いじょうせいとるいじせい
レジーナ船籍のファーデルラント領ロロイカ占領により、その火蓋を切って落とされたレジーナ・ファーデルラント戦争。
初戦より、ファーデルラントはレジーナ船の火力の前に敗北し、苦い自省をみた。そのため軍備を刷新し、勇者を投下。
レジーナ海軍を相手に大善戦することとなる。
三日間の海上交戦において、ファーデルラント相手に膝をついたレジーナは想定外の敗北に辛酸を舐めさせられた。
その上、敵は身のうちにあった。
――疫病。
腺ペストの恐るべき流行に、レジーナは7万人の人命を失う。
――続く首都大火。
首都は五割を全焼し、レジーナの政治経済生命線は麻痺した。
大半の軍船はドッグ入りし、レジーナ海軍は強制的休眠状態へと陥る。
この好機を逃すファーデルラントではない。弱ったレジーナを前に、たちまちレジーナ海軍を突破して電撃のごとく攻め入り、本土大河を遡上してレジーナの首都に砲撃を浴びせた。
鉄壁の守りを誇るレジーナにとって、本土上陸を許しなお蹂躙されたのは、これ以上ない屈辱である。
かつて大国イスパニアの大艦隊ですら、その一片の土を踏ませはしなかった。
ほんの少し前までイスパニア属領であり、その独立を密かに支援した新興国ファーデルラントにこのような内部への侵略を許すことは、レジーナ側にとって耐え難いものだった。
空の色は赤とも黒ともつかぬ酷い色だ。
何もかも焼け出されてしまった。
店の主人は復興にかかるため、ギルドに出ずっぱりだ。
まさかの首都防衛戦。
この衝撃に、女王は儚い人となってしまった。元々、生きているのが不思議なくらいに高齢であったらしい。
その指名により、血縁であるクリストファー何某が王位に立つと言う。
焼け出された風景に、寺院の重苦しい鐘の音にあわせて、周囲の教会があえぐようにその音を唱和する。
レジーナ女王グロリアーナは、ファーデルラント本土上陸の知らせを受け、危篤状態に陥り、同日眠るように永眠した。
女王崩御。
その最期は、許しを請うものであったという。
――さらばじゃ。さらば、我がレジーナ。
――そして赦せよ。
――この恐ろしい時にそなたらを残して行くことを。
――これからを託して去る我が身を。
――いかような時代がくるとも知れぬ。ブルゴーヌ。イスパニア。憎むべきファーデルラント。
――きゃつらは猛禽のように我が国を狙っておる。
――どうか赦せよ。
「女王は崩御した」
その知らせが駆け巡るやたちまち、控えていた侍女たちの間では、はっと声を呑む者、悲痛なすすり泣きを始める者、両者に溢れた。燦然と輝く太陽を失って、彼女たちは哀しみに涙した。
私は混乱していた。
ジャンは酷い顔色だったが、意気消沈する間もなくファーデルラントの砲撃音は止まない。
彼は己の職務には忠実であった。
周囲の混乱を尻目に、青白い顔で働いている。
彼の女王への傾倒ぶりは見ていて異常なほどだったし、私はかける言葉をもたなかった。
そのことを、私は苦痛に感じていた。
そんな自分が信じられなかった。
こんな男を慰めたい、そうできない自分が無力であるなどと、到底正気の沙汰とは思えない。
だからだ。
迂闊にも、私は現場の混乱の間隙を突くように、生薬商の店までふらふらと出歩いて来てしまった。
焼け出された店の様子に愕然としてしまう。
夕方が来て、夜の帳が下りる前に、一度砲撃は止んでいる。
明日はまた騒がしくなるだろう。
店の中に入り、商品を手にとっては確かめる内に、背後で人のけはいがした。
振り返り、不審者に悲鳴を上げようとした口元を押さえられる。
「――静かにして。佐々木さん」
そう、驚くべきことに、その不審者の正体は、八王子夜音だった。
私は目を見開き、喉を鳴らした。
「叫ばない。約束できるなら、今から五つ数える間に瞬きを三回して。行くよ。一、」
私は慌てて三回瞬きした。
「ありがとう。手を外す」
ゆっくりと解放され、私は改めて彼を仰いだ。
酷い。
同一人物とは思えない、酷い顔だった。
傷を負っているわけではない。
人は、その人生によって、これほど人相が変わってしまうのかと、その実例を見る思いだ。
「お互い、酷いかっこうだ」
八王子は疲れたように、そして彼なりにユーモアをこめたつもりなのか、おどけたように苦笑した。
そしてぼろぼろと涙を零した。
言葉はいらなかった。
私も泣いていた。
かつて彼に感じた苛立ちは、もはやなかった。
「ごめん。あまり時間がないのに。見かけた時は本当に現実か疑ったよ。生きていてくれて、本当によかった」
私は頷いた。今は敵同士だろうと思ったが、何をもって敵なのか分からなくなってきた。
「魔王、倒したって? でも和久井さん達が……それに帰れなかったの?」
「……いや、魔王は」
八王子夜音は言葉を濁した。
私は、もしかして、と質問を飲み込んだ。
もしかして、魔王を消滅させていないのではないか、などと。
そもそも、発生自体起こっていないのではないか、などと。
待て。
では何故双子は死んだ?
それすら嘘?
対立している以上、答えてもらえないかもしれない。
何故なら、レジーナとて、グロリアーナ女王が崩御したことも、現在国民には伏せられている。
これ以上士気を殺ぐことは自殺行為だからだ。
ファーデルラント側が、魔王を消滅させていないことを喧伝するはずもない。
「佐々木さん、正直に言うよ。魔王は倒せていない。倒せなかった。だから、僕らは戻れなかった」
私はこの時、八王子夜音がずいぶん、危ういほどに譲歩してそのことを教えてくれたと思った。
だからそれ以上追求しなかった。
「……佐々木さん。ファーデルラントに来る気はないかい?」
八王子夜音は真摯な目で尋ねた。
「無理」
私は即答し、彼は「どうしてもかい」と重ねる。
この人、もしかして何も知らないのか、と私はかつての苛立ちがぶり返した。
「八王子君、ファーデルラントが私と大輔に何をしたか、知らないの?」
「……どういうこと」
私は全てを説明した。左腕も義手を外してみせた。
八王子夜音のショック状態は、言語に尽くし難かった。
彼はよろめく足で椅子に座り、しばらく無言だった。
「ごめん。ちょっとお互い情報を出し合って整理しよう。君の知ることと、僕の知ること、すり合わせた方がいい。この世界の異常性、類似性について僕もずっと考えていた」
私は八王子夜音の言葉に引っかかった。
「待って。異常性は分かるけれど、類似性って?」
彼は、むしろ驚いた風に私を見上げた。バランスが悪いので、私も椅子に座る。
そして、彼の言葉に、今度は私が驚愕することになる。
「佐々木さん、気づかなかったのかい? この世界、できの悪い僕らの世界の模造品だよ」
「は?」
「異常なのは、魔王や召喚といったシステム。
類似しているのは、歴史だ。
そっくりそのままじゃなくて、奇妙に年代が捩れて、本来死んでいるべき人物がまだ生きていたり、あるいは死んでいたりするけれど、この世界は地球だよ。
もう一つの地球といっても過言じゃない」
ちょっと待って。
待ってよ。
ここが地球?
「本当に気づいてなかったの?
レジーナはイギリス。
ファーデルラントはオランダ。
イスパニアはスペイン。
オスマン帝国に該当する国もある。
多分、ブルゴーヌはフランスに該当すると思う。
美食王ルネーは太陽王ルイによく似ているよ。
ファーデルラント側エミリオ王太子暗殺事件は、恐らくカトリック側狂信者によるオランダのオラニエ公暗殺事件にあたると思う。
先のレジーナ対イスパニアの艦隊戦は、どう考えても無敵艦隊アルマダ戦だ。
死者数の一致は分からないけれど、結果は酷似している。
この海戦勝利で、イギリスは世界の海上覇権を握るにいたるその基礎を築いたはずだったよ。
それにレジーナ商館襲撃事件は、一六二三年、東南アジアの商館アンボイナ事件。
今回の海上覇権争いは、第一次英蘭戦争から第三次英蘭戦争が混ざっていると思う。
あと、レジーナ首都大火は、ロンドン大火で間違いないよ」
待って。
本当に待ってよ。
私地理と日本史専攻なのよ。
中学校時代の世界史は横文字が駄目で壊滅だったし、空白の三年間だよ。
気づかなかった。
全然、気づかなかった。
「恐らく、レジーナのグロリアーナ女王は、テューダー朝のエリザベス一世だ」
がん、と頭に衝撃があった。
そうだ。
映画で見たことがある。途中で寝てしまったから、断言できないが、なんで気づかなかった。
そのまんまじゃないか!
「レジーナ女王は、イスパニアに国家半公認の海賊行為を働いて、配当率数千パーセントにもあたるかなりの収益を上げたときくけれど、これもエリザベス一世の『私拿捕船』に類似する。
これは、敵対国家商船捕獲の特許を得た、民有武装船のことだよ」
私はもはや言葉が出なかった。八王子夜音がいなければ、私は何も気づかなかっただろう。
だけど、と彼は続ける。
「ただ、彼女は英蘭戦争時には生きていないはずだ。
彼女がイングランドの黄金期を築く嚆矢となった一五八八年の無敵艦隊アルマダ戦は、少なくとも一六五二年の第一次英蘭戦争と六十年くらい彼女と時代がずれている。
そもそも、彼女の在位、没年は一六〇三年だ。英蘭戦争時に生きているはずがない。
本来なら、テューダー朝は、エリザベス一世で最期の幕を閉じているはずなんだ。
スコットランド王をイングランド王国王に迎えて、すなわち両王国において、同じ人物を君主に頂く同君連合の成立となるスチュアート朝が開けていないとおかしい。
ごめん、僕もうろ覚えな部分があるから、間違ったことを言っているかもしれない」
ざわざわと這い上がる何かに、私は口元を押さえた。
「待ってよ。待って。模造品って、じゃあ作成者は誰?」
八王子夜音は首をふった。
「分からないよ。もしかして宇宙ひも理論とか、平行世界なのかもしれないとか、愚にもつかないことを考えたし、それを解き明かす意味についても散々考えた。
でも、一ついえることがる」
私もはっとした。
彼は私が気がついたことに気がついて、頷いた。
「この世界は、恣意的な世界だ。何故なら、君も、恐らく聞いたはずだ」
そう、託宣の声を。
あのシステマチックな声を。
――ろーるぷれいしてください。
そうあの声は言った。
「……『ろーるぷれいしてください』って、まさか」
そのまさかだった。
そうかもしれぬ可能性に、私は身体の震えが止まらなかった。




