら隣の金物屋の爺さんと駒取りゲームに興じている。
私はただの店番だ。
ジャンは、静かに暮らしたいと願う私に、この店を紹介してくれた。
有事以外は好きにしていいと言う。
逃げてもいいの、とは聞かなかった。
愚にもつかない質問だ。
片腕、歯抜けでどこに逃げるというのか。
ああ、ちなみに歯も義歯を作ってもらった。
この国は腕のいい職人が多いのだ。
「うまいのう。うまいのう。サツキちゃんは、お茶をいれるのが上手じゃのう」
「あはは、そりゃあどうも」
このお爺さん、ただで茶を飲むために言っているに違いない。
ここは喫茶店ではないのだが、商談する際に茶をふるまうのがこの世界では一般的だ。
「サツキちゃん、聞いたかのお」
大体、このお爺ちゃんの世間話はこのフレーズから始まる。
はいはい、と聞き流すのが常なのだが、今日は違った。
「ファーデルラントが、東ルサーカにあるレジーナの商館を襲撃したそうじゃ」
こと、と茶器を置いて、私は「へえ」と相槌を打った。
「制海権、貿易圏拡大を巡るレジーナとファーデルラントの利権争いも目に見えんように水面下で激化しとったが、これはあからさまに過ぎるのう。
これはのう、ただの商館襲撃ではない。
東ルサーカ支配権に目に見えぬ楔が穿たれたといってもよい、象徴的な事件じゃよ」
このお爺ちゃん、引退前はなんとかかんとか宮廷顧問をしていたらしく、語る内容は政治的な小話が多いが、今日はずいぶんとびきりのネタだ。
「……レジーナと、ファーデルラントの間では協定が結ばれていたはずでは?」
「うんうん、そうなんじゃよ。これは、ただ協定が破られ、結果商館がひとつ失われただけを指すのではない。激化する東ルサーカでの貿易におけるレジーナの排除、まさにその象徴ともなる出来事なんじゃよお」
お爺ちゃん、語り出したら止まれない。
思わず脳裏に標語が浮かぶ。
「ファーデルラントは、レジーナに牙を剥いた、いえ、その牙を隠そうとしなくなった、ということですなあ」
ぎょっとして振り返れば、ジャンがにやにやとした笑みを浮かべ、相変わらずの派手な帽子のつばを持ち上げてみせた。
「協定破りは外交問題にして賠償金を求めるべきなんじゃないの?」
私が半ば諦観交じりに尋ねれば、ジャンはうんうんと頷き、それから酷い笑い方をした。
獲物をなぶるような、そんな笑い方だ。
「そうですねぇ。そうなるでしょうねぇ。でもまあ、このお礼は必ずさせてもらうことになりますよ」
吊りあがった口元に、鋭い犬歯が覗いた。
「同じ顕現派の国でも、舐めた真似をしてもらっちゃあ、困ります」
ああ、もうきっと決まっているのだろう。
そう、この東ルサーカのレジーナ商館襲撃事件は、同じ顕現派の国ということで、比較的友好関係にあったレジーナとファーデルラントの関係悪化を予兆させる事件でもある。
ブルゴーヌ、イスパニアといった現界派の国に対し、同じ教義である顕現派であるファーデルラント。
しかし、制海権と世界貿易を巡って熾烈な競争を繰り広げることとなったファーデルラントより、その全権奪取を虎視眈々と狙うレジーナ国内の一般論が水位を増す限り、衝突はいかんとも避けがたかったのである。
レジーナは決して主に牙を剥いた飼い犬を許さない。
飼い犬に手を噛まれた主のやることは、犬の処分だ。
逆にファーデルラントは、レジーナを主と仰いだつもりなどなかったのだ。
また、戦争だ。
今度は、私も『彼ら』も無関係ではいられないだろう。
私はレジーナに保護されている。
『彼ら』はファーデルラントの生きた兵器だ。
魔王は発生し、すでにしとめたと聞く。
代わりに、双子が死んだらしい。
遠く噂話を聞き、私はこっそり泣いた。
この地獄のような世界に、たった六人しかいなかった同胞が、また死んだのだ。
魔王を倒せば帰れるはずだと言っていたが、八王子夜音と桐島聖涙は残ることを選択したのか。
それとも、最初から帰れない仕様だったのか。
もう分かりはしない。
そして、今度のレジーナとファーデルラントの正面衝突において、彼らが遊ばされているとは到底思えない。
きっと引っ張り出されてくるだろう。
だって、私はこの男に舞台に引きずり出されようとしているのだ。
向こうがそうしないだなんて、どうしてそう言える?
同胞で殺しあえなんて、本当に気がきいているよ。
レジーナ商館襲撃より、一月後――東ルサーカ、ファーデルラント領ロロイカ。
4隻のレジーナ戦艦が、ロロイカ沖に不気味な姿を現した。
続く異様な大型戦列艦に、人々は息を呑んだ。
船名"女王の栄光"、の名を持つ第一級戦列艦。
イスパニアが海上覇権を握っていた時代にはまさに私掠船の『寄せ集め』であり、むしろ存在していなかったとされるレジーナ海軍だが、イスパニアの艦隊を廃滅せしめ、その制海権を脅かすにいたっては、造船技術も飛躍的に進歩を見せることとなる。
この『女王の栄光』も、同時に勢力躍進を見せたファーデルラントに対抗する形で、グロリアーナの命により国威をかけて建造された。
当世あらゆる船を凌いで最高の武装、攻撃力を持ち、また船体は黄金で豪華に装飾されたことから、ファーデルラント海軍のみならず敵国をして別名『黄金の悪魔』と讃えられた恐るべき大型戦列艦である。
しかし、現在、最たるものは百門砲を備えるような大型戦艦により火力において他国を圧倒せんとするレジーナも、後の戦争においてファーデルラントに苦戦を強いられるようになるのだが、その嚆矢となったのは、この日のある軍事行動が発端だった。
天を鋭く突き上げんとする3本のマスト、金箔の化粧を施された巨大船体。しかし、それは悪魔の業を持って作られた。
レジーナの提督は、ただ一言命令した。
「……ファーデルラント領ロロイカを占拠せよ」
我が女王のために、な。
この命令の発端となったレジーナ商館襲撃事件。
それにより、レジーナは東ルサーカ貿易において、後退し撤退せざるを得なくなった。
まさに貿易構想図の塗り替えを象徴する事件だった。
また、東ルサーカ貿易を独占するファーデルラントに、レジーナ国内の反ファーデルラント感情が高まりをみせていた。
ファーデルラントとの関係は急速に悪化し、もはや戦争は避けて通れないと見たレジーナは、報復戦を開始したのである。
それが今日この日。
遠く東ルサーカでの戦端は、本国に遡及する。
レジーナ・ファーデルラント戦争の火蓋は切って落とされたのだった。
東ルサーカ:ルサーカ大陸の東の地方 そのままである。




